ぽんぽこぽーんのおまじない(4)
お腹が満たされた私は部屋に戻り椅子に座りペンを取った。
落書きをしていると無意識のうちに、和央の似顔絵を描いていた。 似てねえ〜と自分で突っ込みながら諸々の落書きをしていると、ガチャと扉が開いた。 そこには鳩が豆鉄砲食らったような顔の冴が立っていた。 「何があった?」 今日の彼は和装ではなく、黒のスラックスに白いシャツというビジネスシーンではお馴染みの服装であるにも関わらず、斬新な気分がした。 「何がって…なにかおかしい?」 「洋服なんて嫁に行ってから着ればいい、と叫ぶほどだったというのに」 あ…そうか。ぽんこは和装好きやったもんね。私は合点が行ったものの切り返す言葉に戸惑った。 「こ、これは予行演習や!かわいい服とかあったし、着てみてもええかなあ〜って」 この天邪鬼な言い方のせいか、彼も 「まあ、似合わないこともないな」 と答えた。それにしても、この人、ぽんこと不仲だったというのによくいちいちのセリフ覚えてるよなあと思う。私は自分のスケジュールだけでなく、リンちゃんとのデートの約束さえ忘れかけるというのに。 攻める前にまず相手を知る!とは言ったものだが、一歩間違えるとストーカーだ。そこは気の強いと思われるぽんこが気合いではね返していたのかもしれない。 「さて、能力の件だが…」 冴は本題に入ろうとすると私は身構え、 「前言撤回します」 先手を打った。彼の眉がピクリと動いたが、落ちつき払った様子だった。 「昨晩は納得できたのか」 そういえば、リンちゃんに出逢って急に抱きしめられたりで予見力のことはすっかり忘れていた。うーんと考え込む私を見かねてか、 「頭でもぶつけたのか?」 と素で尋ねてきた。 「ぶつけたかな…」 記憶がないうちにもしかしてそんなこともあったかもしれないと思うとすんなり否定できなかった。そんな私を冴は明らかに不審な表情で見つめていた。 またまずい展開になってしまったかも… 「頭使いすぎて知恵熱を出しただけやよ。こう見えていろいろ忙し…」 その瞬間ピリッと電気のようなものが頭に響いた。脳裏に浮かび上がったのは、何かが倒れこむ鈍い音と立ちすくむ二人の影。 「危ないっっ!」 叫ぶのと同時に、冴の後ろにあった白いパイプラックがグラリと前方に傾いた。 私はさっと彼を両手で抱えドア側に避けた。 ドーン! 「いたっ!」 避け損ねた私の左足首にポールが直撃した。いたたたたた、私はその場に座り込み足首をさすった。靴下を脱ぐと赤く腫れていた。冷やさんと!と立ちあがろうとしたものの足に力が入らずガクリと転んでしまった。 「待て、動くな」 冴はすくっと立ちあがり私の後ろにまわると脹脛に触れた。冷やっと感に鳥肌が立った。彼は無言で足首に手を翳した。次第に足首まわりがじんわりと温かくなってきた。 一体何が起こったのか把握できなかった私はすっかり素に戻ってしまい、「魔法!?」と目を見張った。 「そんな怪しげなものを覚えた記憶はない」 彼は私の足首にじっと視線を注いだまま答えた。 「あ、ははは…そやったね」 私はニコニコと笑うしかなかった。詳しい事情は聞けなかったが、診療所があることからしても彼はこの技で患者を治療していたのだろう。私は感心しながら足元を眺めていた。 約三分後彼は私の足から手を放した。腫れはおさまり動かしても痛くなかった。 「あ、ありがとう」 彼は顔をプイと背けた。 「なぜ助けた?」 「え?なぜって、危なかったから。ラックで死ぬことはないやろけど、当たったらめっちゃ痛そうやん」 「逃げるチャンスだったのに。力の無駄遣いを」 「人を傷つけるためにあるんじゃないよ」 私はしっかり彼を見据えた。 「そりゃ、こんな偶然ないけど、そういうのって卑怯な気がして…それに、もうすぐ家族の一員になるわけなんやから、ずっとこのままってのもどうかと思う」 私はいつの間にか本物のぽんこの意思とは無関係に自分の考えを述べていた。 親族間のイザコザは世間でも多々みられ、もう絶縁状態という家庭もあるのに、毎日のように顔を合わせているイトコ同士が争い事なんて悲しすぎる。 「相変わらずお人好しだな」 「悪かったね〜」 神経を逆撫でる発言にムキーっとした。 「惹かれるなんてどうかしてるな…」 「え?」 彼の呟きがよく聞こえず問い返すと、彼はすっと手を伸ばした。細い指が私の頬を優しく撫でた。あったかい…ついその指に触れようとした私は我に返りパッと手を振り払った。 彼の手がコン、とテーブルの角に当たった。 