ハイパーフレッシュナブルこてぃすと ~優しさの調和~ (9)
「終わった…」
 私は脱力感に襲われた。
「はっ!」
「どうしました!?」
「く、苦しい…ぐう~」
 今まで少し気分悪いと感じていたのは慣れない環境だからと思っていたが、急激に息苦しくなってきた。
「魔力が星さまに移ったためです。魔界では魔力がないと人間には悪影響が…」
 歪み始める視界に悠雁の憂い顔が映る。
「ど、どうすれば…」
「一時的に俺の力を振り分ければいい」
 龍星が口を開いた。
「それって使用者として登録するってこと?」
「微量であれば地上界に戻ってもさほど影響は出ない」
「じゃあほんのちょっと…帰る分だけで。あ、やっぱり美味しいお茶がぱっと出せるくらいは欲しい」
 私は魔法で出したゲロまずジュースを思い出し、リベンジしたかったため希望を述べた。
「…わかった」
 彼は一瞬怪訝な顔をするも魔王のほうに振りペンタを差し出した
「錫城龍星の星空ストック使用者に凛堂琴音を追加。割合は64の8プラスE。即認証をお願いします」
 魔王はコートのポケットからタパレットを取り出すと何やら入力を行った。
「完了したよ」
 ポンと画面を閉じると私の気分は次第に落ち着いてきた。
「ふう~生死を彷徨ってたわ。ありがとうございます」
 私は魔王に向かってぺこりと頭を下げた。
「いいや、お前さんのおかげで紅深蝶の野望を阻止することができた。礼を言おう」
「いえいえいえ!私も土壇場にならんとスゴ技が出せなくてすみませんでした。でも花畑にされずに済んでよかったですね」
「ああ。頼りない息子ですまなかったね。もっと相手の立場で行動できるようになってもらいたいものだが…」
「彼は頼りになってましたよ。紅深蝶にやられそうになった時庇ってくれましたから。
あと、ここに来る前にも、車と自転車に轢かれそうになったのを助けてくれたんです。
咄嗟に避けたら死ぬことはなかったと思いますけど怪我してたかもしれません」
「あれは勝手に体が動いただけだ」
「自分が傷つくってわかってるのに『勝手に動く』なんて、どうでもいい相手ならならんと思うけど」
 龍星は言葉に詰まった。その様子に魔王は笑顔で頷いた。
「お前も少し成長したようだな」
「…そうかな」
「お前のストックだが、緩河に保管しておいても良いだろう?抜かりはないと思うけれども、ストック外に保管となると万が一のことがあっては対処に困る。それにフレリのストックは原則全員管理下の元の使用という決まりだから所員である以上は守ってくれんか?」
 渋面になる龍星に紫蘇巴は目を見張った。
「辞めるとか言わないよな?」
「それは…」
 龍星は彼と視線を合わさず何か考えていた。魔王はふうと一息ついた。
「一部使用者を認めたいのなら、緩河で振り分けるのを許可しよう」
「でも、こいつも龍月もこの世界の者じゃない」
「まあ、異世界の者を魔力の使用者にあてるのは禁じているが、お互いが信頼できる関係であれば可能にしようと考えてな。先程の認証も解除しなくてもいい。
微々たる量なら異世界で暴発する危険性もなかろう。魔力は強いことに越したことはないが、力の大きさでその者の価値までは決まらんのだよ」
 魔王だけでなく、紫蘇巴、悠雁、紗佐も温かい目で見守っていた。
「…わかった」
 龍星は顔を上げた。
「ふう、よかった…また腹具合悪くなるところだったよ」
 紫蘇巴はお腹に手を当てていた。
 こうも頻繁に悩みや心配事が腹痛に繋がっていては体力が持たないだろう。気疲れで寝込まないことを願うばかりだ。
「そういうわけで、お前さんには少々魔力が残ることになるがいいかね?」
「全然構いません。自分で欲しいって言ってしまったので、ありがたく使わせて頂きます」
「危険な目に遭わせてしまい申し訳なかった」
「いえいえ!今回の騒動くらいなんてことない…ことないか。命狙われてたし…でも、頼られたらやるしかないなーって思ってしまったんですよね」
