ししゃも白昼夢(6)
私は参道中心近くで素持が来るのを待った。
彼女は一昨日と同じように黒装束でやってきた。
彼女は鳥居の前でピタリと足を止めた。やっぱりというふうに彼女はほくそ笑んだ。
「あんたも懲りないね。またあたしと勝負するの?」
「いや、勝負はせん。うちは貴方がしようとする行為を防ぐだけ、それだけ」
「随分悠長なこと」
素持は不敵な笑みを浮かべた。
「いいわ、あんたの防御なんかぶち壊してやるわよ」
(むかっ、やっぱこの人いけすかんわ)
私は腸が煮えくり返りそうになりながらも、相手の出方を窺った。
「手始めにこれはどう?」
素持は杖を高くかざした。中心から青い光を発し本殿に向かってさしこんだ。
ぺぎょぎょぎょ
異様な音は光が壁にぶつかり押し込まれていたのだった。私ははらはらしながらなりゆきを見ていた。
ぽこん
壁にはねかえされた光は地面に落ちた。
(神様の予想的中やん)
私はひとまず安心したが油断できなかった。
「へえ、壁を個々に張ったのね。己内はやぶるのに手間がかかるから今度は…」
素持はバッとかけ出した。私の目の前に現れた。
「一番てっとり早いのはあんた自身を倒すこと」
そして右手をかざした。掌から赤い光が渦を巻き次第に大きくなってきた。
私ははっと春夏殿に振り返った。
(お願い!!)
「さよなら」
と言った瞬間、私は宙に浮いていた。
(セーフ…って飛んでる?なんで?)
私は慌てて空を見上げた。
春夏殿の後ろからさっと助けに出てきてくれた神様が私を抱えて宙に浮かんでいる。
(まさか、飛ぶのも己内で?)
私はあえて彼に尋ねなかったが、おそらく正解だったろう。
「こなきは二度目でも危なっかしいな。いや、三度目か。何度目でもいいや」
投げやりなつぶやきが私の耳に入った。
私は宙に浮かぶ怖さと嬉しさやらで、はしたなくも彼に抱き着いていた。
彼は相変わらずのポーカーフェイスだった。そこがまた頼もしかった。

地上におりて来ると、素持は信じられないと顔に表していた。秀才の彼女にもわからないことはあったらしい。
「なんで?」
「己内分配さ。これはうちの予想やけど、己内の壁を作った時、被害の少なさそうなところの己内を薄くして、その分を神様自身使った」
私は隣を見やった。神様は小さく頷いていた。
「そう。でもまだ完全じゃない。残りはあたしが持ってるんだから」
素持は再び気味悪く笑んだ。
「やれるもんならやってみな」
口に出したのは神様である。彼はきゅっと目を細めて微笑した。神の力を失っているというのに、それを感じさせないほどの威厳に満ち溢れていた。
にもかかわらず私は不安だらけだった。丸腰に近い彼がこんな大口たたいていいものなのか?いや。彼は嘘でなくても神なのだ。
しかも、ここしその葉神社の正当な。守りに固められたこの聖域で彼はやる気を奮い起こしたのかもしれない。
 素持の髪がさかだった。腕の文様が不気味にうごめいた。
「あたしに逆らうとどうなるか思い知らせてあげるよ」
魔女を越え鬼と化した素持は全身から極悪なオーラを放出し鳥居外の木々を枯らせた。
「なんて環境に悪いやつなんや…」
私は彼女の悪の力に改めて息をのんだ。
「これからどうしようか」
緊急時だというのに、神様は話題が途切れて困ったなあを繰り返す会話のようにのんびりしていた。
