ハイパーフレッシュナブルこてぃすと ~優しさの調和~ (8)
 私は目を閉じイメージした。
 網、ネット、虫取り網、洗濯ネット…生物を捕まえるのに最適な網。
 あれや!漁師さんが使ってる投網!
 明確な網のイメージが固まったと同時に「ぐるううきゅー」とお腹が鳴った。
 移動する前ご飯食べたやろ!お腹すかせてる場合じゃない。あ…そういえば、冷蔵庫に餅残ってた。餅網で焼いた餅は格別に美味いよな~うん?餅網?
「あっ!」
 と叫んだ瞬間には天井にどでかい真四角の餅焼網が出現していた。
 ベシャッ!
「ぎゃっ!」
 紅深蝶は真上から押しつぶされた。
「え?死んでないよな…?」
「想像の斜め上をいった…これはこれでいいか」
 龍星は唖然としていたが初めて褒めてもらえた。
 体を餅網に挟まれた紅深蝶はゆっくりと頭をもたげる。
「グレ~ィトなハイパーフレッシュナブルを自称するコトネ殿…ワイルドかつダイナミックな技をど派手にかましますな。まさに新鮮(フレッシュ)!」
「その肩書きもうええっての」
 感覚の異なる異星人への発言は注意したほうが良いなと身をもって感じた。
 龍星は変わらず険しいで紅深蝶に迫った。
「観念しろ」
「今ここでワタクシを倒していいのですかねー?緩河ストックへのアクセスは自力で解除できたとしても、紫蘇巴殿の解毒方法は分からずじまいですよ」
「卑怯な手を」
「魔物の常套手段ではないですか~?そうして人間を闇に落とすのがあなた方の役目ではありませんか」
「……」
 龍星は言葉に詰まった。確かに魔物は人間にとって非情で無情で悪い物かもしれない。
 けれども、無差別に襲っているわけではないし、彼らが存在することで天上界とのバランスも保てているのだ。
「紫蘇は直接キサマに危害を加える虞などないだろう。なぜ毒など…」
「あの方の能力はちょいとばかし厄介でしてね~操作されてはかなわんのでね」
「操作?」
「そうですよ~記憶操作なんて全く忌々しい力だこと」
 紅深蝶は一人で腹を立てていた。私だけでなく龍星でさえも意味がつかめず思案顔だった。
 考えを巡らせながら私はすっかり油断していた。
 紅深蝶の上にのしかかっている焼き網は見た目は金属製のそれっぽいが、実際はただの糸でできた紛い物だということに。
「スキあり!」
 しゅっと餅網から抜け出した紅深蝶は私めがけ腹に頭突きをかました。
「うぉっ!」
 鈍い痛みが走りそのまま後ろによろめいた。
 彼はショルダーバッグをさっとかすめ取り、目にも止まらぬ速さで中からリップケースを取り出した。
「手間暇かけましたな。しか~し!これであとはあなたを葬るだけ。仕上げと行きますぞ!キャンディステッキパワーアーップ!『紅深蝶ズ』カモ~ン!」
 紅深蝶はステッキを宙に放り投げた。
 ステッキはピカーっと輝くとぐるぐる飴が2倍ほどの大きさ、しかも2段仕様になった。
 そこから現れ出たのは体長60センチほどのミニチュア紅深蝶だった。
 背が小さいのとジャージの色が緑、紺、赤と色違いであることを除けば、紅深蝶本人とほぼ同じ顔、同じ髪型。ステッキがくるくる回るごとにわらわらと飛び出して来た。
「ワタクシの忠実なるフレンズ達『紅深蝶ズ』 …ここにいる奴らを一掃してしまいなさ~い!」
 紅深蝶ズと呼ばれた者たちは紅深蝶に命令されるとフレリ達めがけて一斉に走り始めた。
 その数ざっと50弱。
「あ、悪夢や…」
「ふふふふふ」
 変声器でも使用したかのような気味の悪い声を発する彼らに私は青ざめた。