 自分でもなぜ危険な目に遭うことが分かっていながら異世界に飛び込んだか理由は定かではないが、きっと少しでも役に立ちたいという思いが心の奥底に潜んでいたのだと思う。
「さすがはハイパーフレッシュナブルコトネ様やな」
 それまで黙っていたイウゾーが口に手を当てて笑った。
 いつのまにか「殿」から「様」に格上げされていた。
「それまだ引っ張るか…」
「これから侵略者が来た場合にはコトネ様呼ぼうや」
「それええなあ~」
「金かからんし」
 意気投合する3匹を見て私は堪忍袋の緒が切れた。
「うちを異星人退治屋にせんといて!本気で出張料請求するよ」
「わっ!がめついな~」
「奉仕の精神に溢れた人間と違うからな。こういう役どころは青春を謳歌する学生に頼むもんやで。若さは最大の武器。あるいはうちと同じ年代でも、高い身体能力ある人のがスムーズに事が運ぶやろ」
「そんな尊い方は多忙で、わしらのこと構ってる暇なんてないやろに」
 イウゾーが「へっ」と言い捨てた。
「そーやそーや、暇なら手伝え!」
「力の有効活用~!」
 他2匹も便乗してレギュラーで討伐を強制してきた。図々しいにも程がある。
「だめですよ。助けは強要するものではありません。この人にだって私達と同じように自分達の生活があるんだから」
 コアラ達を叱咤した後、悠雁は私ににっこりと笑んだ。
「悠雁さんに頼まれたら飛ぶ勢いで行きますけど」
 私は静かに呟いた。可愛い子のお願いとあらば光の如く駆けつけましょうぞ。
「さて、フレリたちには各自の仕事に戻ってもらうとするかな」
 紫蘇巴が廊下際で待機しているフレリ達の前に出た。
「皆のおかげで無事に紅深蝶を討伐することができた。これも君達の異星人を恐れぬ大いなる勇気と日頃の特訓の成果と心から感謝する。今後はこのようなことが起きぬようより一層警備の強化に努める所存だ」
 堅苦しい挨拶を述べた彼だったが一呼吸おくと
「皆ありがとう!ご苦労様!」
 両手を上げ笑顔で叫んだ。
 フレリ達の「わーっ!」 「うぉーっ!」 という歓声が響き渡る。
 まるでアイドルのライブ会場にでも迷い込んだかのような熱気に包まれた。
(もうこの人が魔王でええんちゃうん?)
 直感的にそんなコメントが脳裏を掠めた。
「では撤収!」
「はいっ!」
 フレリ達は揃って返事をした後、各自移動し始めた。
 そのうち何人何匹かがヒソヒソ声で
「あれって人間だったんだろ?すげーよな」
「火事場のバカ力って侮れないよな~」
 讃えるとも蔑むとも両方とれるような視線でこちらをチラ見していた。
 私は無難にニコニコと笑顔を振りまいておいた。
(ははは…そのとおりですよ)
 自分でもここぞという時の運の強さに驚いていた。
 離れた所にいた紫蘇巴のまわりには部下のフレリ達が何人か集まっていた。
 その中に見覚えある白い動物の姿が。午前中トイレ前で会った白うさぎだ。
「いやあ、本当にお見事でした!我はもう感動しました!」
「おれは特になにもしてないよ。他のメンバーが頑張ってくれたおかげだよ」
「いやいやいや!それはハナ様の管理が行き届きているのは然り、幹部の皆様の絆が深い証拠です」
「そうかなーありがとー」
 熱狂的な眼差しで褒めちぎられていた紫蘇巴は愛想笑いをしていた。
「あ!新入りではないか!」
 ギクッ!うっかり目が合うと彼は私の方へ小走りで来た。
「お前もすごかったぞ!この調子でこれからも頑張るんだぞ!」
 彼は私の腕をぐっと掴んだ。
「あ、あの…私はフレリじゃなくて人間なんです」
 嘘はよからぬと思いカミングアウトした。
 白うさぎは鳩が豆鉄砲を食ったような顔になったが
「はっはっは!そんな謙遜せんでもよろしい!」
 ぽんぽんと腕を叩いた。
「あ、いや謙遜ではなく本当に…」
 私が再度言いかけても彼は
「はっはっは!よくやったぞ!」
「あはははは…」
(人の話を聞けっつーの!)