「札を使う。これをうちがああするから…とにかく神様は気づかれやんようひきつけといて」
「オトリか」
「ぴったりやろ?」
私はにやりと笑むと神様も返した。そして彼は私の頭をポンポンと二回叩くと飛び上がった。
「私が欲しければついてこい」
(えらいクサイな…)
私は筆ペンを持つ手が震えそうだった。一人で赤面した。多分彼は挑発するために言っているのだろうが、まるで恋の駆け引きである。
現実は彼の生死に関わるロマンチック要素は破棄された状況である。
「捕まえてあげるわ!」
素持はどんな技を使ったのか自らも神様めがけて飛び上がった。
(かかか、あの人すでに人間じゃねえ)
私は開いた口が塞がらないことないようにさっさと小技の用意を始めた。
塗屁札に私は筆ペンをとり宙を見上げた。私の目配せで彼は目で頷くと早速逃げ始めた。
(よし、左は)
また見上げる、今度は右に移動する。
(右は)
さらに見上げる、彼は円を描いて回った。素持は同じ道を追い掛ける。
(神様逃げの才能があるやん)
私は感心してる場合ではないと思い、できた札を賽銭箱に貼付けた。
「いけっ!」
札が密着して書き取った文字が光りだした。その様子に二人も注目する。と素持はみるみる下にひっぱられてゆく。
「ちょっ…!やめて!」
腕からぱらぱらと文様が剥がれてゆく。それは札の中に吸収されていった。
一文なしになった素持は地上に降りた。彼もついてきた。
「何なの?これは?」
素持は疲労の色を浮かべていた。
「塗屁先生の札、対象の力を一定時間吸収する。越己の場合はその機能を停止させる」
私は力を秘めた札をはがした。素持は力無く笑った。その刹那だった。
「!」
素持は神様の背後に回り杖を首にあてていた。
「あたしは無能な神の力なんかあてにしない。これで終わりよ」
彼女は杖を大きくふりかざした。

どごお
カランと杖が落ちた。神はさっと身を翻した。私は右手から煙がたっているのに気付いた。起きがあった素持は私を睨んだ。
「いい加減にしなよ!」
私は怒鳴りつけた。周りをはばかって私はトーンを落とした。
「何で貴方はそんなに越己に執着するん?強くなりたいていってもそれは他人のを盗んでまでする価値があるの?」
私はゆっくり素持に尋ねた。確認するように。
「…あんたにはわからない」
彼女は諦めの表情だった。
「あたしは小さい頃から一流の越己者の家系で育ってきた。でも周りのいいようになるなんて嫌だった。だから一人でやってこうって決めた。京には寺社がたくさんある。それを利用するほかなかった。意外と神を引き込むのは簡単だったよ。彼らも油断してたのかもね」
彼女はすくっと立ち上がった。
「あたしは今まで十分生きた」
「何するん?」
「神々の人間への信頼を裏切った罰よ。弱い自分なんかいてもしょうがないもん」
素持は哀しげな瞳をした。杖が鋭い刃物に変化した。
首にまったてにつきおろそうとした瞬間、すでに私の体は動いていた。
ガッ
(こっ、くう、う…)
私はとっさに彼女の腕をつかんだ。刃物は首筋寸前でぴたりととまっていた。彼女の力と私の引っ張る力が同じにかかっていた。
「なんでここまでするの?」
彼女は手の力を緩めずに問う。
「神聖なる領域、まして神の目の前で殺生ごとは大罪です」
「え?」
(今や!)
