にんすくい〜さぴのよりどころ〜
【はじめに】
結婚式から1年が経つ。
今やすっかり落ち着いてしまい、平和過ぎる日々を送っている。
独身の当時は長続きしない恋愛に落胆し「一生結婚できやんかも!」と嘆くばかりだったのに、ご縁というのは不思議なもので、よほどお互いの波長が合ったのかして、にんとは知り合ってからゴールインまで約一年とあっという間だった。
三十路目前に、よかったよかったと胸をなでおろしたのも束の間、ラブラブ新婚生活も次第にマンネリ化し始めたせいか、妻の方が毎日溜息ばかりついているというのが現状である。
それに対し、にんは一日も早く一緒に住みたかったようで、 「毎日ずっと一緒におってそろそろ飽きてきたやろ?と冗談交じりに尋ねても、夫のにんは 「え?飽きたりなんかしてないよ、毎日が新鮮だよ」と笑顔で返してくれる。
そんな目新しいギャグしとるかな…と最近アホやったのを思い返したが、両耳たぶを曲げて「耳が餃子!」とか、両手を両耳の上にあてて、頭皮を揺らして「ズラ!」と古典的かつ定番ネタしか披露していなかった気がする。
そんな微妙なギャグを見せられたにんは、稀に爆笑もするが、9割方は微妙な笑みを浮かべるだけだ。
あとは、テレビCMでまるまる太ったかわいいキャラクターが出てきた時に、
「あ、これさぴやわ」と指さしたら、
「え?え?」と躊躇しつつも、
「違うよ〜」と真面目に否定してくれたことだろうか。私の予想では、
「うん、そやね〜まるまる太って」
「わっ、ひどい〜!ぷえ〜ん!」
「違う!違う!本気で言ったんちゃうよ〜ごめんな〜よしよし」
という茶番ともいえる寸劇を期待していたのだが、彼の優等生な回答のおかげで私が傷つく場面が割愛され、ただの勘違いおバカ野郎になってしまっただけなのだった。
関西出身でもなくお笑い好きでもない彼に無茶振りを要求する方が間違っているのだが、それだけ彼と親睦・愛情を深めたい思いに駆られているのだ。にんのことが好きすぎて仕方ないのだ。 しかしいざ口に出そうとすると、なんか悔しいというか、オリジナリティーに欠ける気がして素直に大好きと言えないツンデレな私。
ブログやつぶやきで、普段からちょこちょこ「幸せ夫婦」はさり気なくアピールしているが、具体的に夫がどのような人物で、私がどのように惹かれ、感じているかというのを語ったことは殆どない。
そんなわけで、もうすぐ挙式記念日だし、良い思い出には残らないかもしれないが、これまで書き留めておいた、にんとの不思議なやりとりを彼に贈るというサプライズもありなのではないかと思い始めた。


【風呂あがり】
にんの風呂上りはすっぽんぽんだった。ほんの数日前までは。
全裸で洗面所から出てくると、真っ先にキッチンに向かい、専用のプラコップを片手に、冷凍庫をガラッと勢いよく開け、コップにガラガラと豪快に氷を入れ、水道水をシャーッと注ぎ一気に飲み干す。 そして、うんめぇ〜っ、水道水うんめ〜っ!と少々気の抜けた顔で私を見る。
「せめて下だけは履いてきなよ」と眉をしかめると、彼は洗面所に戻り、バスタオルで体を隠して再び目の前に現れた。
確かに隠していることは隠している。んが、前面だけである。 バスタオルを縦長にして、首からぷらーんと垂らして、大事なところがぎりぎり見えないという何とも滑稽な姿に「なんでそうなるん?」と真顔で尋ねた。
「え?」当の本人は屈託ない顔。
明らかにウケ狙いとわかりつつ、「おじぞうさんみたいやん」と言ったら、なぜかバカ受けしたらしく大笑いされた。 更に「びん○っちゃまやな〜」と、約20年前に放送されていた某アニメに出てくる、前半分しか服を着ていないキャラクターに似ていると言うと、そのキャラを知らなかったようで、ググって画像を見せると「あ!知ってるわ!」と納得した様子だった。
けれども「僕はびん○っちゃまじゃない!」と激しく反論された。
その日以来、にんは風呂上りにはパンツ一丁で出てくるようになった。
「あれ?びん○っちゃまじゃないん?」と聞くと
「冷やかすからやめた!」と。
