ししゃも白昼夢(3)
真相を探るといってもまずは計画を立てなければならなかった。
昼休み私と紫音は食堂で蛇羅家素持と接触する方法を考えていた。 「多分、表ではわからないようにしてるから、直に問いただしてもきっと無理だね」 「うん。授業終わってダーッて走っていって聞くのもわざとらしいし。こう、自然な演出じゃないと」 「自然に話すきっかけか…後つけてみる?」 「え?すぐにバレそやよ。」 「だから、同じ目的地に行くんだったら後ろ歩いてても変じゃないじゃん?」 紫音はぴしっと人差し指を私に向けた。 「どこに行くんさ?」 私はその目的地がどこかわからなければつけることもできないではないかと反発してみた。 「それは必然的に神社でしょ。きゃも川周辺」 「凶悪な越己者が出るんじゃないん?そこら辺って」 「そんな毎回出るわけもないよ。一応繁華街なんだし」 「でも、目立たんように暗くなってからのが安全な気もする。人ごみに紛れてたら被害ないと思うけど」 私は凶悪な越己と雑踏を思い浮かべてすでに嫌気がさしていた。 紫音は大きくふんと息をはいた。 「でもまずは蛇羅家が犯人って決定づける証拠を見つけないと。神社に行って怪しい呪文かなんか唱えてたら一発でわかるのにねえ」 「この人と友達とか知り合いの人がいればなあ〜」 私たちはお互いう〜んと行き詰ってしまった。 そこへ一人の影が通った。 「隣空いてる?」 「五百円」 「な、金とんのかよ〜?」 紫音は意地悪く笑った。やってきたのは瀬次君だった。 のっぽの眼鏡をかけた彼は五百円払わずに彼は紫音の隣に座った。 「どうもこんにちは」 「ああ、野木さん〜また紫音から越己の難しい論理とか無理やり教えられてんの?君も大変だねえ。こんな友人を持ったばかりに」 「いや、そうじゃなくて…」 私はあははと笑い紫音を見やった。 「余計なこと言うな!っていうか、越己の話ばっかしてないし」 「ごめんごめん」 瀬次君は悪びれた様子なく軽く流した。 ああ、何かいいなあ。ほのぼのする。互いに言い合って面白がって。両方ともつっぱってない、紫音は少々つっぱってるところもあるが、それを素直に楽しむ余裕があるっていうのは恋人関係においてすばらしいことじゃあないか、と私には夢のような関係にしばしいり浸っていた。 「で、二人は何話してたん?俺が聞くことでもないだろうけど」 「はは、その通りかもね」 紫音は率直に述べる。私は万が一ということもあり一応聞いてみた。 「なあ、瀬次君は蛇羅家素持さんって知ってる?」 「この人に聞いてもわからんって」 紫音があしらうと彼は首を傾けて考えた。そして 「あ、知ってるかも」 とひらめいた。 私と紫音は同時に彼に注目した。 「一週間くらい前かな。授業でもくもく神社の近くまで走ったんだ。で、休憩してる時に友達とお参りに行った帰り際、鳥居をじっと見つめてる子がいてさ。俺らと同い年くらいで茶黒の長い髪に黒ワンピースでほっそりした子だったなあ」 「その人そこで何してたん?」 「さあ?なんかつぶやいてたなあ。小さくて聞こえなかったけど」 「でも、それがよく蛇羅家だってわかったよね?」 紫音の口調はどこか棘があった。 「友達の友達に越己専攻のやつがいてさ、そいつが教えてくれたんだ」 「へえ〜」 紫音は冷めていた。 「でも、一瞬だったけど素敵な横顔だったなあ。あの憂いを含んだ瞳にシャープな顔かたち、ぱっと目が合ったときは背筋がぞくってするくらい綺麗だったなあ…」 タンッ! 「ひいっ!」 瀬次君は悲鳴を上げた。彼のついていた右手の薬指と小指のほんのわずかな間に紫音はシャーペンをまったてにして突きさしていた。そして、思い切り彼をにらみつけた。 「コンパスもあるけどどっちがいい?」 「どっちも嫌です…」 彼はあわてふためく。 「ええと、すみませんすみません。ちょっと本当に一瞬の気の迷いでそう思っただけで。俺の好きなのは紫音さまだけです。本当に」 彼の謝り方は何だかもう紫音の下僕化していた。 「今度あったら、越己でビワ湖まで飛ばしてやるからね」 「はい…本当に申し訳ありません」 紫音の脅し文句で瀬次君はすっかりげんなり元気をなくしていた。