理由なき未来(わけなきみち)
それは、まだそれ程暑くないさわやかな初夏のある日のこと。
期末テストが終了して、机の上がゴミ置き場のゴミ袋の置き方のようにグチャグチャになっていたのを丁寧に片付けていた時だった。 (あ……) テスト勉強用に配られたプリントを、教科別にもせずにファイルにはさもうとした時、"適正検査"の表が、私の目に入った。 "適正検査"というのは、自分は文系か理系のどちらにむいているかを診断してくれるものだ。またそれだけでなく、将来就きたい仕事についての情報が得られたり、検査の結果で、適正の高い学部系統がベスト3で書かれてあったりと、さまざまである。 そのベスト3にランクインしていた、"人文"を見た私はホッと一安心するなり、そのまま表をしまっておいた。 それから何日かして夏休みがやって来た。 遊びたいのは山々だが、定期がもったいないし運動不足になるので、課外授業をうけることにした。 70分の授業は思った程長くはなかった。ただ暑くて、汗がダラダラ流れてくるのだけが困りものだった。 昼前に授業が終わり、私は、チャリンコに乗って帰る途中、なぜか学部系統のことを思い出した。 ベスト3にランクインしていたあと2つは、芸術と教育・教員養成だった。 芸術は、美術とか音楽とか、何かをつくって人に訴えるというのがなんとなくイメージされて、結構、興味をもてた。しかし、教員という字を見た途端、そんな脳ミソがどこにあるのかと反応は芸術と全く反対だった。そんなわけだから、2者懇のときも担任の先生に「先生になりたいとは思うんですか?」という質問に、きっぱり「ないです。」と首を横に振った。もちろん、理由はこれだけではない。 普通、どんな仕事でも苦労するところというのがある。でも、その苦労を乗り越えたら、必ずプラス物になるという。苦労もプラス物も、人それぞれ違うと思うが、私は、先生の苦労どころは、いつも穏やかでいられることだと思う。悪いことをして、怒られても、その後に続く言葉は、絶対自分が反省できて、"それから"の生き方の助けとなっているのがほとんどだからだ。 中にはいないとしても、私が今までもってもらった先生の中には、少なからずいる。 それは、私が中3のときの担任の先生だった。 ヒヨノ先生は国語の先生で、見た目は控えめでおとなしそうだが、本当はおちゃめで、おっちょこちょいで、とても優しくて面白い先生だった。そんな先生だったからクラスの皆も大好きだったと思う。 ちょうど受験前で、授業中は緊張しっぱなしだったが、国語のときだけはその緊張がどこかに行ってしまって、別の世界にいるような気がするくらい、語ってくださったこともあって楽しかった。 授業の仕方がすごく上手いことにも感心したが、これ以上にもっと感動したのは、修学旅行2日目の夜のこと。 どこかの建物の見学が終わって、全員が1列に並んでホテルに向けて歩いていたところ、いつの間にか、先生達が数人、列からはずれていて、ある1人の先生がタオルで顔をおさえているのを、他の先生が心配していた。暗くてよく見えなかったし、立ち止まることもできなかったので、気にしながらも先に進んだ。 次の日の朝、友達から聞いた話によると、昨日の夜、列からはずれて、すぐ隣のコンビニに入っていこうとしたアホな奴らを注意されたヒヨノ先生は、顔を殴られてケガをなさったということらしかった。 それを知ったとき、私は、先生は怒りと悲しみの気持ちでいっぱいなんじゃないんかなあと、朝食ルームに行く足取りが重たかった。 ところが、朝食ルームのドアの横に立っていたヒヨノ先生は、私と友達が中に入って行こうとすると、「おはよう」といつも通り、にこやかにおっしゃった。右目には白いガーゼをあてていて、私は更に罪悪感に包まれたようだったが、先生は私がさっきか思っているような、表情は全く見せずに、反対に、安心するような落ち着くような、そんな微笑み方だった。 私はこの時程感動したことはなかった。 私ならグチりまくって、殴った奴を殴り返す、復讐法をしていると思う。そうではないから、先生ってすごいなあと感じるだと思うのだが、それが"我慢"というわけでもなさそうだ。 常に皆のことを思っていて、時と場合に反することをする人には、注意する勇気があるすごい人だと思った。それに、終わったことに嘆くよりも、終わってからどうするかということが大事、という教訓みたいなものを自然に得たような気がした。 それから半年ぐらいした後、私は長い年月をかけて書いた小説をヒヨノ先生に読んでいただいた。そして1週間たったある日の帰り、先生が私の書いた小説について話したいとおっしゃったので、だんだん人が少なくなる教室の教卓の横で、いろいろと話した。 