 彼らはフレリ達に次々と飛びかかり、噛み付いたり、頭突きしたり、口から炎を吐いたりと地味な嫌がらせのような攻撃をしていた。
 致命傷にはならなかったとしても迷惑極まりなかった。
「面倒なことになった。早く紅深蝶を仕留めるぞ」
「ああ、うん…」
 私は気を引き締めた。左方から悠雁と紗佐が駆けて来た。
「所外に出ないよう、わたしはイウゾー達と出入口を封鎖してきます!」
 悠雁はコアラ3匹を引き連れて西の出入口の方へ走っていった。
「一部の部下達には再度避難を促しましたので心置きなく力を使えるかと」
 紗佐はチラリと私を見やった。
 心置きなく…彼女の配慮に感謝しつつ、私は非常事態対応として箏爪を素早く右指にはめた。
 するとどこからかミニ紅深蝶が真正面から飛んできた。
「うわっ!」
 私は右腕で思い切り払う仕草をした。3本の光の筋が奴の額を直撃した。
「ぎゃん!」
 彼は両手で額を押さえて逃走した。 まぐれでも助かった…とほっとしようとするも
「気を抜くな」
 龍星が戒めた。
「う、うん…って、後ろ!」
 紗佐の背後からミニ紅深蝶が忍び寄っていた。
 彼女は素早く髪の毛を伸ばし追い払おうとしたが、ミニ紅深蝶はさっとかわすと自身のくるくるパーマ髪をつまみびゅっと伸ばし、彼女の右腕と右足に巻きつけた。
「マネっこ紅深蝶ですぞ~」
 ミニ紅深蝶はけらけらと笑った。こいつは他人の能力をコピーする力を持っているようだった。
「放しなさい!」
「悪いことする奴は懲らしめるのでーす」
「くっ…!」
「紗佐さん!」
 私が助けようと手を広げると彼女は
「私には構わずあなた自身を守りなさい!」
 その気迫に私は物怖じしそうになったが彼は
「頼んだ」
 と言い放ち隣にいる私を見た。
「大丈夫だ。紗佐は簡単にやられない。それにこいつらを1匹ずつ相手していも埒があかない。頭を叩くんだ。向こうに力が渡っても所有者はお前のままだ。気を落とすな」
「うん、わかった、行こう」
 励まされた私は再び気を取り直して移動ワーネル付近で、薄ら笑みを浮かべながら子分達に指示を出している紅深蝶にそっと近づいた。
 そして魔力を使おうと再び手を広げた。ところが
「おっと、そうはさせませ~んよ」
 技を繰り出す気配に気づいた紅深蝶は、脇に抱えていたステッキをかざした。
「もっちもちの…えいっ!」
 ベチャ…と私の両手を覆ったのは餅だった。
「熱っつ!」
 つきたてほかほかの焼き目のない白い餅がべったりと貼り付いている。
「餅がお好きとお見受けしましたのでサービスさせていただきましたぞ」
 紅深蝶はくつくつと笑っていた。
「それで投げつける奴がいるか!火傷するわ!」
 私はキレ気味になりながら餅を剥がそうと懸命だった。
「水で剥がれるだろう…」
 龍星は冷静に適切で的確な対処方法を指示した。
「餅引っ付いてても使えるんや魔法。そりゃそうか。それ!水!」
 私が餅取りに専念していると紅深蝶の顔がアップで映った。
「隙だらけですぞ~」
 彼は私の頭をめがけてステッキを振り上げた。
「どけ!」
「わっ!」
 ドンと突き飛ばされた私は餅が密着したまま床に手をついた。
「星太郎!」
 紅深蝶の攻撃を受けた龍星はうつぶせに倒れていた。
 私は急いで立ち上がろうとしたが、手の餅が床にへばりついてしまい、手を持ち上げてもびょーんと伸びるだけで取れなかった。
「ふう…これで邪魔者は一通り片付けましたかね。ではトドメといきましょうかね~」
