ぽんぽこぽーんのおまじない(7)
二人が家の中へ入って行くのを見届けた頃、ストロベリーが足元に走り寄って来た。
和央がよいしょっと持ち上げて抱っこした。
「褒めてほしいのか?よくやった、ストロベリー」
和央はストロベリーの頭を優しく撫でた。
ストロベリーは凛々しい顔つきで「ワン!」と一吠え。ご機嫌だった。
「そういえば和央、大丈夫やった?」
「うん、ありがと。ぽんこも無茶するよ。この痣キツネには効かないのに」
「あ、そうやったね。なんかもう無我夢中で」
「ううん、ぽんこのその気持ちが嬉しかった」
和央はほんのり顔を赤く染めた。
ふと視界の隅に和央が持ってきたピンク色のミニ自転車が目に入った。
「あ、ところで、なんで自転車担いでたん?」
「ああ、あれは…ここから帰るのに便利かなと思って借りてきたんだ」
「借りてきたって?」
「うん。歩くの大変だろうと思って、昨日の夜近所をまわってたんだ」
「てっきり怒って出て行ったのかと」
私は勘違いしていたことを情けなく思った。彼は私の肩に手をやった。
「違うよ、ぽんこをほっていくなんて絶対しないから」
「ありがとう…」
私は重なる事件をなんとか無事に乗り越えられてよかったなあとほっと一安心したものの、気がかりなことがあと一つあった。
「ここの世界へ来ても、たまにふとした時に昔の彼(ひと)のこと思い出したりするんよ。あの頃あんなことあったなあって。昔がよかったってわけじゃないのに記憶ってそう簡単には消えへんもので…忘れてないなんていいんかな?」
「ぽんこ…」
私の心の内を聞いた和央は目を丸くした。
「そんなの過去のことじゃんか。それに、その人達と出会って別れるってことになってなかったら、ぽんこと出会うこともなかったんだよ。んまあ、偶然出会ったとしても結婚まで発展することだってなかったかもしれない。そう考えたら不思議なもんだよなあ」
「そういうのをご縁っていうんやろね」
「そのご縁、これからもずっとずっと大事にしていきたい。だから…」
和央は私の手をとりまっすぐに見つめた。
「おれと結婚してください」
「…言うの二度目だけど、改めて今目の前にいるぽんこに言いたかったんだ」
彼は照れくさそうに頭をぽりぽりと掻いた。心の奥底からじーんとあたたかいものがこみ上げてきた。
「はい!不束者ですがよろしくお願いします!」
笑顔で答えた私に彼もにっこり微笑んだ。そしてそのままぎゅっと抱きしめてくれた。
オーンオーンと男泣きする声が…植木と同化していた美高が滝のように涙を流していた。
「お二人の愛はなんと深いものなのでしょうか!!私、感極まって泣かずにはおれません!泣かせて下さい!」
許可を得る前に既に大泣きしている美高をバックに、私は彼の胸に顔をうずめながらいろんなことを考えていた。
一昨日感じていた不安はすっかり消えて失せて、今は安堵感に包まれていた。あまりにも心地よかったためか次第に眠気が襲ってきた。
「眠たくなってきた…」
「疲れたんだろ」
和央はそっと優しく頭を撫でてくれていた。
「でも、ホントに寝てきそう…」
彼に触れている感覚さえだんだん夢見心地になってきてうとうとし始めた。
「ぽんこ?」
なあに?彼の呼びかけに応えようとするも力が入らず、ふにゃふにゃ意味不明の言葉が出てくるだけだった。
「ぽんこ!」
そんなに大きい声出さんでも…寝させて…
「ほうちゃん!」
ほうちゃん?わたしの名前はぽんこ…
「ほうちゃん!大丈夫!?」
(え、ほうちゃん?)