ということは、本人はわりと真面目にバスタオルを垂らしていたのか…
本気と冗談の境目に戸惑った出来事だった。


【カーペおやじ】
不快感のある喉のためか、「カーッ!」と痰を絡めそれを「ペッ」と吐き出す輩がいる。
通称カーペおやじ。咳き込み具合からして、おっさん、おじいさん達が大半を占める。
「歳を取るとそんなに痰がからみやすくなるんか」と、にんに話したら、
「絶対タバコ吸ってるからや」と返ってきた。
「うーん…みんながみんなそうでもない気もするけど」
こないだの買い物の帰り道、反対側の歩道を前から歩いてくるおっさんが排水溝に向かって、何のためらいもなくカーペしていたのを思い出した。
まあ、恥じらいを持っていたら道に唾を吐く愚かな行為なんてしない。
だいたいの人達が、突発的瞬間的にカーペせざるを得ない状況だとは思われるが、せめて見えないところでしてほしい。目撃した側もイヤな気分になるものだ。
それとも、あのおっさんはわざと見せたのか、見せつけたかったのか!?変態やがな。
理由は何にしても、道端に痰を吐く行為は迷惑かつ汚い。ポケット灰皿ならぬポケット痰皿というものがあってもよいと思う。
とか考え込んでいると、また外で不快音発生。 「かはあぁぁぁっ〜ぺぇっ!」て汚ねえ!
「かはあぁぁぁっ」てまるで嘔吐寸前。
近辺が居酒屋だらけなので、酔っ払いの気の迷いと考え深刻に捉えていないが、どうせするなら、もっと潔くキレのあるカーペを行ってほしいものだ。


【ごはん計量】
結婚して初めて親戚の家に行った時のこと。
「まとめて炊いたご飯はキッチンスケールで量って保存してます」と話したら至極驚かれた。
目安としてお茶碗を使うことはあっても、量りを使うなんて珍しいらしい。 だいたいでええやん〜と言われたけれども、せっかく手軽にきちんと量れる機器があるのだから利用しない手はない。食べられる量を把握しておくことでスムーズに運ぶことも多いのである。
例えば、某カレーチェーン店に行った時にメニューを見て、自分のごはんの適量は150グラムやから、200グラムでも多いわ〜ハーフにしよう…等と、無理なく無駄なくメニュー選びもできるので、「余った〜食べられやーん」と先方にも迷惑がかからない。
結婚当初は、にんのごはん適量がわからず標準量の200グラムにしていたが、少ないと叱られたため50グラム増量の250グラムになった。それでも、ちょっと少ないということで更に10グラム増量で現在は260グラムに落ち着いている。
しかし、これもにんの空腹具合によって多少異なってくる。遅出、準夜勤勤務の日は朝食を食べる時間帯が遅いため、昼食に260グラムでは多いので20〜30グラム減らすことにしている。
ある日の晩、炊いたご飯を量ってタッパーに入れていると、翌日の昼食用は230グラムか250グラムか迷った。そういう時は本人に聞いてみる。
「明日お昼、ごはん少なめでええんやんな?」
「うん」
「230?250?」
「……」
にんはしばし考えた後、「250でいいよ」と。
多分20グラムの差がわからなかったのだろう。
にんにとっては微々たる差でしかなかったのかもしれない。そもそもご飯が一膳分ぴったり余ることなんてほぼないし、家で食べるのだから多めに入れておいてもよいではないか。
とりあえず260グラム入れておき、「多かったら残しといて〜」という形を取ることにした。それが一番スマートな方法だということに最近気付いた。
ちなみに、余った半端のごはんは「ごはんもうちょい欲しいなあ〜」という時用のストックとして冷蔵庫または冷凍庫に保存してある。
毎食炊き立てを提供できるのが妻の務めなのだろうが、そこまで手間と電気代がかかることはにんも望んでいないので、残業や準夜勤以外の時は出来る限り炊き立てのご飯を提供しようと心がけている。
しかし、たまに冷凍ごはんと炊き立てごはんの区別がついていない時があるので、炊き立ての時は 「炊き立てです!」と、まるでコンビニ店員の「からあげ揚げたてです!」のように声高らかに叫んで、面倒くさがらずに炊飯したことを主張するようにしている。