一瞬力が抜けたところを私は逃さなかった。すかさず杖を引っこ抜いた。
するっと彼女の手から杖が落ちた。
「あ…」
彼女は悲痛な顔をした。刃物はもうもとの杖の形に戻っていた。
「いらないお節介なんかやめてよ。生きてたって恥さらすだけなのに」
ヒステリック気味の彼女に私はふうと深呼吸した。
「蛇羅家さんはちっとも弱くないよ」
「もう力もないっていうのに」
「強いってのは力だけじゃない。相手を想ったりするのもまた強さの一つ。やけど、力の強い弱いなんてどうでもいいんや。いつも見守ってくれる人がおる。その人たちへの感謝を忘れやん心、それが人との関係やってオカンは言ってた」
素持は頭を上げた。
「うちが蛇羅家さんを助けたときから、赤の他人じゃなくなってる。そういう人らが苦しんだり悲しんだりしてたら手を差し伸べるのが情…これもまたオカンの受け売りやけど」
私はひとり非常に焦った。
「うちと蛇羅家さんが会ったんは、ありとあらゆるものの中でうまいことめぐり合えた。袖振りあうも他生の縁ってことわざあるやん?私らは一人で生きてるように思えて実はそうじゃないん。舞台の黒子さんみたいな…これは持論やで」
なんでいちいち自分の意見を主張しているのか、こうしないと全てオカンに洗脳されているみたいな子供に思われてしまう。でもこの“親にしてこの子あり”というように、私の考えたことは母の影響を強く受けているのだ。

説得力に欠ける演説にも関わらずなんと素持は爆笑していた。
爆笑といってもげらげら下品な笑いではない。人目をはばかり泣いているようにみえた。
「すばらしい人ね。あんたのお母さんは」
素持は鼻をすすった。
「もちろん、この世でうちにとって最強やもん」
えっへんと胸を張って言ってやった。
「でも、」
私はしゃがんだ。
「その人にとってのお母さんとか家族は一番素晴らしいと思う。なんせ、おかげで自分の存在があるんやからな。それ一つとってみても簡単に死ぬことなんかできやんはず。命を絶つってことはまわりの人との関係も絶ちきってしまうこと。友達や家族はずっとその悲しみをひきずってかなあかん、なんで死を選んだかに苛まれるやろう。それもまた過ちさ。
蛇羅家さんは辛かったから死のうとした。でも辛さから解放されるのは死だけじゃない。第一、死んだら終わりなんやよ。生まれ変わるとかいう人いるけど、そんなんわからんし、人間に生まれ変わるかもわからん。そんな不安定な世間に、蛇羅家さんみたいな強固な意思ある人が死んだらアカンよ、生きなよ!」
私はにこりと笑んだ。心から。素持は
「あたしバカだった」
とかすかに微笑んだ。後ろから影がさした。振り返ると彼が冷たい視線で彼女をみていた。
神様は許してやらないのだろうか。
びくびくしながら彼の行動を追ったが、急に穏やかに笑んだ。
「あなたはいい瞳をしている」
はあ?私の心の声が裏返った。なんじゃこの好青年的態度っていうか、意味深のようで咄嗟の慣用句みたいなんは。私は彼の心中をはかった。
「神の力を利用し、万民に不安と恐怖を与えたのは事実。貴方の越己は危害範囲内において没収されることは免れない」
この人こんな難しい言葉だららら言ったっけ?さっきの瞳との関連性は果たしてあったのかどうか。
「それは覚悟の上」
素持ちは強張った表情で答える。
「実はこなきがうけうり話してる間に済ませたのだが」
「え?でも、さっき杖が刀に」
「あれが最低限の越己」
彼はすっぱり言う。
「はあ〜いや、刃物は危ないやろ?」
私は危うく納得しかけて突っ込んだが完全無視されていた。彼は続けた。
「世の中にはまだまだあなた以上に心の底から闇に包まれた人々がごまんといる。神でさえも全てを正すことはできない。人が変わるには人の力が一番だ。争うのではなく理解し合うこと、あなたは自滅する前に気がついた、本当によかった。よかった」
神様は素持を許してくれた。“よかった”には実感がこもっていた。
彼は素持に微笑んだ。私まであったかい気持ちになってきた。
素持は泣き崩れた。それは今までの溜まった怒りや悲しみ全てを洗い流すかのように。塗屁先生の札が与えた効果は対抗するだけではなかった。
(札といや…)
「札の兄さん姉さんらは大丈夫なん?」
「そう言われてみれば」
彼は今思い出したかのように本殿に行って札を剥がして来た。