「あ、ごめん」 私はいつものクセで謝ると冴はいきなり吹き出した。 「あっはははは…」 その明るい笑いようは落ち着いたクールな彼からは想像がつかないくらいツボにはまっていた。私は特に言い返すこともしないでいると彼は口を開いた。 「昨日からやけにしおらしくなったな。他人を気遣う前に自の身を案じることだ」 その自然な笑顔に引き寄せられるような気もしたがここはぐっと抑え、ぽんこらしく気丈に振舞えるよう努めた。 「そんなこと言うたって、腕はまだこんなおぞましいままやし、ヘンに動くより助けを待ったほうがええかと…」 と言いかけてしばし考え込んだ。 そういや、和央と美高、妙に遅くないか?辺鄙な地域にしても、例の公園からここまで車で数十分。しかも、従兄の住処なんて当てが付くと思うんやけど…途中で何か起こった、まさか事故に遭ったとか!? 想像すればするほど気が気でなかった。 何気なく冴を見つめていたからか彼は眉をしかめた。 「何だ?俺が謀ったとでも?」 「ええっ…?いやいやいや」 私はハハハと手を振って誤魔化した。リンちゃんが来られたのだから、和央と美高ももうすぐ来てくれるだろう。もしかしたら何か作戦を練ってくれているのかもしれない。私は前向きに考えることにした。 ふと見上げると彼の顔が超至近距離まで近づいていた。あまりの不意打ちに、目玉でも抜かれてしまうのではないかと緊張していると、耳元で 「力ずくで奪ったとしても心まで得られないのはわかっている」 と囁いた。なぜか心臓がキュッと締め付けられる感じがした。 「別にここを去っていっても構わない」 思いもよらぬ言葉に私は目を見開いた。 「そんなことしたら、和央たちにあることないこと喋ってしまうかもしれへんよ?」 「おまえがそうしたいならすればいいだろう」 「うん…あ、でも、この模様はどうしたら治るの?」 彼はため息をついた。 「俺にとってはたやすいが、今のお前には酷だろうな。お互いが信頼し合い全てを許せる関係になれば完治する」 「ふうん…全て?って」 私は何となく予想はしていたものの彼に問うてみた。彼は視線を逸らし、 「そこまで言わないと理解できないのか?」 と質問返しをしてきた。 「もしかして、男女のごにょごにょ?」 ごにょごにょってなんやねん!と自分に突っ込みつつ、恥ずかしくなりながらもう一つ尋ねた。 「ええと、和解するってことは、お互いを好きになれってことやろ?」 「まあな。俺はおまえのことは嫌いじゃないし」 話の流れのせいか彼はあっさりと言ってのけた。 「へえ〜じゃあ、好きでもないってことやね」 私はやられまいと思い意地悪く返した。 「そ、それは…」 くふふふふ、してやったり。とからかっている場合ではない。彼が独身ならまだ一考の余地もあるが、れっきとしとした既婚者である。妻の了承を得ているからといって不貞行為はいけない。 「なんか、何ともないならこのままでもいいかな〜って思えてきた」 要は彼に反発反抗しなければ痛みの症状は出ないのだ。見る人々はぎょっとするだろうが、アームウォーマーをするとか隠す手段はいくらでもあるのだから。 「好きにすればいい」 彼は引き止めることもなく静かに言うと部屋を後にした。 確かに、狭いワンルームマンションの私の部屋に比べたら、広々としたお屋敷で広い庭付き…と何百倍も快適である。 けれどもここは私のいるべき世界じゃない。と確信しつつあったのは自分の名前を思い出せなかったからだ。 華絵さんが教えてくれたから今まで「名前がわかったら元の世界に帰れる」と思い込んでいたけれど、よくよく考えてみればなぜそうだと信じていたのだろう。 「名前を知らない私=鹿萩ぽんこ」ならば、名前を知った私はぽんこではなくなる。同じに見えても性質は違う。 「わたし」が毎日いろんな選択をして生きているとしたら、「わたし」が選ばなかった選択肢の人生もあったのかもしれない。その選択外が重なって存在するのがこの世界だとしたら…選択の外の人間であるわたしはここでは生活できないのだと思う。 現に抱いている違和感がそれを顕著に物語っている。 その考えが正しいなら、ぽんこもまた別の世界にいるのだろうか。私の世界にいるとか?とんでもないことをしでかしてないとよいけど。余計な心配事が増えたなあとため息をついた。 これから何をしようかと迷っていると、ポツ、ポツと雨らしき音がし始めた。 私は小窓をガラリと開けた。いつのまにか空はどんよりと曇り小雨が降り出していた。 下を覗くと、池の周りをクルクルまわって遊んでいたストロベリーが家の中に入って行くところだった。 (落ち着きのない犬やねえ) そのまま窓を閉めようとすると、竹垣と木々の間から見覚えのある人影が… (和央!美高!?) 私はすぐさま部屋を出て階段を下り中庭へと向かった。縁側の引き戸をそろりと開けると美高が私に気付いた。 「ひめさ…」 大声で叫びそうな彼の口を和央はとっさに手で押さえた。 「ぽんこ!」 彼は小声で叫ぶと私の元へやってきた。 「大丈夫?」 私は彼の着物についた砂埃をパンパンと掃った。 「ああ、なんとか…それより、ぽんこは?何もされなかったか!?」 「うん、大丈夫」 と言いかけるやいなや彼はそのまま私をぎゅっと抱きしめた。 「わ、ちょっと!」 「よかった…無事でよかったよ」 「和央…ありがとう」 私は自然と肩の力が抜け、そのまま背中に手を回した。 こんなになってまで探してくれるなんて…ぽんこはいい旦那に巡りあえたんやねえ。 じーんと感激していたまま何気なくぱっと目を開くと、和央の斜め後ろにいた美高がぎゅっと目をつぶり、耳を餃子にしている姿が目に入って来た。 「あの、別にヘンなこと言ったりしたりしてないから!」 私は和央から離れて美高に声をかけた。 「私としたことがなんという早とちりを…申し訳ございません」 「いいよ、わたしもすっかり気が抜けてしまって」 「続きは帰ってからってことで」 和央はさっと私の手を取った。 「さあ、帰るぞ」 「え、あ、ちょっと待って」 私はぱっと手を放した。 「どうしたんだ?あ、荷物か。それならここで待ってるから」 和央は陽気な笑顔を見せたが、私はしっくりこない気分だった。 「早くご用意されませんと、また新手がやってきます」 「新手?」 「ここに来る途中さんざん迷ったんだよ。道なりに歩いているはずなのに、全然違うところをぐるぐるまわってて…これじゃ埒があかんと思って強行突破した」 首をかしげる私に美高が続けた。 「怪しい竹藪の中をかっとばしてきたのでございます」 「やからそんなボロボロに…」 「御心配には及びませぬ。このくらいは慣れております」 「それより、あれは幻視の術か何か使ったんじゃないか。キツネは化かすの得意だからさ」 「和央もそうやったね」 「おれは人を陥れるような化かし方はしないさ。ぽんこだってそうだろ?」 「ええ、ああ、うん…」 私は曖昧に頷いた。 「リンちゃんはここに普通にやって来たよ。ちょうど和央達と同じところから」 「あー、あの細い兄ちゃんか」 和央は少し怪訝な顔をした。 「和央が居場所教えてくれたからって」 「冴の家に向かってたら出くわしてさ。ぽんこからのメールも来ないし、電話もつながらない、家にもいないから、行きそうなとこを探してたみたい」 「攫われたってこと話したんや?」 「美高がな。姫様は拉致されたのです!って大声で」 彼は美高を冷たい目で見やった。 「申し訳ございません!!あの時はつい、混乱してしまい…少しでも多くの方に協力できればと思い…しかし、少々声のボリュームが大きかったのは深く深く反省しております」 絶対少々どころじゃない…と、すかさず心の中で突っ込んだ。 「でも、こうして姫様がまだここにいらっしゃるということは鈴喜殿とは何かあったのですか?」 「あっ、いや、なんか、優奈さんに見つかりそうになって急いで別れたんや」 私は和央がいる前で本当のことは言えずその場を誤魔化した。そういえば、リンちゃんはあのあと真っすぐ家へ帰れたのだろうか。ここまで来れたのだから帰れないということはないだろうと無事であることを願った。 「とりあえず、帰る支度を…」 私はくるっと振り返ると、廊下には冷ややかな目でこちらを眺めている冴の姿があった。 「おまえ!」 和央は怒りの形相でずかずかと彼に歩み寄って行った。 「ちょ、和央!待って!」 私は彼の左腕をひしっとつかんだ。 「一発殴ってやらないと気が済まない!」 彼はばっと私の腕を振り払い、草履を履いたまま廊下にあがると冴の頬を思い切り殴った。 「……っ!!」 殴られた反動で冴は仰向けに倒れた。和央は冴の上にのしかかり、また拳を上げようとしていた。私は和央の腕を両手でがしっと掴み必死で止めようとした。 「放してくれぽんこ!」 「あかん!暴力なんてあかん〜!」 私は半ば腕に抱きつくようにして腕を下ろさせようとしていたが、彼の力は凄まじくはね返されてしまった。 「わっ!」 尻もちをついても止めようと腕を伸ばそうとした時、 「おやめください!」 ぱっと和央の右腕を美高が片手で掴んだ。