なんだかんだいって、紫音は瀬次君にやきもちを焼くほど好いているのだ。 私はほほえましく思いながら、話題を戻した。 「じゃあ、犯人は蛇羅家さんに決まりやんな?」 「犯人?何のこと?」 「いいの、あんたは黙ってて」 紫音に口をふさがれた彼は言うとおりに大人しくなった。 「んでもって、もこもこ神社にも赴いてるってこともね。これで目的地は決まったね。というわけで、瀬次ありがとう。帰っていいよ」 「え?まだ来たばっかりなのに?」 「わたしら行くところがあるんだよ。さ、早く早く」 紫音はせかすように瀬次君の腕を持ち上げた。彼は仕方なく席から立ち上がり 「じゃあ、また明日…」 としょんぼりして帰って行った。 試験期間というのはたとえテストがなくても気が滅入るものであり、精神状態は不健全も不健全。 学校に来る用事もないという人もいるので家に引きこもりになり、杏ちゃんなんか時間感覚を失いテストを一つ受けそびれたことがあるらしい。 だから、期間中もなるべく学校に足を運び健全な精神を維持しようと意気込むわけだが、図書館へ行っても、食堂へ行ってもテスト勉強に励む学生の姿ばかり。 共通の目的があるのはすばらしいことであるが、緊張感ではないこの妙にもやもやいらいらする感じ、ヒギャーッと意味不明支離滅裂な叫びを上げて周囲から非難の目で見られる行為を辛抱していたのは、ずばり焦燥感だった。 学生の単位を落とすまいという必死の攻防の熱が塊となって脳天に直撃するとかなり痛い。 自分までそうしなければならないような感覚に襲われちっとも落ち着けない。これでは思い切り逆効果である。 ストレスために行くのなんかまっぴらごめんである。 そんなわけで、私は午前中のテストが終わるとこっそり扉をくぐった。 一号館の五階ロッカーにあった扉だったが、五階まで上るのはきついという創設者紫音の要望により、正門を出た向かいにある駐車場の一番左隅に移動された。 歩数は最左端の駐車場から右に三歩、左に五歩、前に四歩である。そうやって私は茲賀津に帰ってくると真っ先にしその葉神社に赴いた。 まるで春のような麗らかな日差しが注いでいた。神様は腕を枕に寝そべっていた。 (隙だらけな) 私は何をするでもなく側へ寄った。神社を覆う木々の影で彼はちょうど日を避けていた。 私は隣に来て中腰になった。神様は美しかった。 美しいなんて死語になりかけだと思いこんでいたら意外な所でぴったりな表現が出てくるものだ。 着ているものは派手じゃないし、人間と言われれば納得できるような形振りだったが、やはり輝かしいオーラは特別だった。 (こんなとこで寝てたら誰かに見つかって額に落書きできそ) 私はマジック持参すべきだったとくだらない後悔をした。それこそ罰辺りないたずらである。 神様の身体は土からほんの数センチ浮いていた。 熟睡してしまっている神様を見ていたらいきなり彼は瞼を開けた。 「また来たのか」 彼は寝たまましゃべった。私を覚えていてくれたらしい。 「野木こなき」 名前もフルネームで言えている。あっぱれ、ってあれだけ話こんだのだから覚えていて当たり前か。 私の感動はやや冷めたがそれでも、あんただれ?と忘れられているよりは嬉しかった。 「あなたも昼寝しに来たのか?」 「いや…」 「ここ涼しいぞ」 「やから…」 「ご自由に」 私は唖然とした。明らかに彼のペースだった。 以降彼は寝たまま何も言わなくなったので、神の厚意を無にして災いでも起きたら大変だということで私も隣に寝ることにした。 (なんで昼寝してんのやろ) 私は木々の間から見える空を眺めていた。 (まあ、貴重な体験かもな) 彼の方に顔を向けると彼は仰向けのまま目をつぶっていた。透き通った白い頬は健康的な光を放っていた。 (神様って触れるんかな) 私の好奇心は突如高まった。恐る恐る右手をのばしてみる。届かない。私は体ごともう少し近寄った。 そして再び腕を伸ばす。頬に触れたと感じた瞬間 「セクハラ」 と確かにつぶやいた気がした。 え?神様が横文字なんて使うか?だいたいセクハラってまだ触ってないではないか、あ、しようとする行為自体がセクハラなのか…と思わず納得しかけて手を静止していると、パっと私の方に寝返りを打った。 