(ど、どうしよう…)
 こうなったら餅付きのまま魔法を使おうと思ったが、不快感から集中できなかった。
 その間にも紅深蝶がスキップをしながらじりじりと歩幅を狭める。
「ふはははははは~っ!」
「そこまでだ」
「だ、誰ですか?」
 突如聞こえた声に紅深蝶は辺りをきょろきょろと見回した。
 私は彼の背後の闇からすーっと現れ出た人物に目を見張った。
「紫蘇!」
 龍星は体を起こした。
「な、何と!全く気がつきませんでしたぞ」
「気配を消して近づくくらい魔物には容易いこと。仲間に散々酷いことをしてくれたようだな」
 彼は紅深蝶の首根っこを片手で掴んだ。
 その瞳は穏やかな彼とは別人のように冷酷で憎悪に満ち溢れていた。
「ひいいっ!」
「本当はこのまま首の骨をへし折ってやりたいけど、その前にフリーストックを返してもらおうか」
「まだそれだけの体力がありましたか。一筋縄では行きませんなあ~ワタクシ、あなたを少々見くびっておりました」
 いつ抹殺されてもおかしくない危機的状況なのに、紅深蝶はまだどこかしら余裕があるようだった。
「ワタクシの記憶を変えるおつもりですか?そのような力を使えばあなたのお命はどうなるか…」
「紫蘇、お前の力とは…記憶操作ができるなんて本当なのか?」
 龍星が静かに尋ねると紫蘇巴は少しだけ表情を緩めた。
「ああ、そうだよ。30年前のあの日、正義感の塊だったおれはフレリ達に密告した。それが発端だ」
「規則を守るのは当然のこと…」
「それが操作されたものだったら?」
「現場を目撃した時、仲間のフレリに伝えて2人を追及したんじゃなかったのか?」
「表面上はね」
「どういうことだ?」
「当時、駆けつけたフレリ達は2人の様子を見てすぐに非難したわけじゃない。 むしろ見なかったフリをしようとした。昇進の機会もあっただろうに、フレリ達はもし使いが神に告げ口でもすれば、生まれ如何、尊き命をぞんざいに扱う非道な魔物として目をつけられ、更に面倒事になると恐れその場を離れようとした」
「そんな…」
「そこでおれは、去ろうとするフレリの1人の腕を掴み『この人達の意思を変えてほしい』と願った。そうして目を開けるとフレリ達は2人の前に歩み出ていた」
「触れて念じるだけでそんなことができるのか?」
「心の動きを感じる波動が関係してるらしい。おれもあの時初めて知ったんだ。察知する能力じゃなくて操作、書き換えできる能力だって。 幹部になってから魔王様には真実を話したよ…故意ではないし、いつかはバレてしまうことだったからと咎められはしなかったけど」
「それで自分を責めていたのか…」
「あの時だけじゃない。他のフレリ達がどこからか情報を得て、極秘で記憶操作を頼まれ引き受けることもあった。当初は罪悪感に囚われていたけれど、回数を重ねるごとに薄れ、当たり前のことに思うようになった。
無意識と言ったけれど、もしかしたら、密告した時も入所したいがためにわざと意思操作をしてしまったのではないかと思い始めた。そうしたらこのまま上を目指すのが怖くなって…」
「生まれつきの能力はどうにもできないだろう。それで過去を気にするなんておかしい」
「星はいい奴だな。でもおれが魔王になったら都合の良いように意思操作してしまいかねない。そんな勝手な能力は必要とされないし、それで大切な仲間を失いたくない」
「魔物なんだから野心があるのは当然だろう。お前はそんな独りよがりなことはしない。するならとっくの昔に俺を蹴落としてのし上がっているだろ。何十年と共に働いてきたがそれだけ言い切れる」
