ぽんぽこぽーんのおまじない(6)
縁側の扉を開き美高を探してみたが、どこにも見当たらなかった。
この非常事態って時に!私は怒りと焦りが混ざりあっちこっち行ったりして迷っていると、階段を下りてきたリンちゃんもどきがゆっくりと歩数を進めてきていた。
「慌ててどこへ行くと思ったら…」
ぴたりと立ち止まった私は身構えた。
「君に危害を加えるつもりはないんだから」
すっと手を伸ばし、私の頬に触れようとした瞬間、
「やめろ!!」
と叫ぶ声が辺りに響き渡った。
(和央!…自転車?)
庭の中央にはミニ自転車を担いだ和央が息を切らして佇んでいた。彼は自転車を庭の隅に寄せると縁側へ走って来た。
「ぽんこ大丈夫か?」
「うん、助かったよ」
「こいつは鈴喜じゃないんだな」
「和央も知ってたの?」
「ぽんこ怖がってたからな。本物なら大切な幼馴染にひどい思いさせないだろ。こいつは偽物だ」
「見破られてたらなしょうがないか…」
彼は驚くこともなくニヤリと笑った。
「ぽんちゃんの名前、教えてあげようと思ったんだけどね」
「おまえ、ぽんこの名前を!?」
「もちろん、知ってるよ〜」
彼はおどけた調子で言う。
それをイライラしながら見ていた和央が
「さっさと教えろ!」
と急かした。
「やだなあ〜タダってわけにはいかないよ〜」
彼はにっと笑って私を見た。
「ぽんちゃんが僕の彼女になってくれたら教えてあげるよ〜」
「なんだと!ふざけるな!ぽんこはモノじゃないんだぞ!」
「それくらいわかってるよ。ずーっと見てたんだからね」
「ずーっと?」
私は背筋に悪寒が走った。
「そう、エレベーター内で出会ったあの日からずーっと君を…」
「エレベーター…もしかして華絵さん!?」
「ピンポーン!大当たり〜!」
彼は両手を上げてひゃっほうと喜んでいた。
根暗そうで気味の悪いロン毛の華絵さんが、なぜ爽やかイケメンのリンちゃんに化けてここにいるのか。目が点な私に華絵さんは語り出した。
「シャイで無口な僕だったけど、あのマンションに引っ越してきて「試練」を体験してから変わったんだ!僕は他人の試練の世界に入ることができる!そこでは念じるものに変身できて、他人を自由に操れた…こんな魔法使いのような素晴らしい力を手に入れたんだよ」 「そんなことが可能なのか?」
「きっと神様が僕に力を下さったんだ。愛する人と一緒にいられるようにと」
華絵さんはぱっと私の両手を取った。
「君こそが僕の理想の女性なんだ!」
「ええっ!?」
「顔も声もスタイルも性格も、もう全てパーフェクト!まさに僕のエンジェル!」
「そんな歯が浮くようなことをぬけぬけと…」
若干、いやかなり引き気味の和央に私も同感で聞いているこっちが恥ずかしくなった。
「手放せよ、キモ男」
和央は華絵さんの手をぱしっと振り払い、私を護るように彼の前に立った。
「キモ男だと!?失礼な!たまに声かけられる程度なのに、それだけで妄想しちゃいけないという法律でもあるのかい?」
「ないけど、される側としては気分悪いな」
「君のようなモテる男には僕の気持ちなんてわかりっこないさ。これは本当の恋なんだ!」
華絵さんは声高らかに体を反らせて叫んだ。
「玄関に飛ばされた洗濯物を届けに来てくれたときのあの優しい笑顔、廊下ですれ違った時に会釈してくれる温かい眼差し…あげるとキリがないくらいだよ、ふう」