 顔では笑いながらも心では苛立っていた。
 なんかもう、人間か魔物かなんてどうでもいい気がしてきた。
「ではまたな!」
 白うさぎは殆ど1人で勝手に喋って去っていった。
「すっかり馴染んじゃったねー」
 くすくすと笑いながら紫蘇巴が隣にやって来た。
「うち角も生えてないのに。ベテランともなると種なんて関係なくなるんですかねー」
「ラビッキィはまだ2年目だったと思うよ。歳は23だったかな」
「えっ?2年目にしてあの貫禄!?」
 ラビッキィという名の先程の白いうさぎは若者であること知った私は驚愕した。
 人間の感覚でいるととことん常識が通じない世界だった。

 喜びを分かち合うフレリ達を穏やかに眺めていた魔王は、手前にいた龍星の隣に移りこっそり声をかけた。
「結婚の件も、もう少し積極的になってくれると嬉しいんだが」
「見合いとかいいから…」
「私も平均寿命的にはあと120年近く生きられるが、いつ何時死ぬかわからない。それまでに良い人が見つかってくれれば悔いなくあの世へも行けるんだがね」
「相手は自分で探す…」
 その言いように魔王は目を丸くした。
「本当に?」
「ああ」
「約束破ったら所内に『お見合い相手大募集』の案内を一斉送信するけど良い?」
(えっ!?晒し者!?)
 その真剣な顔から脅しではなく、本気でやりかねなさそうな気迫だった。
 龍星はやや困惑していたが
「そうならないように努力する」
 素直に答えた。反抗するかと思いきや、すんなりと受け入れたことに私も他の幹部達も驚いていた。親心を汲み取ったのだろうか。決断も早かった。
「それにしても紅深蝶君は仕事ぶりもよく、将来を期待していただけに残念だった」
 魔王は大きなため息をついた。
「星がいるから大丈夫ですよ。王位も彼が継いでくれますし」
 説得する紫蘇巴に龍星がすかさず間に入る。
「待て、勝手に話を進めるな」
「だってさっき言っただろう。おれの能力は統治者向きじゃないし、現にそれを利用してこの地位についたのは事実だから」
「それはもう昔の話だ。そうやって過去に拘って内心ずっと悔やみ続けているのはお前の悪い癖だ。負い目を感じて勧めているのなら尚更引き受けたくない。他にもいるだろう」
 龍星は突っぱねた。
「お前の代わりはいくらでもいるけど、仕事するなら星と一緒がいいんだよ」
 紫蘇巴はやんわりと微笑んだ。
「そう言われると断りづらくなるだろう…」
 意外と押しに弱い面があることを知り、若干哀れに思った私は
「いっそのこと2人で協力したらいいのに…」
 と独り言ちた。それを聞き取った紫蘇巴はポンと手を叩いた。
「なかなかいいかも」
「いや、どう考えても自然に俺になる流れだろ」
「おっ、星も他人の心が読めるようになってきたね」
「読まなくてもわかる…」
 彼はげんなりしていた。
「魔王様いかがでしょうか?」
 紫蘇巴が魔王に伺いを立てると彼は
「そうだなあ~あと3年くらいは体力持ちそうだから、それまでは今の職務に加え、2人でこなしていけばそのうちどちらが適任か決まるだろう」
 笑顔で快諾した。
「え?」
「じゃあ、そうしよう!決まり!」
「……」
 龍星は反論できず項垂れた。紫蘇巴は意気揚々としていた。
「では、私はまだやることが山ほどあるから自室に戻るとするよ。一応、大魔王様にも報告しないといけないのでね。君達は片付けが済んだら少し休みなさい」
「はい」
「ああ、そうだ。地上界へのワーネルを龍星のタパレットに送信してあるから、お前さんはそこから帰りなさい」
「あ、ありがとうございます」
 魔王はにこりと笑むとワーネルに乗って去っていった。
 その数秒後、逆方向のワーネルが光り今度はネキが現れた。
 彼女は紫蘇巴を捉えると全速力で駆け寄った。
「父さまー!無事でしたか~!」
「ネキ!心配かけてごめん」
「ううん、ネキは父さまのこと信じてました!あ、さっき母さまから連絡あって…今繋がってます」