 龍星はまっすぐに紫蘇巴を見据えていた。彼は複雑な表情のまま口を閉ざした。
「一番の厄介者」と紅深が言っていたのはこのことだったのか。
 紅深蝶の魔界をお花畑に…要は支配するという最大の目的。その意思を削がれては元も子もない。
「キサマは初めから知っていたのか」
 龍星は紅深蝶を睨みつけた。
「ワタクシを誰だと思っているんですか?フレリの能力は全て調査済み。敵を知ることから戦は始まっているんですよ」
 彼は高らかに笑った。
「こんな輩を放置しておくと、ここをフラワー楽園にした後も、反逆者として捕らえねばならぬ危険性が出てきますからねえ。鉄は熱いうちに打てってわけですよ」
 フラワー楽園とはつまり花畑のことだろう。次第に規模が大きくなっている気がする。
「あれですよね、大切な仲間とかいっておきながら肝心なことは教えておかないんですね~なぜかしら~不思議~それって仲間っていうのかしら~」
 ケラケラと笑い踊り出す彼に龍星は反論した。
「仲間だからこそ言えないこともあるだろう。余計な心配や不安を抱かせたくないと思う気持ち」
「そんな生ぬるいことで魔界の頂点は務まりませんよ」
 紅深蝶は踊るのを止めてぴしゃりと言い放った。
「優しさとか他人を思う気持ちなんて所詮意味のないもの。弱い者がすがりたくなる幻想なのです。ワタクシも故郷で一時期はあったかハート紅深蝶なんて呼ばれてましたけど、そんな温かい気持ちが理解されず、踏みにじられ、しまいには疎んじられ故郷を離れるはめに…
ワタクシは故郷の奴らを見返してやるんですよ。魔界を支配できれば奴らもワタクシに一目置くことでしょう。お花畑作戦はステップアップの1つなのです」
「えいやっ!」
 紅深蝶は隙を突いてお尻で紫蘇巴の脚を蹴った。
 その反動で首を掴んでいた手が放れた。
「まず無力なあなたを消すべきでした」
 ステッキを振り上げると飴の先が鋭利なフォークのように三股にわかれた。
「今日のディナーは鹿肉です!」
 紅深蝶は龍星めがけて巨大フォークを飛ばした。
「危ない!」
 私が餅でねっとりする手を前に出す前に、紫蘇巴が龍星をかばい避けようとしたが、避けきれず背中に攻撃を受けた。
 串刺しは免れたが背中には大きな引っ掻き傷を負い、そこからは紫色の煙が立っていた。
「これは毒か…!?紫蘇しっかりしろ!」
 龍星はぐったりする紫蘇巴の肩を支えながら
「悠雁!紫蘇が負傷した。すぐに戻ってきてくれ!」
 と出入口方面に向かって話すとやや間があってから
「わかりました!付近の者達は片付けましたので参ります!」
 悠雁が返事をする声が聞こえた。
「死ぬなよ…」
「…死ねないよ。星が魔王になるか、もしくは結婚して幸せな家庭を築くかどちらかを見届けるまでは」
 紫蘇巴は顔を上げた。
「2択に絞るなよ」
「おれとしては両方を選んで欲しいけど」
 彼は憔悴しきった表情だったが龍星に微笑んだ。
「はあ~ここまでしぶといと逆に褒め讃えたくなりますなあ~ブラボー!はっはっはっはー!」
 紅深蝶はその様子を見ながら、パンパンパンと手を叩いた。
「どうしてここまでするんだ?自分が苦しいだけなのに」
 龍星は紅深蝶を無視して紫蘇巴に尋ねた。
「だって仲間だから。それに、お前が入所してくれたあの日、『助けられるなら助ける』って約束しただろう?」
「あれは命懸けでという意味じゃない。仲間というのは命を顧みずに救いたいと思うものなのか?