【落ちたもの】
世の中には5秒ルールというものがあるらしい。
落ちたものでも5秒以内なら食べてオッケー!というやつ。さすがに地べたに落ちたものは5秒以内でも処分するが、家のダイニングテーブルから落ちた箸くらいならそのまま使っても健康に害はないと思い長年そうしてきた。
ある日の夕食時、ご飯の用意が完了し私に呼ばれたにんが、リビングからダイニングへやってきたところだった。配膳をしていた私はうっかりパラパラーンとにんの箸を片方落としてしまった。
「よっこいせ」
私は腰をかがめ床に落ちた箸を拾い上げテーブルに乗せた。立ち上がると、そこには眉間にしわを寄せて箸をじっと見つめるにんがいた。
「今落としたよね?」
「うん」
「洗わないの?」
「へっ?洗うん?」
ポカンとしている私を尻目に、にんは自ら落ちた箸を持ち、流し台へ箸を洗いに行った。
「落ちたん洗うんや」
「だって、いろんな雑菌とかついてるやろし」
「ホコリとかついとったら洗うけど、そうじゃなかったらそのまま使っとったよ。実家でもそうやったし」
にんの不可思議そうな、かつ憐れむような視線に私は「ふん、貧乏人やもん」とちょっとふてくされてみた。するとにんは慌てて、
「えっ!?そんなこと思ってないよ。だいたいさぴちゃんち貧乏じゃないやん」
的確なツッコミを入れてくれた。
「貧乏じゃないけど、セコいなあて思っとるんやろ。ヨーグルトのフタでも、にんちゃんは舐めやんのやろ?」
「それは、お母さんに行儀が悪いからって言われてたから」
以前、カップタイプのヨーグルトのフタについたヨーグルトを舐める、もしくはスプーンで寄せ集めて食べるかということで、しばし論争になったことがあったのだ。
私は昔から勿体ないと思いペロンと舐めていたが、母に「人前ではしたらあかんよ」と言われ、公の前ではスプーンでささっと掬い取り優雅に口に入れる技を身につけたのであるが、にんの家庭ではスプーン使用も御法度だったらしい。
初めて聞いた時は「え、もったいないや〜ん!」と思わず声を上げてしまった。内心、「だって80グラム入っとるのに、フタ舐めやんだら何グラムか少なくなるんやに。それでなくてもカップに残ってしまうから、分量きっちり食べられやんていうのに…」 とヨーグルトへの偏愛ともいえる熱い思いがこみ上げてきたが、細かすぎて嫌味っぽいかしらと思い直しぐっと心の中に留めた。
そういえば、にんが食べたカップヨーグルト本体に、頑張ってすくうか舐めたら食べられる分が残っていた時があり、「まだ残ってるよ」と口を酸っぱくして言っていたが、神経質な愚妻だと周囲に言いふらされたくなかったので、最近はどうしても気になるときは、「あ、残ってる…しくしく」と、にんに聞こえない程度のつぶやきで察してもらうことにした。
そうしたら、遠回しな表現が嫌いなにんは、無言ジト目でになりつつも、不満を漏らさずスプーンですくって食べるようになってくれた。
「食」に関しては、特に育ってきた環境の違いが大きく出るところであることを実感したのだった。


【買い出し】
昼前に、近くのスーパーに買い出しに行こうとした日のこと。
にんは何やらパソコンで黙々と作業をしていた。 一緒についてきてくれるならそうしてほしかったのだが、今日は準夜勤だし、途中で止めるのも悪いなと思い留守番を頼むことにした。
「んじゃ行ってきらす〜」
「あ、一緒に行かんでいいの?」
にんは座ったまま顔だけこっちに向けた。
「にんちゃんは作業中やから、さぴ一人で行ってくる」
「え…でも」
「今日は夕方から仕事やろ。疲れさせたらあかんもん。買い物はさぴの役目やもん、ぐすん」
「ええ〜っ!」
ウソ泣きにもかかわらず過剰反応したにんは、すくっと立ち上がって玄関口までやってきた。何か言いたげな目をしているにんに、 「続きしとりなよ」とごく普通に言ったつもりだったのだが、彼はしょんぼりして「ごめんね」と申し訳なさげに送り出してくれた。