 ネキは紫蘇巴に名刺サイズのカードを手渡した。
 途端に彼は気まずそうな顔になり、カードを床に置くと2歩ほど離れて腕を伸ばし表面に触れた。
「あなた!?一体何やってんのー!?」
 耳をつんざくような女性の怒鳴り声。あまりの迫力に私は震えた。
 紫蘇巴は両耳を軽くふさいでいた。
「ネキから聞いたよ!異星人討伐ですって?腹痛持ちなのに無理して戦うなんて!」
「ごめん…もう追い払ったから」
「自分のことも大事にしなさいよ。私もネキもはらはらしてたんだからー」
「うん…」
「無事だからよかったけど…あ、そうだ。帰りに『スーパーさきわ』で特売の大根買ってきて」
「えっ?今日は遅くなるかも。それに病み上がりだし…」
 急に買い物を頼まれた彼は明らかに嫌そうな表情だった。
 それよりも気になったのは魔界にも大根が売っていることだった。万能野菜大根、万歳。
 大根購入を拒否する夫に妻の怒りは更にヒートアップしていた。
「はあっ!?病み上がりってそれは自分の体調管理悪いからでしょ!それにあなた今日は休みじゃなかったの?無駄に出勤するから面倒事に巻き込まれるんだよ。私も今日は早く帰れないの。
しゃべれる体力あるなら寄ってきてよ!」
「ごめん。いや、でも、紅深蝶の呪いもあったしあまり気分良くないというか…」
「そうだとしても、普段から鍛えてたら呪いなんてかからなかったかもしれないでしょ!」
「まあ、そうだけど」
「半分でいいし、おろしにするから上部の方ね」
「うん」
「下部じゃないよ。辛いから」
「わかってる」
「こないだ間違って買ってきたじゃん。半分の上の部分だからね」
「何度も言わなくてもわかるよ」
「そ、じゃあよろしくね」
 プツンと音声が切れた。沈黙が流れた。
 彼はしゃがみこんだまま顔を覆っていた。
「毎度のことながら恥ずかしい…今日はいつになく機嫌が悪かった」
「父さま、ネキがお買い物に行きましょうか?」
 ネキは父の頭を撫で撫でして慰めた。
「ううん、いいよ。そんなことしたらまた雷が落ちるから。ああ、また腹痛くなってきた…」
 腹を抱える彼に同情の念を抱かずにはいられなかった。
 職場ではカリスマリーダーとして活躍する一方で、家庭では妻の尻に敷かれているようだった。
 できる男達もプライベートではやや難ありか。
 龍星含め悠雁も紗佐も苦笑いをしていたが、仰天する出来事ではなかったらしい。
(なんか、平和やな)
 その光景にほんわかした私は自然と頬が緩んだ。
「そうだ、これを返しておく」
 龍星は私にリップケースを差し出した。
「あ…すっかり忘れてた。ありがとう」
 角にぶつけて彼に魔力が戻ったことに気を取られていたため、ケースの存在をすっかり忘れていた。
 フタを開けると中は元通りに黒いフェルトが張られていた。
「壊れてなくてよかった…角なんともなかった?折れたような音したから」
 私はケースをぶん投げて彼の角に当てたことを思い出した。
 傷を付けてしまっていたら修復は可能なのだろうかと不安になっていると
「あれくらいでは何ともならない」
 彼は特に表情を変えるわけでもなく角を触った。
「鹿ツノ」や「柿の木」と主に私や紅深蝶に揶揄された角だったが、大人の姿で改めて見ると立派で堂々としているなあと感慨深いものが込み上げてきた。
「地上界へのワーネルの準備をする」
 彼はそう言って廊下中央へと進んで行くと悠雁の傍を通り過ぎた。
「あ、あのっ!」
 コアラ達と話していた彼女は立ち上がって龍星を引き止めた。
「何だ?」
「伝えたいことがありまして…」
「?」
「わたし、星さまのこと好きです…よ」
 やや上目遣いで恥ずかしそうに彼を見た。
(おおっ!外見とは違いぐいぐい行くタイプか!)
 予期せぬ展開に数年前は恋する乙女だった私はドキドキし始めた。
 龍星は面食らっていたが、うーんと首を傾げると
「俺も好きだぞ、悠雁のこと」
 はっきりしっかりきっちり答えた。
(え?これはもしや、カップル成立!?)