俺なんて少々手の込んだワーネルが描ける能力があるっていうだけで役立っていないぞ」
「助けるのに力の強さとか役立つかどうかなんて関係ない。星はあまり口数は多くないし、何を考えているかわからないとこもある。けど、面倒な注文も文句言いながらいつも引き受けて完璧にこなしてくれて皆感謝してたんだよ」
「それは好きなことだから打ち込めているだけで…」
「それだけの理由ならフレリにもならないし、まして幹部なんて大変な職、勧められても断るだろう。星は自分では意識してないかもしれないけど、他人を思いやる心があるんだよ。紗佐と悠雁も同じ。皆それぞれが信頼し合っているから今のフレリ、弐区所が在る。お前の優しさは必要なんだよ」
 彼は疲労の色を浮かべながらも微笑した。
「別れの挨拶のところ申し訳ないのですが、そろそろジ・エンドにさせていただいてもよろしいですかなあ~?」
 空気の読めない異星人紅深蝶はステッキをぶんぶんと振り回していた。
 不気味だけだった異星人がいつしか悪徳で強欲で自己中な異星人に様変わりしていた。
「このままでは2人ともやられてしまう。星、お前は逃げるんだ」
「できない」
 龍星はきっぱりと拒否した。
「自分を犠牲にして他人を助けるなんてバカバカしい。妻と子が悲しむぞ」
「こんな不抜けた奴に負けるつもりはないよ。紅深蝶を引き付けるから、その間にあの子に捕獲させるんだ」
「上手くいくかどうか…」
 渋っている彼を見かねて紅深蝶は
「ではさらばですぞ!」
 両手を高く上げた。
「早く!…言うこと聞きなさい」
 紫蘇巴は厳しい口調で彼に命令した。
「ちっ、こんな時に限って上司面しやがって…」
 龍星はゆっくりとその場を離れた。
(何か良い方法を…)
 私は頭を高速フル回転させた。この状況を一転させるには魔法をどう使ったらよいのか…
 捕まえられなくても一時的に強い衝撃を与えられれば策を練る時間が稼げるかも。
 そうか、魔法とこてぃすと技の両方を組み合わせれば私流のやり方でできるかもしれない。
 ようやく餅を取り除いた私は覚悟を決めて左手を前に出した。
「おやおや、未熟者がワタクシに歯向かうというのですかな~?」
「未熟者…魔法はそうかもしれへんけど、こてぃすと技(こっち)は違うで!糸出て!」
 念じながら叫ぶと左手の平から13本の糸ではなく絃が出た。
 箏と同じようにピンと張られた白い絃。
「ワタクシを捕まえる気ですか?無駄ですよ!それっ!」
 紅深蝶はステッキを振って風を起こした。
(きたっ!)
 私は爪をはめている右手で、左手から出ている絃を順にかき鳴らした。
 箏の音色が響き風の輪を跳ね除けた。
「なんですと!?」
 驚いている紅深蝶だったが、次々と輪を飛ばしてきた。
(ここはいっぺんに…)
 再び絃を手前から奥へとジャララランと何度も往復させると、風の輪が音に跳ね返され四方八方に飛んでいく。
「伸びて!」
 私の声とともに絃が前方にするすると伸びた。
(そのまま当てる!)
 紅深蝶の腹部に狙いを定めて左手に力を込めた。
 先端がねじり合い束となって彼の脇腹を突いた。
「ぐおおっ!」
 その刹那、パカーン!と懐に隠していたリップケースが床に落ちた。
 すかさず拾おうとする紅深蝶よりも早く私は絃でケースを絡め取った。
(よし、このままいける!)
 私は絃に絡んだままのケースにぐっと力を込めた。
「星太郎、行くよ!」
「?」
 龍星の反応を伺う間もなく、私は絃をそのまま勢いよく天井高くまで伸ばした。
「えいっ!」
 掛け声と同時に絃の先端を彼めがけて急降下させた。
「ちょ…待て!」
 ガツーン!
