全然につられて
「全然」の後には否定あるいは打消しの語がつくのが一般的である。
しかし、現代では肯定の意味でよく用いられている。用いるのは若い世代の人が圧倒的に多い。また、それを非難する人は彼らよりも年輩の人々だというのは言葉の変化に対する役割の型になりつつありそうである。時たま、若者でも若者の言葉を批判する人もいる。私もそのうちの一人なのだが、でも、批判理由が単に本来否定で遣うからというだけではない。

歴史的に見れば、この語は「とても」などと同じように1900年頃は肯定の意味で用いられていたが、時代を追うごとに否定・肯定が混在し、戦後は否定で用いられてきた。そして今は再び肯定の用法が現れている状況らしい。
語は時代とともに変化するのだから、「全然」が肯定で用いられてもおかしくはない。ここで私が気になるのは、「全然」を否定でとらえている人と、肯定でとらえている人の語感の隔たりである。

その日、私は友達2人といて、一人が気分がよくないみたいで、もう一人の友達が彼女に「大丈夫」と尋ねたところ、彼女は「全然」とだけ答えたのだ。
私は、”全然=否定”の解釈なので「全然大丈夫じゃない」と思ったのだが、実はまるっきり反対だったらしく、「大丈夫だ」と言ったのだった。それは、返答を聞いた友達が安心したかのように頷いたから気づいたことで、気分が悪かった友達も肯定の意味で答えたということがその後の二人のやりとりで見て取れたのである。

この例は、間違えたとしても何ら問題はない。自分だけが少し疎外感を覚えてしまう可能性はあるとしても、他人には影響しない。この場合、否定にとっておいたほうが誤解を招きづらい。
もし、私が正反対に解釈して友達と接していたら、相手に「コイツ、いたわりの言葉もないのか」と思われるに違いない。
心配されすぎるのもいい迷惑だが、そのへんは「あなたのためを思って」などと上手く言いくるめれば何とかなるし、親睦も深められるかもしれない。相手がかなりの正直者でないと成功の見込みはないが…
とにかく、肯定と否定この意味を取り違えれば、人間関係も危うくなりかねないのだ。

だったらどうすりゃいいのかと言われても、私も知らない。
なぜなら、もう世間には”全然=肯定”の用法が定着している。
国語辞典にも俗語としてその用法は書かれているのだから、廃止しろなんというのは無理無謀な試みである。
そこで、私が思いついた中で名案なのは、「”全然”でとめないこと」である。それすなわち、述語まできちっと言い切ること。
相手が言い切らないようなら、こっちから「全然何?」と迫る。これで、話が終わるまでもどかしい気持ちを抑えておく必要も無い。
単純だけれど、少々勇気もいるけれど、それが最も誤解を招かない方法だと思う。
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