 恋愛に疎いようで意識しているところがあったのだ…と感心したのも一瞬、彼はその後
「かけがえのない仲間だと思っている。だから、今後も弐区所の幹部として共に職務に励むぞ」
(違う!そうじゃない…何故そうなる!?彼女の表情見てみろ!気づけよこの鈍感!スカタン!鹿野郎!)
 私は内心彼をめちゃくちゃに貶しまくり、スパーンと引っぱたきたい衝動に駆られた。
 けれども悠雁は「ふふっ」と笑うと
「はい、そうですね!ありがとうございます」
 ニコリと笑顔で返事をした。
(これでいいのか…?)
 私が愕然としていると紫蘇巴が言った。
「この手のやり取りはここ3年くらい繰り返してるんじゃないかなー。即答しなかっただけ進歩したと思うよ」
「そうなんですかねえ…」
 どうも同意できないでいると紗佐が
「初々しいことだわ」
 ふっと笑みをもらした。
「そういえば、紗佐さんは結婚し…」
 私はさりげなく聞こうと彼女の顔を見た。
「私には相手は必要ない。ひとりが楽だから」
 間髪入れずに回答された。
「は、はあ…」
 それ以上のことを聞くと首を締められかねないと危険を感じたので問い詰めなかった。
 そして踵を返した彼女は首だけこちらに振り向けた。
「あなたも早く戻りなさいよ。魔力があってもただの人間が長居していると、どんな影響があるかわからないんだから」
 相変わらずトゲのある言い方だったが、彼女なりの気遣いだったのだろう。冷たさは微塵も感じなかった。
 紗佐が去ると龍星が
「おい、戻らないのか?」
「あ、うん、戻るよ」
 彼に呼び止められ私は慌てて足を進めた。
「では地上界に戻ります。今日は色々とご迷惑かけてすみませんでした」
 私は紫蘇巴と悠雁にお辞儀をした。
「迷惑をかけたのはこっちのほうだよ。ありがとう」
「いえいえ、紅深蝶撃破はまぐれに近い…」
「それだけじゃないよ。星のこと信じてくれて感謝している」
 紫蘇巴はチラリと龍星をみやった。私はどぎまぎした。
「え、信じるって…早く面倒事片付けたい一心なだけで、彼にも風当たりきつかったかなと今思うと反省点もあったような気がします」
「星は良くも悪くも鈍感だから。深い理由はなくてもよかったと思うよ、ね?」
「そこで肯定するなんてただのバカだろ」
 同意を求める紫蘇巴に龍星は呆れていた。
 その様子を見ていた悠雁はぷっと吹き出した。
「直接の繋がりはなくてもやっぱり兄妹ですね。」
「そうなんかな…」
「他人の力を使いこなすことはそう簡単にはできないから。こてぃすとの技と合わせることで更に大きな力を発揮されてたし、琴音さんの隠された能力なのかもしれませんね」
「能力!?」
 私がその言葉の響きに照れていると龍星は言った。
「こいつは魔力があると厄介だぞ」
「それって魔力なくても強いってこと?」
「そういう意味じゃなくて…何をしでかすかわからないということだ」
 彼はわざと「しでかす」を強調した。
「しょうがないよ、人間やもん」
「人間にしてはよくやった」
 彼は表情を和らげた。
「な、何?急に…そんなこと言うてもあんたの株は上がらんからな!」
 不意打ちに動揺し勘繰ってしまった私。
「素直じゃないな」
「あんたに言われたかないわ!」
 こんな明るい笑顔ができるなら、日頃から心がければバラ色の人生が開けるかもしれないのに。 見目は良いのだから勿体無い…と残念に感じつつ、左手首に付けていたペンタを外そうとした。
「そうや、これお返しします」
「いいよ、記念に持って帰って」
「え、でも…」