そしてぱたぱたとはためかせた。するとふわっと舞い上がり模様から光の玉が飛び出し彼の胸の中にスウっと溶け込んだ。すぐさま腕に模様が表れた、そして残った模様から大きな光の塊が浮き出た。
彼は手をかざした。
「無事でよかった」
塊は神様と話しているのか、しかし塊からは何も聞こえなかった。
神様は光の塊に触れると、それはぱっと三つにわかれて空高く飛び去っていった。
「神様ってもともとはああいう形なん?」
「神に形はない。人々が思うから形となって現れるだけ」
神様の身体の回りはきらきらと光が降り注いでいた。足ももう地についていなかった。
「野木さん」
「はい」
私は初めて素持に名前を呼ばれて振り返った。
「あたしこれからマトモな越己を学ぶことにする」
彼女からはもはや重苦しさは消え去っていて、代わりに希望に満ちた瞳を見開いていた。
「あたし一人の力じゃ知れたもんだけど、あたしは無用じゃない。必要としてる誰かがいる。そのために生きる」
「うん、蛇羅家さんなら大丈夫や」
私は彼女に笑いかけた。彼女も笑いかえしてくれた。
「じゃあ、あたしは京に帰るよ。貴方の友達に申し訳なかったと伝えといて。彼女の怒りはすぐにおさまらないだろうけどね」
「ううん、紫音はああ見えて心根は優しい人やから」
私は彼女の心の変化に嬉しく思った。人を気にかけるということを彼女は行ったのだ。
「ありがとう、じゃ…」
素持は立ち上がって鳥居を出た。その後ろ姿には迷いも怒りも憎しみも全て消えていた。


その後私は紫音に無事作戦が成功して終了したことをメールで告げた。
もちろん、素持が謝っていたことも。すぐに返事が返ってきた。
「まあ、終わりよければ全てよしにしとく」
紫音らしい返答だった。
本当に今回は紫音の助けなしでは、なし得なかったことである。
それ一つとってみても私一人の力ではどうにもできない、誰かの助けを借りてやり遂げられることなのだと心から実感した。
私はまた柳の木の下の影で寝そべっていた。隣には神様がいた。彼は目をつぶって腕を枕に仰向けに寝ているふりをしていた。
眠っているように見えて実は全て見通しているはずだ。今までの経験からいうと。
口を開いたのは私ではなく神様が先だった。
「あのときの私の予感は当たっていた」
「あのとき?」
私は振り返った。神様の端正な横顔が写った。
「十年ほど前、上空を散歩していたある日ある少女の声を聞いた。少女は越己に不信感を抱き母親に尋ねた。なぜ越己者は世を正そうとしないのかと」
「それって…」
私は口をつぐんだ。最後まで話を聞いた。
「それに対して母親は国は皆が守らなければならない、越己者は万能ではないと答えた。私は直感的に少女は将来越己者と立ち向かうことになるだろうと予想した。そしてそれが打ち負かすものではなく立ち直らせるであろうことも」
「なんで?」
「己内だ」
「己内?」
「あのあと、少女の己内は一気に高まった。家族を守りたい、友人を守りたいその思いが無意識のうちに成長するにつれて己内として取り込まれていった。
それで昨日奇跡的に成功したというわけだ」
神様はそのままの状態でにこっと笑んだ。
「神様にはかなわんや」
私は参った。笑いが自然とこみ上げてきた。
神様も一緒になって笑う。とその時ぱっと神様が起き上がった。私はどきっとして彼を見上げた。
「ここから動くな」
「うん…」
また何か別の事件?私は柳の木に歩いてゆく神様をそっと見守っていた。
「コイちゃ〜ぁん!会いたかったぁ〜ん!」
その甲高い声は明らかに裏声だった。ぱたぱたと駆け寄ってきたのは女物の紫の浴衣をきたおじさんだった。
「さっきガンさんから聞いて、飛んで来たのよ〜どこも怪我してない?」
「全然」
神様の答えはそっけなさすぎたが、おじさんはそんなの気にもとめずに身体をクネクネと曲げて彼に迫った。
(あれが弥生さんか)
私は教えてもらわなくてもその身なりしゃべり方で一目で分かった。弥生さんはそこらの畑仕事しているおじさんよりも白粉や紫のアイシャドウ、真っ赤な口紅をつけていて綺麗に見せてはいたが、おぞましかった。
神様は相変わらず表情を見せなかったが、心の中ではさぞ嫌がってるに違いない。
「でも心配だから、ほら手見せてん」
と弥生さんは無理やり神様の右手をひっぱった。
そして、
ぶちゅう〜
と神様の頬に思い切りキスをぶちかました。
神様は硬直。
(あはは…なんで触れたんやろ。オカマには無効?それとも神様の特権?)