この日は牛乳や大根など重みのある食料は買う予定ではなかったので、にんがついてきてくれなくても特に問題はなかった。
野菜、肉、魚コーナーをまわり、パン類の陳列棚に来た時、にんの夜食のおやつ選ばな〜と和菓子コーナーで品選びしていると、 「さぴちゃん」といきなり名前を呼ばれた。
私の名前を知っている殿方なんて、いつの間に有名になったのかしらと、やや驚いて顔を上げるとそこには身なりを整えたにんが。
「あら、にんちゃん。なんで?」
「重たいの持つの大変やろと思って。びっくりした?」
「え、あ、うん…」
その時キュンとときめくと同時に、出かける間際の小芝居に威圧感でも抱かせてしまったのかと申し訳なく思った。けれども彼は文句を言うでもなく反対にニコニコと微笑んでいた。
私は、本人の意思で来てくれたんやからええか〜と反省をとりやめ、
「じゃあ、お願い」ポンと買い物かごを彼に渡した。
そして、買う予定ではなかった牛乳一リットルをカゴに入れた。男手があると助かるものだ。にんはにんで、好きなお菓子を選べて良かったみたいだ。
帰宅後にんに詳しく話を聞いた所、出かける前のやりとりが気になったのともう一つ、私を驚かせるサプライズ的要素もあったらしい。
この憎いやつめ!感謝せんといきませんな。


【素直な心】
昼間化粧をした後、洗面所で髪の毛を整えていると、8割の確率で何の気配もなくにんがすっと現れ、後ろからきゅっとくっついてくる。
このさり気ない仕草は「キュンと来る仕草ベスト5」にランクインしているので、普通ならここで愛を感じ取るはずなのだが、鏡に映った私を見て「まあ、可愛くなって〜」とまるで久しぶりに会う親戚のおばちゃんみたいな口調で言うものだからロマンチック度が激減し、すんなり感謝できない。
「へっ。普段はブサイクで悪かったな」私がわざと返すと決まって、
「そんなことないよ、さぴちゃんはいつも可愛いよ〜」と言い直す。
反対に私が「さぴは可愛いからな」と冗談で言っても、にんは「うん、かわいいよ」と肯定してしまうので、「こっぱずかしいやんかコノヤロー」と拗ねることになり、結局一体何をやっているのかわからない状態になる。正直すぎるというのも罪なものである。
こないだ帰省した時にこの件にほんの少し色を付けて、
「にんちゃんはさぴのことが大好きなんやにっ!」て自慢げに母に話したら、
「へっ。今だけ今だけ」と鼻であしらわれた。
幸せアピールをしすぎるのも相手を白けさせてしまいかえって良くないようだ。
事実なのだから仕方ないではないか。平和な証拠だと受け止めておくことにしよう。


【にんおやつ】
入籍約1年後、うららかな春のある日。ふと、にんのお弁当時の飲み物が気になった私。
「お茶ていつもどうしとるん?」
「毎日買ってるよ」
「いくらなん?」
「140円」
「高っ!」
この瞬間、私の脳内で「ひ〜っ!」と恐ろしい悲鳴を上げながら迅速に計算が行われ始めた。
500ミリリットルペットボトルお茶1日1本140円の場合、1カ月22日出勤したとして約3000円。1年に換算すると約3万7000円の出費。これを仮に88円のペットボトルにした場合、1カ月で約2000円、1年間で約2万3000円と約1万4000円も節約できる。
私はてっきり、職場の食堂かどこかにお茶サービスがあって、それを飲んでいるのだと思っていた。
「そんなのないし、あっても食事以外にも飲むから足りないよ」というにんの言葉にはたと止まり、
「じゃあ、1日1本じゃ済まんやんか!」怒り心頭に発した。
近所のドラッグストアやスーパーに行けば、80円以下、メーカーにこだわらなければ50円で売っているのに、職場の自販機でわざわざ購入しているというのだ。いや、でも、もしかして通勤カバンが重くなるのが嫌なため敢えて職場で購入しているのかもしれないと睨んでいたら、
「そんなことないよ。持ってってもいいよ」とあっさり言ってのけた。
「持ってってもええよって…明日から持ってけ!」
まるで口から火を吐く鬼のような形相でもしていたのか、すっかり怯えたにんはそれ以後、弁当と一緒にお茶も持参するようになった。