「地上界では使い道ないかな。要らなかったら無理にとは言わないけど」
「いえ!ありがたくいただきます!」
 外しかけたペンタをはめ直した。
「もしまたこっちに来た場合、どのくらい持ちますかね?」
「魔力によるなあ。どう星?どれくらい滞在できる?」
「最大約30分」
「ちょっと長めのティータイムが満喫できる時間やな」
 それにしても微妙な長さだ。でもこれなら異星人討伐に駆り出されることはない。
「大丈夫、この国の平和は魔物達(自分達)で守るから。元気でね…って星も何か言いなよ」
 さっさとワーネルに移動しようとする龍星に紫蘇巴は私への別れの言葉を求めた。
 龍星は視線を下に遣ってから戻した。
「仁達を困らせるようなことするなよ」
「困らせてないよ…って、いつの間にそんなに親しくなってたん?」
「普通に話していただけだが」
 それだけで去り際の挨拶に他人の夫がさらっと出てくるものなのか。
 あの数時間、いや厳密に言えば数分で仲を深めることができるとは。
 友好スマイルとは別に仁達の潜在能力、魔物と心を通わせられる親睦スキルでも発動されたのだろうか。
「まあ、婚活頑張りなよ。仕事よりもむしろそっちのが気がかりやから」
「余計なお世話だ」
 彼は変わらず素っ気無かったが口元は笑っていた。
「本当にありがとうございました」
「達者でな~」
 悠雁とコアラ3匹もにこやかに手を振ってくれていた。
 龍星はタパレットの画面に触れて操作すると、足元にワーネルが映し出された。
 中央に乗った私はもう一度皆の顔を見た。
「皆さんもお元気で!」
 前かがみで片足を擦らせると体が浮き上がり、行きと同様にくるくると体が回転し始めた。
 視界が消える瞬間、龍星と目があった。
 彼の口が微かに動いた。
( ありがとう…?まさかな…)
 私は目をゆっくりと閉じた。

 目を開けると自宅の和室に立っていた。
 足元のワーネルは白く光るとスッと跡形もなく消えた。
 真っ暗な部屋の戸を開けると、廊下を隔てたダイニングの明かりが灯っていた。
 私は引き戸を勢いよく開けた。
「ただいま!」
「琴音ちゃん!?」
 電子レンジからあんかけスパの乗った皿を取り出した仁達は目を丸くしていた。
「メール見てびっくりしたよ」
「ごめんごめん。さっさと終わらせようと思って。今何時?意外と時間経ってた?」
 キッチンの上の置時計を見ると午後6時半だった。5時間近くも魔界に滞在したことになる。
 決して怒らない仁達に感謝しつつも私は得意満面になった。
「魔界を魔の手から救ってきたよ」
「え…?」
 彼は皿を持ったままきょとんとしていた。
「紅深蝶やっつけたの?」
「うん。星太郎が宇宙に飛ばしてくれたよ。魔力も無事に取り戻せたし」
「よかったね。じゃあ星太郎さんは帰ってしまったんか…」
 彼はしょげた。
「うちも、ちょこっと力もろて…て、あっ!」
「どうしたん?」
「もし、子供生まれて来た時に魔力引き継がれたらどうしよう…」
 私が気まずく思っていると仁達は
「別にいいんじゃないの?」
 あっけらかんとしていた。
「ええっ!?」
「だって、ほんのちょっとだけなんやろ?親子揃って、えーっと『スーパーマジカルこてぃすと』とかなんてかっこいいやん」
「スーパーマジカルこてぃすと!?」
「うん。魔法使うから」
「言うほど魔力もろてないで。お茶出せるくらいだけ…ホントかな」
 私はショルダーバッグをダイニングテーブルに置いてから半信半疑で手を広げて念じてみた。
(ほうじ茶出てこい!)