私は腹をかかえて笑いをこらえた。神様の青ざめた表情を見たらおかしくなってきた。
弥生さんは満足したのか、
「お店始まるから行くわねえ〜じゃあまた来るわ〜バイバイ〜」
もう来んでええ、というふうに神様は弥生さんを見送っていた。弥生さんは内股小走りで鳥居を出て行った。
「神様ってもの大変やなあ」
私は柳の木まで来て神様を揶揄した。
「あれは個人の趣味だろう」
げんなりした彼には怒る気力もなかった。
「人生経験やって」
私が諭すように言うとまた誰かが鳥居をくぐってやってきた。中年を過ぎた天然パーマのおばさん…って
「オカン!」
「こなき!終わったん?」
私はオカンとわかると参道まで走り出て行った。
「うん、無事に。紫音と神様に手伝ってもらって」
「そう…」
とオカンは柳の木の下にいる神様をみやった。
「あの人が神様?」
「そや」
私は彼にこっちにくるよう手招きした。彼はのそのそと私の隣にやってきた。
オカンは神様を目の前にしてその美貌にうっとりとしていた。
「ええ人やないの」
「オカマキラーやけど」
「何それ?」
オカンは首をかしげた。神様は触れるなという視線を送っていた。
「オカン何しに来たん?」
「何しに来たってなあ。わが子を心配してお参りに来たに決まってるやん」
「はあ、そうなんか…うん?でもお参りって終わる前にここに来たって神様おらへんやん」
私は矛盾を指摘した。
「でも家で願うよりここのが一応神社やしご利益あるかと思って」
「まあ一応」
“一応”を繰り返した。
「とにかく、無事やったからよかった。神様もありがとうねえ。うちの娘をかばってくださって」
神様はそれにはしっかりいえいえと首を振った。
かばった?それは逆じゃないんか?と私は神様を横目でにらみつつも、彼がシカトしたのでちっと舌打ちしただけだった。
「それにしても神様ってこんなに綺麗な人やったんやね…これなら毎日でもお参りに来たいなあ」
「オカン、毎日は神様も来やんよ」
「ああ、ごめんごめん。すっかり見惚れてた。でも、オカンここまでのいきさつを全然知らんけど、あんたが彼に惚れるのわかった気がするわ」
「ちょっと何言うんよ!?」
私は慌ててオカンの口を塞いだ。オカンはそれをはらって
「なんでえ?本当やろ?」
と平気な顔して言う。
「もういいからさ、早く帰りなよ」
「ええ〜わかったよ」
オカンはだだをこねる子供のように拗ねた。
「お昼には間に合うよう帰ってくるんよ」
「わかってる〜」
「あと、神様!至らない部分はありますけれども、どうぞうちの娘をよろしくお願いします〜」
「よろしくお願いされやんでええ!」
まるで親子漫才みたいな会話に私は恥ずかしさも何処へ、呆れるしかなかった。オカンは鳥居を出るまでごちゃごちゃ口にしていた。

「面白い人たちだな」
「人たちってウチも入ってんの?」
「もちろん」
神様は当然とでも言うかのように私を見やった。
「あ、そういえばさっき弥生さんは何で神様にベタベタ触れたんさ?」
私はベタベタを強調した。神様は触れたくない過去に触れられて一気に青ざめた。
「触れないとは言ってない。簡単には、と言っただけだ」
「何それ」