弁当時のお茶は、2リットル106円のお茶を500ミリリットルペットボトルに入れて毎日持たせている。106円で4回分ということは、1本分約26円。使用済ペットを洗う手間はあるが自販機やコンビニで買うより断然安い。 職場では息つく間もなく走り回っているにんなので、ジュースやパンを買うこともあり、それら全てを「にんおやつ」として申告してもらっている。
私が「今日はいくら使ったん?」と聞く前に、「ジュース100円使ったよ」等と報告&メモしてくれるようになった。
にんおやつ毎日ゼロ円というわけにはいかないが、弁当用お茶だけでも持参するようになったおかげで家計はだいぶ助かっている。
にんも、私の勿体ない熱がほどよく冷めて安心していることだろう。


【クリア】
ある日、仕事から帰ってきたにんが、
「今日患者さんに「あなたは曇りが無くてキレイな瞳ですね」て言われたよ」とやや微妙な笑顔で話してくれた。
「にんちゃんはさぴょと違ってセコいこと考えてないし、優しい心の持ち主やからな…へっ」
自分の夫が褒められているのだから素直に喜べばよいものを、自分を卑下し、ひねくれるのはいつものことだ。
にんは私とは違って、几帳面で誠実な人柄だ。本人は「のんびり〜してるよ」と笑っていたが、日常生活において私が適当にしていることをさりげなく片づけておいてくれる優しさを持ち合わせているのだ。
「うちの旦那は仕事ばかりで家事をちっとも手伝ってくれないのよ!」と嘆く奥様方が多いこのご時世、にんは「何かできることがあったら手伝うからね」と家事参加に積極的すぎて頭の下がる思いである。
だから、買い出しくらいは一人でこなさんと!と思いつつ、週末にまとめて重いもの購入し、にんに荷物持ちさせようと企んでいる悪妻である。
一緒に買い物に出かけると、お菓子とかついつい余計なものまで買ってしまうときもあるが、一人で買い出しに行く時に控えればよいことであって、せっかくの休日を使って着いてきてくれているのだから、好きなものくらい選ばせてあげればいいじゃないか〜と心が広いようで世間では当たり前のことなのだろう。
好きなお菓子を選びに行ったにんが、お菓子をカゴに入れる時は必ず「これは98円で安いよ」とか、値段とそれがお買い得であることを囁く。もしかして、あまり高いものだと却下されるのではないかと心配しているのでは…と疑問が生じたが、ただ単に本人が気になっただけだったらしい。ほっ。
買い物を終えると、にんは早歩きで帰路に着くのだが、歩くのが速すぎて着いていけない。
青信号なのに、右左折する車がいたら小走りで横断歩道を渡るにん。歩行者優先やし、早歩きくらいでもええのでは…という思いは到底届かない。
デートではないので歩幅を合わせろとは言わないけれども、たまには後ろを振り返って確認してほしいなあと思ったので、なぜそんなにスタスタ先を歩いてゆくのか尋ねたら、
「だって、暑いのに重いもの持ってたら余計しんどいやん」
至極もっともな意見だけれども、私を置いてかなくてもよいではないか。
私が歩くのが遅いのか?と周りを見渡したが、一般的な歩く速さなので、やっぱりにんが速すぎるだけだ。
一緒に出掛けると私は家の鍵を持っていないため、にんが先に玄関で待っている。先に家に入って、私が帰ってきたら開けてくれたらいいのに玄関前で待っていてくれる。
その時の表情が少し苛々しているような迷惑しているようで、私が着いたら「やっと来たか、遅せえんだよ」と訝しげな視線を送り、鍵を開けて無言で階段を上がっていくふうに思えてしまうので、この心情妄想を本人に伝えたところ全否定された。
不機嫌そうに見えたのは、「まだかな〜と思って。疲れて眠たくてぼーっとしてただけだよ。でも、そんなふうに見えてごめんね」と、日頃の仕事のストレスでお疲れなのに、疲れが感じられる素振りを見せてしまったことに対して謝ってくれたのだ。
私は「逆の立場だったらどうか?」の行き過ぎた思い込みで、とんでもないネガティブ解釈をしてしまった。人に親切にしてもらうと何か裏があるのではないかと勘繰る陰険な私に対し、にんは素直に受け止める前向きな人柄だということに改めて気づいた。