 ポン!と現れたのは350ミリリットル入りのペットボトル。
「おおっ!すごい!ってあれ?」
 よーく見てみると液体が入っていない。空の容器だった。
「中身が出てくるよりマシか…でも、空やったら意味ない」
「ど、どんまい!」
 仁達は励ましてくれた。
「修行したらできるよ!頑張ろう!」
「結局、鍛錬せんと簡単には出せへんってことか」
 トホホ…私はがっかりしたが、人間がそうほいほい魔法を自在に使えていたら、今頃世の中スーパーやハイパーな魔法使いが存在し、大混乱になっているだろうと悟ると納得できた。
「習得する前に3日坊主になってそう。お茶くらい自力で用意できるよな。なんでもっと別の力にせんだんやろ。火出すとか光で照らすとか災害時に役立つ力やったら…」
「水分も大切やよ。それに練習したら他もマスターできるかもよ」
 仁達は笑顔で難しい課題を提示した。
「うーん、魔力を持っても人生は修行の連続なんやな」
「琴音ちゃんなら気合いと根性と優しさでできるよ、きっと」
「優しさ…」
「都合の良い解釈かもしれないけど『思い』も力に影響してるんじゃないかなと思うんだ。
琴音ちゃんが魔界の人達を助けたいと思ったように、大切なものを守りたい気持ちがあってこそ、力って強くも弱くもなるんじゃないかなって」
 仁達はぽりぽりと頭を掻いた。
 世界を変えるというと大袈裟だが、少なくとも人の心を変えるのやはり、優しさや思いやりといった温かな気持ちである。
 紅深蝶は方向を間違って突っ走ってしまったが、根本はそれであり、いかにその気持ちや意思を純粋に保ったまま遂行できるか否かが重要なのだと思う。
「あったかい気持ち忘れたらあかんな。誰に何に対しても」
「そうやね。そういえば、星太郎さんは魔王になるん?」
「さあ?しばらく紫蘇巴さんと2人でお試し業務ってことになったみたいやけど…どうなるやら」
 私は結果がうすうす予測できていながらも断言はしなかった。
「助け合いながらってすごいね」
「星太郎はクールに見えてコミュ障のヘタレやったからな。いきなり1人に任せるには厳しそうやわ」
 本人がいないところで率直な感想を述べた私に彼は驚いていた。
「そこまでひどくないと思うよ~琴音ちゃんまた魔界へ行く機会あるんかな?」
「仁達も行ってみたいん?」
「いやー星太郎さんに挨拶してなかったし、いなくなると少し寂しいなあと思って。そんなことない?」
彼はしょんぼり顔で私に問うた。なんて律儀な人なのだ。
「あんな憎たらしい奴やけど根っからの悪者じゃないってことわかると寂しくもないかな。一日しか経ってないけど」
 私は今日を振り返った。紅深蝶の顔に匹敵するくらい濃厚な1日だった。
 この短時間の中で感じたことがいくつかある。
 まず魔物は根本的に悪者ではないということ。地上界から見ると天上界が「光」とするなら魔界は「闇」と呼べる世界であるのは間違いない。
 しかし神が「善」で魔物は「悪」とは決め付けられない。
 確かに魔物は、人間の負の感情につけ入り闇に引き込むという人間にとっては恐怖と嫌悪の対象であるが、人間基準で判断するからそうなるのであって、彼ら自身は善にも悪にも成り得るのではないかと思うのだ。
 魔物の本質として彼らは刃向かう者には容赦ない。ところが、組織での一定の秩序はあり、その根底には人間社会と同じように情は存在した。
 私が接触したのは魔物の中でもフレリの一部だけであったが、少なくとも彼ら魔物のほうが短絡的な人間よりもずっと良心的で誠実で親切だった。
 其々に気配りや気遣いという優しさがあった。見返りを求めるとか馴れ合いなどではなく、自身の心の内から無意識にわき起こる感情。人間社会では「思いやり」や「憐れみ」 などといった慈悲の心に当たるのだろうが、彼らは表立っては口にしない。
 それは温かな気持ち自体に胸糞が悪いからではなく、そもそも強要するべきものではないからだと認識しているからだろう。 同じように、信頼だの絆だの言葉でいうのは容易いが、その関係を深め持続させるには相手を全て受け止める寛大な心と覚悟が必要だ。
 弐区所の幹部達は、魔界を守るという揺るぎない意思に加え、其々に仲間を思う気持ちが自然と重なり合った結果強い結束力に繋がり、有害な異星人の追放にも成功したのだろう。
 と思い返してみると、魔物の人達は人間と感覚が異なっていてもつまるところ、とても「やさしい」存在だった。
「みんな良い人らやったなあ…」
 私のぼやきに仁達はにっこり微笑んだ。
「うちもご飯食べるわ。上にカバン置いてくるよ」
 廊下に出て階段を上がろうとした私は、和室にコピー用紙の束が放置されたままだったのを思い起こし部屋に入った。
 ローテーブルの上には真っ新な用紙の隣に白い紙が1枚。
 手に取り裏返してみるとそこにはワーネルが描かれていた。
 上余白部分に「地上界―魔界 緊急用 取扱注意」と漢字で大きく記載されている。
(これって魔界へのワーネル?本物?なんでここに?)