私は声を上げた。悔しかったが顔は笑っていた。
ふと神様を見ると彼は柳の葉っぱを一枚掴んでいた。
「生きるには多くの支えが必要なんだな」
一人思いにふけるかのように呟いた。私は傍に行った。
「そや、うちらは関わる全ての人に支えられ支えつつ生きてる。特にオカンはいつもうちを心配しつつも見守ってくれてる。他の友達もそうやけど、一番親身になってくれるんってやっぱオカンなんよな。相談しても絶対に責めへんし励ましてくれる。ときたま意味不明で矛盾することがあるけど」
「“血は水よりも濃い”と言うからな」
「でも、優しい心、それは“甘い”んじゃなくて人を気遣ったりする心、あるいは自分は多くの人に支えられて生きてるって感謝の心を忘れやんようにしたい。神様にもな。昔うちがああ思わんだらきっと手助けしようなんて思ってくれへんだことやから」
「そんなことはない」
神様は柳の葉から手を放した。
「きっかけはあの時だったかもしれない。しかし今、こなきが一生懸命しようとする姿に私は惹かれたんだ」
私は唖然として声が出なかった。神様はいつになく温かい笑みをこぼした。
「私はこなきが好きになった」
「神様…」
私の視界はふわっと真っ白になった。いつの間にか私は彼の心臓の音を直に耳にしていた。彼はそっと私を抱きしめた。私はぎゅっと彼の胸に顔をうずめた。
とても温かくて心地よかった。神様のぬくもりが身体全体に伝わってきた。
キーンコーンカーンコーン…
正午を告げるチャイムが邪魔をする。
鳴り終わってから私はそのまま神様を見上げた。
「もう帰らんと。またオカンに愚痴を言われる」
すると神様はぱっと手を放した。
私たちはほんの数秒見つめあった。
「気をつけて」
神様はやんわりと私に言った。
「じゃあ…」
私が参道に出て行こうとすると
「こなき!」
と神様の呼び止める声がした。
ぱっと振り返ったと思ったら、神様の唇が私の唇に重なり合っていた。
頬に触れた手を彼は肩に置き換えた。
「またいつでもおいで」
私の目には涙が浮かび上がってきた。嬉しい方の。
「うん…それまで弥生さんに食われやんようにな」
「そうなりそうだったら、鈴を鳴らす」
「うちが助けに行くわけ?」
「だって、こなきにしか聞こえないんだぞ」
「そっか…」
私は彼が切ないくらいに愛しくて、泣きながら笑っていた。
「今度は枕持ってくる。腕が痛くなるから」
「そのうちこなきの色に染められそうだな」
神様は腕を組んで困った顔をした。碧色の瞳がかすかに潤んでいた。
涙も笑いもおさまった私は彼に別れを告げた。
「じゃあまた会う日まで」
「ああ」
神様は柳の木の下で見送ってくれた。
ししゃも達がそよ風に靡いて気持ちよさそうに揺れていた。

雲から太陽が顔を出し、光の輪を広げてゆく。
パアッと柳の葉に反射してきらきらと神様の頭上に降り注いだ。
それは今まで目にした中で最も眩い現の幻想だった。

鳥居を出た私は体の隅々まで行き渡るくらいに息を吸った。
(さあて、プチトマトも早く終わらせやな!)
私はオカンにどやされる前に家に向かって思い切り走り出した。

行く手のもの全てが金色に煌めいていた。

(終)