彼はし至極御満悦だった。 確かに洗濯物を届けたことも、廊下ですれ違うこともあったが、住人としての挨拶とスマイルにすぎなかった。それを彼は完全に自分に好意を抱いているからだと勘違いも甚だしかった。
「で、鈴喜に化けたのはなぜだ?」
和央は冷静に彼に尋ねた。
「彼に化ければ、ぽんちゃんとお近づきになれると思ってね。顔形、喋り方もそっくり!でも、メロンパン犬は想定外だったなあ」
「温泉犬やって」
私はすかさず間違いを指摘した。
「ふふっ。そうやってムキになるとこもかわいいなあ〜」
くねくねと体を曲げる仕草に気が萎えた。
「リンちゃんの姿でその喋り方やめてよ」
「はいは〜い、仕方ないなあ。えいっ!」 ドロンと白い煙が立ったかと思うと、現れたのは元の華絵さんだった。けれども、黒ぶちメガネはかけていなかったし、髪も短くなってさっぱり、しかも今風の若者っぽくワックスでバッチリ整えられていて根暗の雰囲気など微塵もなかった。
「あっ、もしかして、カッコイイって思ってくれたのかなあ?」
華絵さんは「てへっ」と舌を出して少し顔を赤らめた。
おいおい、まだ何も言うてないし!でも、少し手間かけただけで好青年に変身できるなら、日常もそうしたほうがよいのではという考えがふとよぎった私は
「そうやね、そっちのが前よりも全然ええよ」
ついつい褒めてしまった。
「ホント!?やったー!」
彼はくるりとまわった。
「おい、喜ばせてどうするんだよ!」
和央が呆れ顔で言った。
「ごめん。逆言うよりマシかと」
「ぽんちゃんは素直で優しいんだね」
華絵さんはキラキラと瞳を光らせて私を見つめていた。
「無駄話はここまでだ。早く名前を教えろ。さもないと…」
和央は拳をギュッと握りしめた。しかし、華絵さんは動じることなく
「やだなあ〜暴力は嫌いだよ?」
と意地悪く笑った。
「僕の言ったこと忘れたみたいだね。僕は他人を自由に操れるんだよ?伏せろ!」
ドタッ!といきなり和央がその場にうつ伏せに倒れ込んだ。
「…ってぇ!!」
「和央!」
私は彼を起こそうと肩に手をやった。
「こんなのはほんの序の口にすぎないよ。大人しくぽんちゃんを渡してくれたら…」
「誰がお前なんかに!」
「あれ〜また逆らうんだ〜?」
瞬時に彼が苦しむ様子が浮かんだ。
「待って!」
私は彼の身体から手を放した。
「そっち行くから和央を傷つけんといて」
「ぽんこ!?」
ぐっと歯を食いしばっていた和央を安心させるように微笑んだ。華絵さんは私との距離が近づくに連れてニヤニヤと頬を緩めた。
「これでようやくハッピーカップルになれたね〜」
ハッピーカップルって、あんたの頭がハッピーやよ。傍に寄りたくないあまりに顔を背けていたら、彼は私の腰に手を回しぐっと引き寄せた。
「わっ!?」
「では、まずは愛の印を…」
彼は目をつぶり、唇をタコのように突き出して顔を近づけてきた。
一発殴ってやろうかとも思ったが、こういう人に限ってブチ切れると手に負えないタイプかもしれないと恐れてしまい腕を上げられなかった。
「ぎゃーいやー!!やめろ〜っ!!」
絶体絶命の危機。私が目をつぶった瞬間、
チリンチリーン!ワンワンワンッ!!ドゲシッ!