 私と龍星が魔界へ移動する前に、彼は何やらこの部屋で作業していたみたいだが、その際に作ったものなのだろうか。自身が使うならこんな注意書きはしないはずだ。
 図とにらめっこしていると、読めない小さな文字の中にローマ字が交じっているのがわかった。
「まどいしことあればふたたびてをかさむ…」
 また何か困ったらこれを使って来たら手助けしてやるという趣旨だろう。
(こんなわかりにくい書き方にしやがって。じっくり読まんだら気づかんままやで)
 せっかくの彼の親切心に毒づいたが、不器用な彼のお詫びとお礼の表し方なのだろうと思った。
 しかしこのワーネルの存在のおかげで、再度魔界訪問することが物理的に可能になった。
 とはいっても緊急用と書いてあるように、余程のことが発生しない限り観光気分でワープした日には襲撃され消し炭にされそうな予感もある。
 今はこの紙はそっとしまっておこう。私は紙をくるくる丸めて片手に持ち和室を出た。
 廊下でトイレから出てきた仁達とすれ違った。
「それ何?」
 私は戸惑ったものの包み隠さずに答えた。
「手描きワーネル。ここから魔界へ行けるやつ」
「へえ~」
 仁達は興味深そうに紙を見つめていた。
「魔力ある人と一緒なら移動できるけど…向こうは魔力がないと酸欠状態みたいに苦しくなってしまうん。普通の人は」
「なんでそれが?」
「緊急用に置いてってくれたみたい」
「そうなんや。じゃあ今は使っちゃだめやね」
 行きたいと言われなくてよかったとほっとしていると彼は笑顔で
「来るべき戦いに備えてとっておかなきゃねー」
 サラリと爆弾発言した。
「え?戦い?しょっちゅう異星人に攻められてたらたまったもんじゃないで」
「人生はいつ何が起こるかわからんよ。地上界に凶悪な異星人が現れた時に、魔物の人達に助けてもらうってこともできるやん」
「うちらが魔物に助けてもらう?環境対応が難しいから魔物を地上界に召喚するのは酷やと思うよ」
「そっか~」
「来てもらわんでも、こっちが向こう行ってアドバイスもろたりはできそうやけど」
「まあ、僕らが生きている間に侵略される可能性は低いやろなあ」
「うん、確かに」
 私は2度頷いた。
「仁達は案外、ヒーローものに憧れるタイプやったんや」
「だって、誰かのために懸命になってる姿ってかっこいいやん!応援したくなるやん!やから『ハイパーフレッシュナブルこてぃすと』として頑張る琴音ちゃん見てたらついつい…どうしたん?」
 普段冷静な彼が力を入れてこんなに熱く語っている姿は初めて見た。
 更に例の恥ずかしい肩書きが彼の口から出てきたことに対し目が点になった。
「そのハイパー云々て誰から聞いたん?」
「聞いた?今ぱっと思いついたんやけど?」
仁達は不思議そうに首をかしげた。
「前は『スーパーマジカル』って言うてたやん」
「あ…なんでかな。更に強く!って願望で出てきたんかな」
「なんじゃそりゃ」
「ハイパーフレッシュナブル」という言葉は早々思いつけるものではない。
(まあ、いいか…)
 私は考え込んでも無意味だと諦めた。
「フレッシュじゃなくなっても、自分が出来うる限りは力を尽くすよ」
「その心意気やよ!僕もサポートするからね。頑張ろう!」
「う、うん…」
 元気溌剌に叫ぶ仁達。彼のやる気スイッチを押してしまったようだ。
 私達も魔物や使い達と関わりを深めるごとに、彼らの感覚に近づいているところもあるのかもしれない。
 本来なら関与するはずのない異世界。
 人間がそこの住人を手助けすることが果たして正しいのかのかどうかはわからない。
 けれども微力でも手を差し伸べたいと思う心は生きとし生けるものとして間違いではないと信じたい。
(なんとかやっていけるやろうさ…)
 ペンタを外し窓際へ移動した私は外を眺めた。
 暮れなずむ空。柿畑にもかすかな陽が差し、柿の木の葉が物柔らかくそよいでいた。

                          - 完 -