 折れたかと思うほどの凄まじい衝撃だった。
 心の準備をさせる暇もなく、超高速でUターンしてきた絃のケースが彼の角の根元に直撃し、パカリとケースのフタが開いた。
 その瞬間ケースの中から青黒い煙が立ち込め、彼をすっぽりと覆ってしまった。
「げほっ…星太郎大丈夫!?」
 湿った叢のようなにおいに手を払っていると龍星の姿が見えた。
「あ、戻ってる!」
 先ほどの衝撃のせいか彼は元の大人の姿に戻っていた。
「こんな力技で戻るとは…」
 彼は肩を落としていた。やや疲労の色が見えた。
「なんか疲れてる?」
「お前が配分を考えず無闇矢鱈に力を使うからだ」
「あははは…ごめん」
 彼は静かに怒っていたが、その怒りの矛先は異星人に向けられた。
「な、なんということでしょう…こうなったらハナ殿を先に!」
 座り込んでいた紫蘇巴に飛びかかろうとする紅深蝶。
 だが、彼の左右前後にぼうっとデジタルなワーネル画面が現れた。
「それ以上近づけば飛ばす」
「ぐぬぬぬぬぬ…」
 紅深蝶は歯を食いしばりながら地団駄を踏む。
「若造が調子に乗って!ワタクシ激おこですよ!ぷんすか!」
 使用する言葉にいまいち重みがなく、本気で怒っているのかわからなかった。
「仕方ありません。解毒してさしあげましょうぞ。ほれっ!」
 紅深蝶はぱっとステッキを振り上げると、きらきらと光の粉が一面に舞った。
 その粉が紫蘇巴の背に降りかかると、紅深蝶に受けた傷跡が薄れていきしまいには綺麗になくなった。
「ハナ!ご気分はいかがですか?」
 既に駆けつけていた悠雁が紫蘇巴に確認すると彼は
「体が楽になったよ」
 ゆっくりと立ち上がり紅深蝶に近寄った。
「さて、これで気兼ねなく攻撃できるな」
「ままま、待たれよ!まだ魔王様への呪いは解いていないのですぞ」
「とっとと解除しろ」
 龍星がぶっきらぼうに言うと紅深蝶は低姿勢になり
「は、はい…ではすぐに…」
 と言いかけ魔法で足元に出した大量の砂を彼らに投げつけた。
「うわっ!」
 視界を遮られ集中力が途切れたためかワーネル画面が薄れた。
「はーはっはっはっはっ!愚か者どもが!」
 高笑いする紅深蝶は彼らから離れ
「ワタクシはずらかりますぞ~っとそのついでに…えいやっ!」
 ステッキを振るとうどんのような白い縄が出た。
「そこのプリチーなお嬢さんを連れていきましょうかね~」
 とてつもない速さで悠雁を捕まえると、頭上高く持ち上げ自分の方へ縄を手繰り寄せた。
「このっ!放しなさい!」
 彼女は宙で必死にもがくが縄はびくともしない。
「主を放せ~!」
 3匹のコアラ達は紅深蝶の腹、背中、足にひしとしがみついた。
「小癪な獣が!そりゃっ!」
 紅深蝶は体をスピンさせてコアラ達を振り払った。
 廊下の床に激突しそうになったのを付近にいたフレリ達がキャッチした。
 龍星が紅深蝶めがけて攻撃しようとしたが、彼はふふふふ…と薄気味悪い笑みを浮かべた。
「おっと、この方がどうなってもいいのですか~?」
「くそ…」
 躊躇する龍星に紅深蝶は更に
「あ、そちらのビューチフルなお姉さんも一緒に連れていきましょうかね~」
 紗佐に向かって縄を伸ばそうとしたが
「締め上げるわよ」
 ガンを飛ばされると
「す、すみませぬ…」
 びびって諦めた。
(この人無敵なんちゃうん…)
 私がその様子をじっと眺めていると紅深蝶とぱちっと目があった。
「コトネ殿は…あ、うん、地味ですし別にいいですわ…」
(は…?)
 助かったと安心する以上に、ふつふつと怒りが沸き起こってきた。
(ここにいる人達に比べたら、見目形能力全てにおいて地味で並みな人間…いや、人間社会でもそうかもしれへんけど、こいつにだけは言われたくない!)