「ぎゃっ!!」
何かが華絵さんに直撃して突き飛ばした。
「ストロベリー!」
足元にはしっぽをフリフリしているストロベリーがちょこんとお座りしていた。
「助けてくれたんやね、ありがとう」
私はストロベリーを抱き上げて、頭をよしよしと撫でてやった。
彼はしきりに中庭の方に首を伸ばしていた。その視線の先には真剣な面持ちの美高がいた。
「姫様!ご無事で!」
彼は植木の葉っぱを体いっぱいにくっつけたまま私の元へ駆け寄った。
「ストロベリー砲のタイミングはバッチリでしたね!」
「ああ、うん、バッチリ…」
私はその場の雰囲気にのまれてつい頷いてしまった。
華絵さんはというと、尻もちをついたままストロベリーを見てガタガタと肩を震わせていた。
「どうやら犬が苦手らしいな」
和央がボソリとつぶやいた。
ストロベリーはクルクルとその場で何回転もしたり、柱にアタックしてみたりと気ままにふるまっていた。
首を何度も左右に振る姿気になったのか和央は
「首輪が邪魔なのか?」
とストロベリーの首輪をはずしてやった。大人しくなったストロベリーをぱふっと掴むと華絵さんの向けた。
「よし!あいつに噛み付くんだ!」
ストロベリーは、「ワン!」と一吠えすると華絵さんに向かってダッシュし、彼の左脚にかぷっと噛み付いた。
そう、かぷっと甘噛み。
「キューン…」
尻尾を振りながら頭を脚にこすりつけていた。私達はあっけらかんとしていたが和央は気を取り直して言った。
「攻撃はできなくても犬嫌いなら触れるのさえ嫌がるはず…ってあれ?」
華絵さんは嫌がるどころかそのまま抱っこして頭を撫でているではないか。
「おまえ、犬苦手じゃなかったのかよ!」
華絵さんは鼻高々に笑った。
「ふっふっふ。残念だったねえ〜僕が苦手なのは鈴の音なんだよ〜」
「あ、言うた」
「はっ!しまったっ!」
華絵さんは抱きかかえていたストロベリーをぱっと放した。
「おまえ、バカだろ」
自らの弱点を暴露した華絵さんに和央は対峙する気も削げてしまったらしい。その隙を狙って首輪を再びストロベリーにつけようと試みた。
「ストロベリー!こっちに来るんだ!」
「クゥーン…」
パタパタパタ…
ストロベリーは嫌がってキッチンの方に逃げて行ってしまった。
「うーん、自分で振るしかないのか…こんな小っこいのじゃなあ」
和央が思案顔で首輪を持って鈴を鳴らしていると、
「さあ、こっちにおいで〜ぽんちゃ〜ん」
華絵さんが満面の笑みで一歩ずつ近づいてきてた。
他に撃退する手段は…その時私はあることを閃いた。
「もっと大きな鈴があればいいんやよ!」
「大きな鈴?そんなものがどこに?」
「わたしがなる!」
わたしはぱっと手を合わせて念じた。大きい鈴、で思い浮かんだのは神社のお賽銭をあげるときに鳴らす鈴だった。
大きい鈴になれ!ぽんぽこぽーん!
もくもくと白煙がたちこめたかと思うと急に体が重くなった。一歩進むと「カラン」という音が鳴った。
その音に華絵さんがビクッと反応し足を止めた。
(これは効果あるかも!)
ようし、こうなりゃ…私は両手を床について前転をした。
からんころん。
目の前の華絵さんは怯えていた。
「くっ!」
「こら!待てっ!」
縁側から中庭へと飛び降りた。その後を和央と美高が追う。
私も重い体をよいしょと起こし中庭に下りた。竹垣の出入り口に向かう華絵さんを引き止めるため全力疾走ならぬ全力前転し始めた。
からころからころからころ…
勢いつきすぎだせいか、球形に化けたせいか止まらなかった。もはや、癒しの音色ではなく、幼稚園児がお遊戯会で鈴を振りまわすような無造作音に、鈴になった私自身も耳がだんだん痛くなってきた。 両耳を抑えて走っていた華絵さんが石段につまづいてよろめいた。
よし、チャンス!と思ったが、ころころまわり続けていてブレーキがきかない。そもそも、鈴にブレーキなんてついていない。
(止まら〜ん!)