私は慌てて手をひっこめた。神様の顔がすぐ近くにあった。切れ長の瞳は潤っていた。私はその瞳から目を離せないでいたが彼はそのまましゃべった。 「触れるなら許しをもらってから触れるべきでは?」 「あ…」 そりゃそうだと私は彼が最もなことを口にしていると思った。 「神様は人間が触れられるんかと思って」 私は視線を土に落とした。 「じゃあ試してみればいい」 「いいんですか?」 「後で不意打ち喰らっては困るからな」 彼はかすかに口元に笑みを浮かべた。 じゃあ、と私はゆっくり手を頬に伸ばした。そっと触れた感触がした。しかし、それからは肌のなめらかさではなく温かい生きている活力が伝わってきた。 私はゆっくり手を放した。神様は私の反応を見越したのか 「簡単に触れられるものでもないみたいだな」 と静かにからかった。その目は始めからわかっていたかのようだった。 「よく人と話すんですか?」 「たまに」 神様はまた仰向けになった。 「そこの畑のヤメさん、その息子のボウさん、オカマバーのママの弥生さん…」 (オカマバー、茲賀津にそんなもんあったんや) 私は予期せぬ単語にびびった。 「あの時ちょうど供物の側で眠っていたら、どぎつい香水の匂いで目に覚めた。女装したおじさんが目の前にしゃがんでいた」 棒読みな台詞がかえって私の想像を引き立てた。 「世間話をしていたが、うちの店に来ないかと誘われて断った」 「そら断らなな」 私は吹き出しそうだった。弥生さんはさぞかし彼に猛烈アタックしたのだろう。 それを淡々とかわす彼とのやりとりが想像に難くなかった。 「きっと弥生さんは神様が好きやったんやろな」 何気なく独り言のごとくつぶやいた言葉に神様は応えた。 「好き?神を好いてどうなる?」 「どうなるって…」 彼の口調ががらりと厳しく変わったのに私は思わずつまった。 「普通、親しみ持って神社に来るんじゃないですか?嫌ってたら来んし、しゃべらんと」 「ふうん」 神様は横目で私を見た。まだ満足できない様子だった。 「神様は好かれたくないんですか?」 「その気持ちがよくわからない。神だからってとりわけ何かできるというわけでもない」 彼は瞳を伏せた。 「役に立たんから好きにならんって、そんなことはないと思います。神様を崇めるのは昔からの慣習みたいなもんで、存在自体がありがたいって町の人達は接してくれるんじゃないかな」 励ます意図はなかったのに、私は神様を励ましていた。といってもかなり微妙な内容である。 「じゃあそういうことにしてみる」 神様はすんなりと受け入れた。もしかしたら、会う人々に同じ質問をして答えを得た後試行錯誤しているのかもしれない。 私は彼を見上げた。彼はすっと体を起こし立ち上がった。長い髪がさらさらと音を立てた。 私もつられて起き上がった。 「あ、ヤメさんだ」 彼がつぶやいた先には麦藁帽子を被った腰の曲がったつるつる頭のおじいさんが畦道を遠っていた。 ヤメさんも神様に気付いたらしく手を振った。 「今日は弥生さんじゃあないんか、えらい若い子やんか。神様も思春期かねえ、若いもんはええのう〜はっはっは」 と大声で叫んだ。 (おい!) 私は恥ずかしかった。それより“若いもん”って神様の実年齢はヤメさんよりも年とっているはずなのに、思春期はもうとっくの昔のことではないのか。 (でもいくつなんかな) 素朴な疑問が沸いて来た。ヤメさんが通りすぎた後私は神様に尋ねてみた。 「あの、神様はいくつなんですか?」 「わからない」 「…くらい長生きしてるてことですか?」 「たぶん」 (えらい適当やな…) 私は呆気にとられていると彼は溜息をついた。 「いくつでも構わない。神と人間が恋をするわけでもないんだから」 (まあ言われてみれば…む?) 今“恋”て言ったよな?なんでいきなり神様が甘酸っぱい、あるいはしょっぱい語句を使ったのだろう。 「神様は誰かに恋をしたことがあるんですか?」 「さあ。同じ形以外のものには入り浸ったけど、それは恋ではないらしいな」 「うちもようわからんけど。そういや、神様の名前って洒落てますね。春の恋なんて」 神様は困ったような顔をした。 