そしてそのまま上に引っ張ると和央の身体がすっと持ちあがった。 なんて怪力…見惚れているや否や、和央が離れた隙に冴はさっと立ちあがった。左頬が赤く腫れていた。 和央は美高に押さえられて渋々冴に手を上げるのをやめたが、鋭い表情で睨みつけていた。冴は殴られたにもかかわらず動揺することもなく至極冷静だった。 「気は済んだか?」 「まだ殴り足りないけど、悲しそうなぽんこの顔見たくないからやめといてやる」 私はその言葉を聞いて一安心した。 「いいか…」 和央が真面目な顔つきで冴を指した。ここはピシッと決めてくれるのか!と期待していたら案の定、 「ぽんこの裸を見ていいのはおれだけだからな!」と。 「アホか…」 私は恥ずかしくて俯いてしまった。和央を除く人々はしばらく無言になった。 彼自身はふざけたつもりなどつゆなかったらしく、私達の反応にしばし戸惑った様子だった。 「似た者同士ってやつだな」 冴が呆れたように私と和央を交互に見やった。 「と、とにかく、手の込んだマネしてくれるよ」 「何のことだ?」 「しらばっくれるなよ!」 和央は口調を強めた。 「怪しい術でも使ったんだろ。もっと早く助けに来れたのに」 「術だと?そんな手間をかけた覚えはない」 冴は冷たく言い放った。その言い方に和央は苛立ったのか、また彼に突っかかって胸座を掴んだ時、 「ちょっと!」 渡り廊下の方から優奈が血相を変えて走って来た。 「家は土足厳禁よ!」 彼女に一喝された和央は仕方なさそうにパッと手を放すと草履を脱いだ。 「ぽんこにひどい思いさせた上に、おれ達を足止めしてたんだ」 「ひどい思い?足止め?」 優奈は意外そうな声を出した。 「足止めって冴もそこまでヒマじゃないわよ。他の人でしょ」 「他って…おれ達を足止めして得をする奴がいるっていうのか?」 和央は私と顔を見合わせた。 「じゃあ、自然現象かもね。とにかく過ぎたことをグチグチ言うのって嫌いなんだけど」 優奈は面倒くさそうに頭を掻いた。 「それとこのコ、ここへ来て辛そうな感じはあんまり感じなかったけどね。冴ともよく話してたし」 彼女は視線をすっと私に移した。大きな瞳がまるで私の反応を試しているかのように捉えていた。 「それは…これからどうなるか不安やったからで」 「そう。それなら別にいいけど。恋心を抱くのは個人の勝手だからね」 「ええっ!?」 私は驚いて思わず声を上げてしまった。 「ぽんこ、冴が好きなのか!?」 「いや、何を言うてるん!違うに決まってるやろ!そらまあ、迫られたというかそういうこともちょっとはあったけど、こんなしっかりした奥さんいるんやし、わたしも婚約中なんやから他の人に気が移るなんてことはないよ!」 必死に弁解していたのに最後まで聞かないうちに、 「冴!」 と再び彼に殴りかかろうとしていた。 「おれの彼女にまで手を出すなんて最低な野郎だ!」 「勝手に言っておけ」 冴は和央を相手にすることもなく踵を返した。 「家壊す前に帰りなさいよ」 優奈も彼の後について行った。 「待てっ!まだ話は終わっていない…!」 私は彼らを追いかけようとした和央の服の袖を引っ張った。 「待って!今は落ち着こう。あの人も多分いろいろ傷ついてることあるんやよ」 「ぽんこ…」 和央は振り返ると私の頭を優しく撫でた。 「ぽんこはヘンなとこで優しすぎるんだよ」 「だって、家族の一員になるって人やのにこのまま対立し合ってるのは嫌やもん」 「それはおれもわかってるさ」 「ねえ?」 私は顔を上げた。 「今日一日だけ帰るの待ってくれへんかな?冴を説得できるかはわからんけど、こんなケンカしたままってのもモヤモヤして気持ち悪いから」 「うーん…」 和央は渋っていたがゆっくり頷いた。 「わかった。でも、おれもついて行くからな。一人じゃ心配だ」 「ありがとう」 和央の承諾を得てホッと安心した私は、前方から何やら視線を感じると思い和室を見やった。襖の隙間から美高がこちらをのぞいていた。目をつぶって後ろ手を組んでいた。近寄ってみるとすうすうという寝息が聞こえた。 「美高…?」 そっと呼びかけると彼は 「ああ!はいっ!姫様!何か御用でしょうか!?」 慌てて瞼を開いた。どうやら立ったまま寝ていたらしい。 「えっと、今日もいることにしたから…」 「かしこまりました!ならば、不審者が侵入せぬよう私は庭に控えております」 「うん、頼んだよ」 頼みきっていいか少し心配だったが、曲者が現れでもすれば、ばかでかい声で嫌でもわかるだろうと思い任せることにした。 |