「ぽんこー!ぎゃっ!」
食い止めようとした和央がバタンと仰向けに倒れた。
「和央!」
振り返る暇もなく前方には大きな庭石が…
突っ込む!と思い目をつぶった瞬間、がしっと両手で肩を掴まれる感覚がした。
「姫様!ご無事ですか!?」
「美高!」
ふっと体の力が抜けた私を彼は腕でがしっと受け止めてくれた。
「ふう…ありがとう。助かったよ」
化けていたおかげか傷つきはしなかったものの、頭はふらふらでしんどかった。凡人に鈴の変化はきつかった。でも、少しは効果があったのなら…と前方を見やると、華絵さんはふうと額の汗を拭い、涼やかな顔でこちらを見つめていた。 私の変化は徒無駄骨を折っただけだった。
「なんか、意味なかったなあ…」
「そんなことありませんよ!見事鈴になりきっていらっしゃいました!」
「あ、ああ、そう…経験値は増えたかもね」
修羅場が修行場と化した数分。変化は成功したといっても、当の本人にダメージがなければ無駄に等しい行為だった。
「ぽんこ、怪我はないか!?」
左肩を押さえてやってきた和央は心配そうに尋ねた。
「目が回ったけど大丈夫。それより、肩…」
「ああ、おれも無茶したなあ」
和央はハハハっと笑った。しかし和やかなムードも長くは続かなかった。華絵さんの冷ややかな視線が和央に注がれていた。
「どうして人の理想をけなすのかなあ?」
「理想はないと困るけど、現実に向かわんとただの妄想に過ぎんのやよ。あなたは勝手に私のイメージに作り上げてるだけ!」
「おまえのいる世界がどんなのかは知らないけど、これ以上大切な人を苦しめるっていうんなら容赦しない!」
「お二人を傷つける方はどんな方であろうとも許しません!」
私達三人は彼を睨みつけていた。しかし臆することなく華絵さんは余裕の笑みを浮かべた。
「所詮、君たちは盤上の駒にすぎない。一体何ができるというんだい?」
その言葉に私も和央も美高も反論できなかった。
「これ以上話していても無駄だ。さあ、行こう。ぽんちゃん」
彼はすっと手を差し伸べた。私は自分の意思でパシッと振り払った。
「やっぱり、わたしには大事な人を置いていけへん。それにわたしの人生はわたしが決めること」
「ふっ…ぽんちゃんならそう言うと思ったよ。でも!」
がしっと私の右手首を強引に掴み引っ張った。
「わっ!」
「ぽんこ!おい!放せ!」
和央は後ろから私の左腕を両手で抱え込んだ。
「邪魔だよ」
ドッ!
華絵さんが手をかざすとともに和央は池まわりの庭石に向かって弾き飛ばされた。
「和央っ!!」
すぐさま美高が彼の側に駆け寄った。
「おれはいい!ぽんこを!」
美高は振り返り、
「その薄汚い手を放せ!」
と真っ向からやってきた。
「君もジャマだよ」
「ぬぉっ!」
「美高!!」
背中から砂利に叩きつけられてもなお美高は再び起きあがろうとしていた。
「ふう〜ん、案外しつこい奴らだねえ」
私はいてもたってもいられず彼の前にぱっと両腕を広げて庇った。
「待って!どうしてこんなこと!?」
「僕にも思い描いていた夢があるんだよ。それがもうすぐ叶いそうなんだ。愛する人とずっと一緒にいられることが」
「それは本当にわたしなん?」
私はまっすぐに彼を見上げた。
「もちろん、そうだよ」
彼の返事に私はため息をついた。
「あなたって悲しい人なんやね。自分の思い通りにならんからって人を傷つけてまで…わたしがそんな人を好きになると思うん?」
「……」
「恋人どうしってのは、どっちか一方に合わせることじゃないんよ。相手のこと受け入れることなんじゃないの?」
和央が私にそうであったように、本物のぽんこでなくても優しく気兼ねなく接してくれて、心から身を案じて今も私を護ろうとして一生懸命になってくれている。