「私がそういうことにあまりにも夢頓着すぎるからと、両親が心配してつけた名だ」 「へえ〜」 神様は少し照れていた。恋がよくわからないといいながらなんとなく感じてるんじゃんかと、愛らしく思った。 「じゃあいい恋ができるといいですね」 私はにこやかに言った。神様は気まずそうな表情をした。 「その妙な敬語はやめてくれないか。どうも聞き取りづらい」 「ああ、うん」 私は何だかどきどきした。敬語を使うなと神様直々の命であれば喜んで従う、その方が楽なだけだが。 「そろそろ帰ろうかな。あんまり長居してひきとめたらあれやし」 “あれ”って何だよと突っ込みながらも、神様もそうそう人間にかまっている暇はないだろうと思い、私はさりげなく帰るそぶりを見せた。 「もう帰るの?まだ昼寝してていいのに」 嬉しいような嬉しくないような引き止め方に私は滑り転げそうだった。 「じゃあもう少し…」 と私がお言葉にあまえようとするとふわっと大きな風がふいた。 柳の木がゆらゆらと揺れた。葉っぱがまだなびいていた。 「ししゃもだよ」 「へ?」 「ししゃもは“柳葉(やなぎのは)”と書く。形が似ているから」 「そなんや」 言われてみれば、垂れ下がる枝の無数の葉っぱは、楕円形に近く、遠目では小魚が釣り下がっているようだった。 私は感心した。神様は雑学知識も持ち合わせているようだった。 「あ、昼寝するんだったか。邪魔してすまない」 「いえいえ、説明どうも」 私は首を必要以上にふってから神様の寝ていた位置に寝転がった。 (気持ちいいにゃー) 縁側でひなたぼっこする猫の気持ちになった。うとうとと瞼が重くなりうっすら目を閉じた。 それから五秒ぐらいして目を開けると神様が覗きこんでいた。 「わっ!」 あまりにも至近距離に顔があったために私は飛び上がった。 (何やのも〜) 私の心臓は左右前後になるくらいバクバクいっていた。 「こんなとこで寝ていると危ないぞ」 「え、神様も寝てたやん」 「一人じゃなかったし。話してたし。誰かに襲われる」 神様に真顔でいわれたら急に怖くなった。 「なんて」 彼は鼻で笑い出した。 「聖域で争いは禁止だ。倒れていると間違えられて起こされるな」 「そういうことがあったん?」 神様は笑いを止めギクッとした。 「あれは十年くらい前のことか…いつものようにここで昼寝をしていたらどやどやと人がやってきて。驚いてそのまま飛び去ったけど」 「それ神様じゃなくても昼寝してる人ならびっくりしたやろうな」 私は笑いをこらえた。こういちいち説明してくれるところが外見に似合わず快かった。 「私は弥生さんに会った時の方がたまげた」 「はは、弥生さんこの頃は来やへんの?」 「東京に出かけてるらしい。一ヶ月くらい」 「寂しいなあ…」 「いや、やっと心の平安が訪れた」 神様は涼しい顔したまま言う。 私には“やっと”にいろんな苦労が込められていることがわかり、にやけてしまいそうだった。 人とこんなにペラペラしゃべるのは何年ぶりだろう。 友達やオカンともしゃべるけどそれは気心しれた仲であるからであって、見ず知らずに近い人に声をかけて自分から聞きだすことなんて滅多になかった。 神様だからそういう能力もあるのだろうか。現に弥生さんやヤメさんやその他諸々の町人を引きつけている。中には引き寄せられている人もいるかもしれないが。 日常とは異なる体験をして新鮮な気分を見出しているのだろう。 ということは日ごろ私は倦怠感を抱いているのか…誰でも世間一般ではそんなものだ。 でも、明らかに私は今とても幸せに近かった。心の平安ならず心のやすらぎを与えられているように。 茲賀津に帰ってくるとそれを一番に感じる。何もなく田んぼが広がり潮の香りのする小さな町だが、私にとってはその何でもなさそうなもの全てかけがえのないよりどころであった。 「神様って変や」 「変?」 思わず私のつぶやきが彼の耳に入ってしまった。 彼は怪訝な顔をしていた。私は笑いをこらえて首を振った。 「変っていうか不思議やなあって」 すると神様は少し納得がいったのか表情を戻した。 まあ、実際はどっちも含んでるんやけどな…心の中で秘かに思いながらも私は彼を混乱させるのはやめた。 