私はバッと顔を上げた。そこには心配顔のリンちゃんがいた。
まわりもいつもと変わらない雑然とした私の部屋だった。
私はひとまず落ち着いて
「わたしの名前って…」
「どうしたの?ほうちゃんは赤羽宝子(あかばほうこ)じゃないか」
「あ!ああ、そやった」
ようやく思い出した…って、
「いてててて!」
私はリンちゃんの頬を思い切りつねった。
「リンちゃん本物?本物?」
「本物だよ!」
彼は少し怒っていた。
「ごめん…」
「昼寝してたらほうちゃん、全然起きなくて心配したんだよ。ちゃんと息はしてるのに、ゆすっても目開けなかったから、どうしたのかと…」
「そうやったんか。ごめん」
「ほうちゃんが謝ることじゃないよ。無事でよかったよ」
リンちゃんは優しく笑った。私はその温かい笑顔に安心した。
ふと壁に掛けてあるカレンダーを見ると今日の日付に赤で丸印が付いていた。
「あの印、今日って…」
「そうそう、婚姻届出しに行くとこだったんだよ」
「え?ああ、そうやったねえ」
私は危うく忘れるところだった。いや、向こうの世界にいる時はすっかり忘れていた、というか思い出せずにいた。
「どうする?もうちょっと休んでから行く?」
「いや、いいよ。行こうか」
私は平静を装い先ほどの夢か現かわからない現象に戸惑いつつも起き上がった。
「!」
ふと右手首を見て声を上げそうになった。かすかにインクのシミのような跡が残っていた。
やっぱり、現実やったんか…その刹那、向こうの世界での出来事が走馬灯のように駆け巡った。 婚約者の和央、ぽんこの従者の美高、和央の従兄で元恋人の冴、その妻の優奈、ペットのストロベリー、そして…華絵さん。 そういえば、彼はこちらの住人だけれど今はどうしているのだろうか。 あの自己陶酔ぶりで話しかけられたら…というのを考えただけで寒気がしてきた。
「大丈夫?」
リンちゃんが私の顔を覗き込んだ。
「ちょっとね…夢を見たんや。夢の中のわたしは別人なんやけど、昔の恋人に迫られたり、変な男の人に言い寄られたり…最終的には彼氏が追い払ってくれたけど」
「そうだったのか…それは怖かったね」
彼は私の手をぎゅっと握ってくれた。
「大丈夫だよ。僕はどんなことがあってもほうちゃんを護るって決めたんだから。スーパーマンみたいにすぐに飛んではいけないけど」
「リンちゃん…」
「不安があるのはわかるよ。僕はまだほうちゃんのことほんの少ししか知らない。今までのこととか、これから二人で夫婦として上手くやっていけるのか、どんな未来が待っているのか想像もつかない。喧嘩して口もきかないって日もあるかもしれない。
でも、僕は、ほうちゃんとならそういうの全部含めて乗り越えていけると思ったんだ。大好きなほうちゃんとなら向き合っていけるって信じてるから。なんか、言葉だけじゃ上手く伝わらないね…」
「ううん、リンちゃんに出会えて好きになって本当によかった」
私は思わず涙がこみ上げてきた。
「ああ、ごめんね。」
「ううん、嬉しくて…夢の中の彼氏は見た目は違うしちょっとヌケてるとこあったけど、リンちゃんみたいに優しくてかっこよくて、何より一番にわたしのこと考えてくれてたよ。きっとリンちゃんが助けてくれたんやろね」
「僕はその彼みたいに強くないよ」
謙遜する彼に私は首を横に振った。
「こんな頼りなくて危なっかしいわたしを支えてくれてるもん」
「そんなことないよ。ほうちゃんは強い人だよ。そんなほうちゃんが傍にいてくれるから僕も頑張れるんだよ」
リンちゃんは私をぎゅっと抱きしめた。そしてそっと優しく口づけした。
心安らぐほんのり甘い香りに包み込まれた。
「行こうか」
「うん」
リンちゃんに背中を支えてもらい体を起こすと身なりを整えて玄関扉を開けた。鍵をかけていると視線を感じると思ったら、華絵さんがドアから顔を出してじっとこちらを見つめていた。
そのなりは向こうの世界とはうってかわって、黒ぶち眼鏡をかけて長い髪の毛の陰鬱そうなモサ男の彼だった。
私は無言で手を組み人差し指を彼に向けた。すると彼は震えあがって片手でお尻をぐっと押さえたかと思うと、もう片方の手でバタンと扉を閉じてしまった。
手を下ろしふうと一息ついた私にリンちゃんが首を傾げた。
「何かのおまじない?」
「そうかも。幸せを護るための…かな」
私は笑顔で彼と手をつないだ。離さぬようしっかりと握りしめて。

夕焼けが西の空を金色に染め、私たちの行く先もほのかに煌めいていた。

(終)