「あなたは、私はこういう人!って言うてるけど、わたしのこと表面だけしか見れてないと思うよ。見た目なんて関係ない、私は相手のことを人として尊敬できて、共に成長してけるって人じゃないと一緒にはなれへん。まして、私の大事な人にひどい思いさせる人なんて嫌い!」
外見がどんなにかっこよくなったって、自分中心ばかりではにわかイケメンにすぎず、どんなに愛の言葉を並べられてもうわべだけでは私の心は揺らがない。
私の本音がよほど華絵さんの心に突き刺さったのか、彼は唇を噛みしめてぐっとこらえていた。

そこにふと誰かの足音が聞こえてきた。
「冴?」
和央の声に後ろを振り向くと冴が縁側から下りて中庭へやってくるところだった。険しい顔つきの彼に私は我に返るかのように周囲を見回した。
丁寧に整備された砂地は、そこかしこに走り回った足跡、私が鈴に化けて転がった跡等がくっきりと残っており、また、植木の葉っぱも地面に無茶苦茶に散らばったせいで完全に趣を失っていた。隅々まで手入れが行き届いた立派な日本庭園を荒らされた者の気持ちを考えたら怒り心頭に達するに違いないだろう。
冴は私が見ている限りでは喜怒哀楽の変化に乏しいほうだったが、今の彼は誰がどう見ても不機嫌極まりないオーラ全開だった。私はひやひやしながら彼の行動を窺っていたが、彼の口から出たのは淡白な台詞だった。
「一体何がしたい?」
「何って、ぽんちゃんとラブラブカップルになることだよ」
「当の本人が拒否しているならそれは果たせないと思うが?」
冴は華絵さんのおどけた調子に惑わされずあくまでも冷静沈着に答えていた。
彼も怒りや苛立ちの念も抱いていただろうが、それを表に出さないでいられるのはもともとの性格であっても、大人の対応と讃えたいくらいだった。
ぽんこへの想いにしても同じで、二人きりになる機会はいくらでもあり、どうとでもできたはずなのに、私を気遣って丁重に扱ってくれたことを思えば、華絵さんは一時の情に流されるただのナンパ野郎に見えて仕方なかった。
冴と華絵さんでは付き合い年数も違うけれど、それを考慮しても華絵さんの言動は本当に気持ち悪かったし、何より独りよがりすぎて腹立たしかったのだ。

華絵さんは邪魔をする冴に向かってパッと手を翳した。
「おまえも逆らうなら…」
冴は眉ひとつ動かさず彼に言った。
「手元をよく見るといい」
「手元?…何なんだ?これは!?」
彼は慌てて左腕の袖を捲ると、手首から肘にかけて紫色の痣が一面に広がっていた。
「あれって!」
私が冴に触れた時にできたものと同じ痣だった。
「え、でも、キツネ族がタヌキ族に触れへんと移らんのじゃ!?」
動揺する私に冴はおもむろに口を開いた。
「実際には敵対している者同士が触れ合って効果を発揮する術だ。おまえの奴に対する強い嫌悪感が引き起こしたんだろう」
「じゃあ、本物じゃないわたしにうつったのは?嫌ってたのは本物のぽんこのはず…」
「人間の本質は変わらないということだろうな。さすがの魔法使いもそこまでは読めなかったか」
一部始終お見通しという冴の嫌みはなぜか小気味よく感じられた。
「くそー!って、ここではなんでも思った通りになるんだ。きっとこの痣も…治れ〜治れ〜」
右手で左手首念を送り始めた華絵さんだったが、いっこうに治る気配はなかった。それどころか逆に腕の方まで広がってしまっていた。
「どうして!?僕の意思じゃないのに!」
慌てふためく彼だったが、
「そうか…じゃあ、僕の憎い相手にぶつければ…」
とニヤリと和央を見やった。