「ここにいると自然に会話がつながる。話してて楽しいなと心底から思う。しゃべらんでも寝そべってるだけで心がすっと浄化されてくような」 「住み慣れた土地だからだろう」 「それもあるけど…神様の影響もあると思う」 「どんな?」 「え?やからその、なあ…ははは」 私は問われて急に緊張した。 流れのままにしゃべっていたら大変なことになりそうだった。 何が大変なのか自分にもよくわかっていないのだが、口に出すのは恥ずかしくてバカげたことだと思った。 神様は理解不能な面をしていた。私と目が合うと彼はじっと見つめる。 そこから心内を察するかのようにじいっと。彼が瞬きしない間私は十回以上瞬きしていた。 面食いな人なら確実に卒倒する彼の清涼な目力は、私にとっては無言の会話であるかのように心が高鳴っていた。 (神様にときめいても仕方ないよ…) 私は何度となくそう言っては諦めた。いつの間にか自分も神様に遭遇した人々と同じように、彼に惹かれていることがわかった。 「あ、明日紫音と京の神社に行って来るの。そこがどうも怪しいから」 私は腹黒い心の中を覗かれる前に話題を変えた。 「なるべく赤の他人のフリをして行け」 「紫音も同じこと言ってた。参拝客に紛れろって」 私はおかしかった。だいたい考えることは神様も同じなのだと思うと親近感がわいてきた。 彼はバツの悪そうな顔をしていた。 「紫音がいれば大丈夫…ってうちもオカンみたいなこと言ってるなあ…でも絶対京の神社にも神様にも平和が訪れるようになるよ」 と言うと神様は視線を落とし思案顔になった。 (うち変なこと言ったかな、“なる“なんて第三者みたいな言い方まずかったかな…) 私は不安になりながら神様の反応を待っていると、彼はすっと顔を上げた。 「そうするためにあなたはつらい思いをたくさんしなければならないのではないか?」 「そりゃそうかもしれへんけど。これも人生の試練ってことで。世の中にはつらいこと苦しいことしてできてると思う、ってうちごときが悟ったみたいにアホらしいけど」 「アホではない」 「んじゃバカ?」 私がすかさず聞き返すと神様はくくくと確かに声を出して笑った。 「アホでもバカでもない」 はっきり言いきった彼の笑顔はまるで泣き顔。 私はまた彼に見惚れてしまって言葉が出てこなかった。当初はこんなはずではなかったのに。 彼の顔というより彼と会話してくうちにだんだん思いが表に出てきているような感じがした。 「あなたたちに会えてよかった」 「それ遺言じゃないよな?」 「遺言なわけがない。人に請いておいて自分は勝手にするなんて失礼だろう」 「神様って変やけど、常識ある人なんやな」 「神々に常識はない」 私たちはお互いに笑った。 神様がこんなにぼけてくれるとは思わなかった。しかもそのボケは天然と思われ自分では気がついていないところも神業だった。 私はそんな彼と別れるのも後ろ髪引かれる思いだったが、そろそろ明日のためにも帰ることにした。 「じゃあそろそろ本当に帰るよ」 私が立ち上がると同時に彼も立ち上がった。 「何かわかったらまた紫音と伺います」 私は丁重に挨拶してその場から去っていった。 次の日の六時に私と紫音は、もこもこ神社に行くために正門で待ち合わせていた。 いや、正式にはもこもこ神社ときゃも川周辺めぐりをするためだった。 六時前といってもまだ日は沈んでいなかった。山々からはセミのシャワシャワシャワという鳴き声がうるさかった。 「お待たせ」 紫音が六時すぎにやってくると私たちは出発した。 もこもこ神社は一回だけ行ったことがある。 きゃも川に沿って歩いていき何本目かの道を曲がって行った奥にある。 京は碁盤目状にできているから迷わないと塗屁先生が言っていたが、似たような光景で錯覚に陥ることもある。 あとはせせこましいのにやたら車が多く通るということだ。 ギオンの小花見小路なんか風流で京の昔の町並みが残って綺麗なのに、車両が通ると幻滅する。 特に夜はタクシーが我が物顔で真ん中を走るので友人知り合いのほとんどは車両禁止を願っている所存である。 しかしもこもこ神社はその心配はいらない。