「この変態異星人が~!」
 私は彼に向かって右手を出し、力いっぱい宙をぶん殴った。
「わおふっ!」
 怯えた紅深蝶は攻撃をかわしたが、うどん縄に命中しスパッと切れ、そのまま悠雁が落ちてきた。
「危ない!」
 龍星がさっと悠雁を受け止めた。彼女は驚きながらも頬を赤らめていた。
(はっ!お姫様抱っこや)
 悪者から姫を助け出した王子のような物語のワンシーン。
 美形なだけに絵になりすぎてときめきそうになったが、彼の性格その他を考えると、こんな美味しい場面をかっさらいやがってと少しイラっとした。
「ありがとうございます」
 下ろしてもらった悠雁は龍星にお礼を述べた。
「怪我はないか?」
「はい…お力戻ったのですね」
「まだ本調子は出ないが…」
 彼は後方にいた私を見た。
「魔力がなくてもできるじゃないか」
「常に気合いと勢いやで」
 こてぃすと技を繰り出すたびに口にしている気がする。これから私の座右の銘にしようか。
 ほっこりしている暇もなく、紅深蝶は私の前へと足を進めだ。
「コトネ殿は人間なのに悪の塊である魔物の肩を持つのですか?」
「そりゃ魔物は一般的には人に悪影響を与える存在やけど、「悪」に染まるかどうかは人の心の強さ次第やろ。人の判断に委ねられてる。魔物はそのきっかけにすぎへん。
誘惑に負けへん心があれば悪なんて跳ね返せるんやから」
「それでもあなたは魔力などとは縁もゆかりもないこと」
「やからってこのまま見過ごすのも後味悪いもん。それに故郷のためって言うてて、結局は認められたいだけやん。魔界に棲む人達のことを全然考えてない自分勝手な行動や。
魔物は「悪」って言うてるけど、今あんたがしようとしてることの方がよっぽど悪やで」
「なんですと!?」
 魔界に来てまさか人間に説教されるとは彼も想像していなかっただろう。
「くぬぅ~!」
 悔しがっているところに背後から紫蘇巴が回った。
「もう観念したらどうだ。お前に勝ち目はない」
 紅深蝶の前後左右にワーネルが現れた。
「解除しなければ、キサマは永遠に宇宙を彷徨うことになる」
「宇宙ですと!?」
 紅深蝶は素っ頓狂な声を上げた。私も思わず
「え?そんなのいつの間に?」
 耳を疑った。
「地上界にいる時、所内の機器(デバイス)に遠隔操作していた。位置が不特定の移動はここでしか行えないからな」
「魔力なかったのに?」
「それは…いつも以上に労力を費やした」
 彼はぷいと顔を背けた。
 紫蘇巴が「色々練っているのではないか」と言っていたのはこの移動パネルを完成させるためだったのかと思うと、あの徹夜行き倒れスタイルにも合点がゆく。
「さすがは星。描画能力だけじゃなく常に先を見越した行動だね」
 龍星は紫蘇巴に褒められても微妙な顔をしていた。
「異星人を送るとは全く予想してなかったけどな」
「さあ、どうする?」
 紅深蝶が「ふんぬー」と唸っていると、すぐそばのワーネルが光った。
「魔王様!?」
 そこに現れたのは魔王だった。
「ご無事でしたか!」
「少々手こずったがこれでも管理者だからね。紫蘇巴君の助けもあって緩河ストックへのアクセスも可能になったよ。フリーストックも無事に回収済だ」
 彼はにこやかに私達の方へ近づき紅深蝶の前に立った。
「もう一度、心を入れ替えてやり直す気はないか?」
「父さん!?何言ってるんだ!?」
 龍星がすかさず声を上げた。その問いに魔王は無言で微笑んだ。
「本来ならば、ここまで大きな被害を出した者には重大な罰を下すが、お前さんの故郷での境遇、また、魔界を変えたいという心意気にわずかだが善意を感じられた。
情状酌量の余地があるとみなし、深く反省し心を改めて魔界のために職務に取り組むというのであれば降格とはなるが、再びフレリの一員として迎え入れよう」
 彼はすっと右手を差し出した。
 その懐の深さに私まで心に温かいものを感じた。
 魔物がこれほど情がある生き物とは思っていなかっただけに衝撃は大きかった。