その刹那、ピーンと頭の中に糸が張った。華絵さんがまさに和央の腕を掴みにかかろうととした瞬間、私は素早く彼の後ろに回り込んだ。そして両手の指を組み込みぎゅっと力を込めてお尻目がけて一発かました。
ブス、と鈍い音が響いた後
「いっ……!!」
華絵さんの悶絶する姿が目に入ってきた。彼は左手でお尻をさすりながら息を整えていた。
「なんなんだ!これじゃ思ってたのと全然違う!」
「そりゃ当り前だろう」
体を起こした和央がしっかりとした口調で言った。
「お前にしたらおれ達は都合のいい駒かもしれないけど、おれたちにもちゃんとした意思がある。この世界で生きてる。おまえはその秩序をムリヤリぶち壊そうとしてたんだ。思い通りに行かなくて当然だ!」
華絵さんは茫然としていた。
「わかったならさっさと元の世界に帰れ」
和央の剣幕に尻ごみしたのか、彼はお尻をさすったままというみっともない格好のまま出入り口に向かった。
「今回は大人しく身をひくけど、名前がわからない限りぽんちゃんは帰れないんだからね!」
和央は心配そうに私を見つめた。でも、私はちっとも悲しくなかった。
「それでも構わんよ」
「ぽんこ…」
「名前探しに躍起になってたけど、和央がわたしを認めてくれてるならそれでいいんじゃないかなって。確かにわたしはここに存在しているわけなんやから」
私の返答をきいた華絵さんは納得しなさそうな表情だった。
「くぅ〜っ!悔しい!この非の打ちどころのない僕がどうして!?」
よくもまあそこまでナルシストになれるなあと私はもちろん、本人以外は皆呆れてモノが言えなかった。
静まり返った空間に、チリンチリーン!タタタタタ…と何かが駆けてくる音が。
「ストロベリー砲発射!」
植木の中に身を隠していた美高が頭を出すとともに勢いよくストロベリーを投げた。
ガプ。
彼は華絵さんのお尻に噛みついた。
「いてーっ!こら!離れろ!」
「ワン!ワワワワン!!」
チリーンチリチリーン!ガプガプガプ…
「ぎゃーっ!やめろ〜っ!!」
ストロベリーが本気を出したらしい。気まぐれなのか、美高のしつけが上手だったのかはともかく、吠えまくられるわ、鈴は鳴りまくるわ、噛みつきまくられるわ、の三重攻めでさすがの彼も泣き喚きながら中庭駆け回り、出入り口へ辿りついた時、ひゅっと彼の頬を鋭利な物がかすめた。
ガッ!
「ひいっ!」
刃渡り十五センチほどの包丁が戸の竹の間に突き刺さっていた。
歯をガチガチいわせながら怯えている華絵さんの視線を辿ると優奈が縁側に佇んでいた。彼女は縁側から下りてやってくると
「これ以上荒らしたら刺すわよ」
小型のナイフを取り出し彼を指した。顔面蒼白になった彼は
「も、もう来ませ〜ん!!」
声と体を震わせて足早に扉から外へ出て行った。
「軟弱な男だわ」
優奈は呆れながらも不敵な笑みをもらしていた。
「ありがとうございます…」
「ああいう何言っても無駄な奴には脅すのが一番なのよ」
「ここ一応病院なんだけど」
和央のつぶやきに優奈は満面の笑みで返した。
「怪我したら冴に治してもらったらいいだけのことじゃない。ね?」
彼女は隣にいた冴に同意を求めたが、彼はやれやれと首を横に振り家の中へ入って行こうとした。優奈も彼の後を追っかけていく。
「あ、待って!」
私の呼びとめる声に二人は振り返った。
「あの、ありがとう…いろいろと。わたし、上手くやってけるよう頑張ります。二人もこれからも仲良くね…ってわたしが言うことでもないんやろうけど」
改まるとすらすらと喋れず中途半端になってしまった。それでも優奈はからかうこともなく
「この人もケジメがついたみたいだし、よかったわね」
と冴を見やった。彼は
「過去に囚われずか…」
一人悦に入り、私に向かって一瞬微笑んだかと思うと再び歩き出した。