「話を書くのに、どれくらいかかったの?」 「うーん、3か月ぐらいかなあ……」 私は、少しばかり緊張していた。3年生になってから、ヒヨノ先生と話し合うなんてことは成績表受け渡しを除いて一度もなかったからである。 「でも、はっちゃんがあんなに書けるパワーを持ってるなんて、すごくびっくりしたよ。」 先生は、はしゃぐような口調でおっしゃった。 私は、コメントらしいコメントをいただけて、嬉しくてにこにこと笑ってしまった。 すると、先生も微笑みながら、 「続きあるんだよね?がんばって書いてまた読ませてね」 という言葉をくださった。 そして、先生は、お薦めの本を私に貸してくださった。 短い会話だったが、意思伝達はバッチリだった。 貸していただいた本は5日間で読み上げ、先生にお返しして、また少なかったが感想などを話し合った。その時もお互い楽しい気分に見えた。 寒い寒い季節で体は半分震えていたものの、心はすっかり温まっていた。 「はっちー!」 「あ!!」 駅のホームに出る階段を降りていた私は、下から私を呼ぶ友達の姿が見えると、手を振って速く下りた。 「めっちゃ暑いよなー。チャリって疲れへん?」 と、友達はハンカチで額の汗を拭く。 「うん」 と、私はタオルで額の汗を拭く。 「学校行くのもえらいけどさぁ、先生らも大変なんやろなあ」 ほんの少し風が吹いたと同時に、友達は言った。私は、 「そうやんなあ……」 つぶやくように言うと回想部分を思い出した。思い出すとともに、なんで先生は先生になろうと思ったんやろうという新たな疑問が出てきた。 昔、よく"将来の夢"という題で作文を書かされるときに、先生が長々とこれを語ってくれたことがあったが、それ程印象的でなかったのか、全く覚えていなかった。 理由なんていうのは、考えてみたらたいしたものではないのかもしれない。私の友達には、看護婦さんになりたいという人もいれば、印刷会社で働きたいという人もいれば、「何になろう…」という人もいるが、一度も「なんで?」と聞いたことはないし、私も聞かれたことがないから。何かすることに、いちいち理由つきでなくてもいいんだということを分かっておきながら、先生の場合だけ気になるのはなぜだろう。 花丸正解の答えは分からないが、多分、一番身近で、"命はってる!!"と思えることができる存在だからだと思う。そうだから、自分はそんな人物にはなれないとだろうし、それよりも やりたい事 というのが別にあると実感しているからこそ、逆に気になったのかもしれない。 いや、もっと大きな影響を与えてくださったのはヒヨノ先生だ。 高校生になって、いろんな先生達に出会ったが、私はまだヒヨノ先生のような人は見つけられていない。 先生といえば、週に1回家に来て英語を教えてくれている先生もそうだ。 その先生がいつ言っていたのか、正確になんと言っていたのかは忘れたが「今、コツコツ勉強していれば、この先も大丈夫」とかいうことを言ったのを覚えている。先生は先生になるために勉強している。人に教えて理解してもらうためには、自分が分かっている度の2倍も3倍も勉強しなければならないのですごく大変だと思う。でも、更に大変なのは− 「でも、好きやからやっとれるっていう人もおるけど、なんとなくっていう人の方がほとんどかもよ」 しばらく黙っていた私は友達に向かって言った。 すると友達も、 「好きやからって答える人もあんまりおらんよな」 と2回うなずく。 「なんとなくってのも、好きで続けとるからそう思えるようになるかもしれへんだけで、結局、皆やっとることは同じやんな」 私はようやく"多分"から"確か"につながる道を発見できた。 でも、まだ、道は迷路のように入り組んでいる。ここからどう進むか… 浮かぬ顔から思案顔になった私を見て、友達は、 「電車が来たで!」 元気よく叫んだ。 私は、電車がホームに止まるのを見て、 「うん、乗ろう!」 思案顔から一気に喜顔に変えた。 入り組んだ迷路を進むには、それなりに作戦がいるはずだ。だから、久しぶりに夏休みの計画でも立ててみよう。将来の計画に比べたら、実現性はずっと高いだろうから。 それに、私も一応命懸けで生きてるわけやし。 電車に乗る瞬間、ふと、先生に早く会いたいなあと思えてきた。もうすぐ、中3クラスの2回目の集まりがある。そのときまでには、少しでも道の中に入れるように文芸の技でも磨いておこう。特別な理由なんかどこにもないけど− ピーッ!という笛の音でドアが閉まると、電車は真っすぐな線路の上を、迷いなく走り出した。
-終- |