 俯いていた紅深蝶はすすり泣きをしていた。と思っていたら顔をぱっと上げた。
「ふ、ふふふふ…甘い、甘いですね。そのようなことを言っているから異星人などにつけ込まれるんですよ。全く!魔界とはもっと恐ろしく驚異に満ち溢れた世界だと思っていたのに、屁でもないですぞ!」
 けっ!と魔王の手を払い除けた。
「そうか、改心する気はないのか…」
 魔王はおもむろに立ち上がった。
「致し方ない…龍星、こいつを異次元に放り込んでしまいなさい」
 さっきとは打って変わって冷淡な表情になった魔王は龍星に命令した。
 龍星はワーネルに手をかざすと図形が光りだした。
「ちょ、ちょっと待ってくださ~い!」
 紅深蝶は慌てふためいた。
「何、心配は要らぬよ。運がよければいつかは巡り巡って故郷にたどり着けるだろうさ。それが何年、何十年、はたまた何百年かかるかはわからんが…」
「そ、それだけはご勘弁を…お助けくださいまし」
 土下座して命乞いする紅深蝶を魔王は見下ろす。
「おや、お前さんは魔界には恐怖も脅威もないと今しがた宣言したばかりではないのかね?」
「そ、それは言葉のアヤというもので…」
 紅深蝶はもごもごと弁解するが、魔王は冷酷な表情のままだった。
「お前さんの言うように、確かに我々には優しさや情けなどは不要であり、圧倒的な力の支配、それこそが魔界の姿なのだろう。事実そうだとしても力だけで抑えられるわけではない。
弱き者でも知恵をつけ束になれば世界をも滅ぼす力を秘めている。
そのような事態に陥らぬよう王やフレリが管理している。おそらく、君も故郷で同じような状況ではなかったのかね?そこでお前さんは『分け隔てなく優しい心で同胞に接していた』たのに裏切られたと感じる。自分の期待通りの反応が返されなかったがために復讐を計画する。
『優しさ』を理解されなかったがために。
しかし、それは結局お前さんの勝手な思い込みだろう。
果たして本当に皆にとって優しかったのかどうか。単なる親切心の押し売りではなかったのか。
お前さんがもし魔界を支配したところで故郷の仲間はお前さんを認めはしないだろう。
むしろ逆に他界を侵略しようとした脅威的存在として更に疎んじられることになるだろう。
中途半端で利己的な優しさなど結局自己満足でしかない。
魔界支配を考えついた時点で『優しさ』などどこにもない。 お前さんのせいで魔物達は傷つき、悲しみ…その感情は計り知れないものだ。
私は何より、フレリやその他の者を脅かしたことに最も腹を立てているんだよ。
今君が抱いている『恐ろしい』 という感情はお前さん自身が原因で引き起こしたものだ。責任をとって罪を償ってもらわねばならない」
「うぐぐぐっ…!」
 紅深蝶はぐうの音も出なかった。
「せっかくチャンスを与えてやったのに無下に拒否するとは…私の人選も甘かったようだ。神ならここで寛大な措置をとるのだろうが、魔物である私には到底無理…我慢の限界だ」
 彼は残念そうに首を横に振った。
 このご時世、カッとなって殺してしまうという短気者が多いというのに、問答無用で叩き切らず、わざわざ更生の機会を与えるなんて温情深い人だった。
「言い残すことはないか?」
 一通りの会話が終わると龍星が尋ねた。
「ふぐぅ~!この紅深蝶、何百年何千年経とうとも必ずやこの地に戻り、一面フローラルな香り溢れるお花畑にし、魔物どもを屈服させてやりますぞ!」
 この異常なまでの花畑への執着を見せる紅深蝶に私はぞっとしたが、龍星は無表情のまま
「夢でも見ることだな」
 言いやるとワーネルに手を触れた。4つのワーネルが光り、紅深蝶に照射した。
「あ~れ~」
 眩い光を浴びた紅深蝶は吸い込まれるようにしてワーネルの中へと消えた。
 場がシーンと静まり返った2秒後
「わ~!やったぞ~!」
 というフレリ達の歓喜の声に包まれた。
 跳ね上がって喜ぶ者もいれば、涙を流し互いに抱擁する者達もいた。

紗佐と悠雁