きゃも川沿いの道路とその歩道沿いに建っていて、人車分立されているからである。 京の夏は日差しがきつかった。この時間になってもまだ日傘が手放せないほどで、私も紫音も黒い傘を差して進んでいた。 およそ二十分。私たちは神社の鳥居までやってきた。ここから見渡したところ、人の気配はなかった。 ここもしその葉神社と同様とても小さな神社だった。しかし明らかな違いがあった。こぎれいで賽銭箱が健在していた。 「ま、そんなうまいこといったら苦労しないよね」 紫音は予想通りというふうに中に入っていった。私もそれに続く。 「御神木になんか置いてある」 本殿の隣に植わった大きな木の幹の分かれ目に何かちょこんと乗っていた。私は確認しようと木に近づいていった。 「人形?」 それはプラスチック製のうさぎの置物だった。 「それ神社の不思議だよ」 「不思議?」 私は振り返り紫音に問うた。 「毎日違うものが置かれていて、それがいつ誰が変えてるのかはわからないんだって」 「なんか怖いなあ」 「きっと早朝に子供が置きにきてんでしょ」 「えらいさっぱりしてるなあ」 私が笑うとはっとした。 「こなき?」 重い…すごく重たい感じがする。それも背中から腹にずばっと一直線に射られているような痛い重さ。 「紫音、後ろ誰かおらへん?」 「後ろ?」 そっと彼女は振り返りまた私の方に向き直った。 「いるよ、彼女が」 「むう」 私は喉を鳴らした。なぜ彼女の気配を感じるとこうも気分が悪くなるのかわからなかった。 紫音はそういうのに慣れていたとしても、瀬次君が会った時、不快感に襲われなかったのは疑問だった。 「こっち近づいてきた。帰るふりして鳥居まで戻ろう」 「うん」 紫音の言うとおり私たちは御神木を観察して帰るふりをして彼女とすれちがった。 「はあ〜」 「こなき大丈夫?」 「うん、平気平気」 私は無理に笑顔を作った。 すれ違った時息を止めていたが、逆に息苦しかった。 私たちはそっと素持の行動を眺めていた。 「背中に目ないよな?」 「ないよ、そんなもん」 警戒しまくる私に紫音は呆れ笑い出した。 「ずっと本殿の中見てるなあ」 「後ろからだと何やってんのか見えない」 紫音の言うとおり、本当に後ろからでは起きているのか寝ているのか飯を食っているのかさえわからない。 飯はないとは思うが。それでも私たちはじっと観察し続けた。 しばらくすると彼女はぱっと右腕を横に伸ばした。 それと同時だったのかいつの間にか左手には杖が表れていた。 彼女の背丈くらいの柄が黒で先端が銀色の花びらのような形をしていた。 「越己者ってあんなん使うの?」 私は紫音にこっそり聞いた。 「杖?高度な越己を使う時にはいるんだよ。おそらくあれに神様たちの力を取り込んでるんだ」 「へえ〜あ、光ってる!」 素持が手にしていた杖の先端が赤く光っていた。そして顔面にぶわっと風が吹き付けた。 「わっ」 彼女の髪が広がり揺れた。そして本殿の中から黄色い光が彼女の伸ばした右腕に流れ込んだ。 みるみるうちに彼女の細い腕に蛇が這うかのように青紫色の模様が移っていった。 (あれは…) 私は見覚えのある模様に声を上げそうになった。 「あの腕の模様、神様と同じ」 「また新たに力を取り込んだんだ。なんてヤツ!」 紫音は鳥居に思いっきり爪を立てていた。 光が消えると素持は腕を下ろした。杖も消えていた。そしてクルリと踵を返した。 「あ、やばっ。こっち来る!」 「見てなかったフリや!」 今更そんなことできるわけないと思いながらも、私と紫音は極力世間話をするよう努めた。 そうこうしているうちに、素持が私たちの隣を通り過ぎた。かと思ったら彼女はそこで足をピタリと止めた。私と視線が合った。 瀬次君の言っていたように、吸い込まれるようなその瞳には魅入ってしまうようだった。 しかし、後からぞぞぞっときちんと悪寒はやってきた。 彼女は無言でふっとかすかに笑みをこぼすとそのまま去っていた。 なんとか切り抜けられた私は紫音に声をかけようとしてぎょっとした。 「あいつ、今鼻で笑った」 ダンダンと砂利を踏みつけた紫音はものすごく悔しがっていた。 私は傍目で彼女の怒りがおさまるのを待っていた。 |