患者さんに言われた「瞳がキレイ」というのは、即ち「心がキレイ」と同じことなのだろう。
全くその通りだ。見習わないといけない。


【くしゃみ大王】
にんのくしゃみは凄まじい。
くしゃみが出そうになると眉間に皺を寄せ、苦悶の表情を浮かべ「ふぁ〜っくしょい!」と、どこからそんな声が出ているのかと仰天するくらいにうるさい。傍にいたら、耳にキーンときてたまったもんではない。
なので、ティッシュを素早く2枚シュシュッと取り、渋顔になったらさっと耳を押さえるようにしている。
そういえば、この頃はカーペ率よりもなぜかおっさんのくしゃみ率が高くなっている界隈のようで、毎日最低1回は、自宅に居ながらゲリラおっさんくしゃみを耳にする。
先日夕方、これまた「はっくしょい!」と道端に豪快に響き渡るくしゃみが聞こえた。
「ああ、にんちゃんにそっくりやな」と思って苦笑いしていたら、ピンポーンとインターホンが…
まさか!と思い扉を開けると本人が立っていた。
「さっきくしゃみしたやろ」
「うん」
「めっちゃ響いとったよ」
「えっ!?うそ!?」
下の音は上までよく響くとは言うものの、誰とまで分かるほどにはっきり聞こえるとはつゆ思っていなかったのだろう。照れ笑いしているにんに、
「もうちょい小声でしなよ」と窘めた。
それが堪えたのか、翌日からくしゃみが出そうになると一気に出すのではなく、まず、「へっ…!」で顔をくしゃくしゃにしながら我慢して止め、ティッシュペーパー2枚、時には3枚をシュシュッと取ってから「ぶぁくしょん!」と一発または二発、三発ぶちかますようになったのである。 ティッシュで口を押えることで、だいぶ音は小さくなった。
が、今度は2枚も三3枚も重ねて使うティッシュがもったいない!という思いが沸々と湧いてきたのだ。 重ね使いのティッシュに関しては、4分の1くらいは綺麗なままでごみ箱に捨ててあることが多い。
私も鼻を毎日かむので、かむこと自体には嫌悪感を抱いてはいない。ただ、真ん中でかんでそのままポイというのが、1枚を隅々まで使う私にとっては許せない行為なのだ。
またここでもチクチク嫌味を言うと、にんが発狂するかもしれないので、やんわりと文句を言うことにした。
ごみ箱をチラ見しながら、
「ティッシュ余ってるとこ使いなよ〜」
「え?」
にんは怪訝な顔をした。
「そんなこと言われても…1枚じゃ足りんよ」
「は?だいたい片手でかむのがあかんのやって。両手で片方ずつかみなよ、耳悪なるよ」
「両手なんてお上品な〜」
あからさまに拒絶する態度にイラッとした私は、
「お上品なんてあるかい!もったいないやん!1枚ずつかめ!」
とキツめの口調で言うと
「わかったよぅ…」
しょんぼりした顔で悲しそうに返事した。
それから数日は片手で鼻をかもうとすると、私の不審な視線に気づき、そっともう片手を添えるようにしてかんでいたが、この頃は「はっくしょい!」「シュシュシュッ!」「ズビーッ!」「ポイ!」という、くしゃみから鼻をかみ終えるまでのリズミカルでかつワイルドな流れができてしまい、両手でかんでいるどころではなくなったようだ。
私はそのパフォーマンスをぼーっと眺めながら、長年の癖は簡単に直せるもんちゃうんやなあと深く追及しないことに決めたのだった。


【おわりに】
こう書き綴っていると、自分の考えをにんに押し付ける我儘で小言の多い妻にしか見えないのは気のせいではない。でも、生計を立てていくためには、妻の役目として少々厳しくならないといけない部分もある。
本当に受け入れ不可であれば、にんだってきっぱり断言してくれるはずだ。それを渋々ながらも協力してくれているということは、指摘されたら別にそうしてもいいレベルの事柄だったということなのだ。
内容は忘れたが、過去に私が怒って拗ねた時に「さぴちゃんに逆らえるなんて思ってないよ」と笑顔で言われたことがあるのだが、あれはきっと誇張表現で実際に怯えているわけではないのだ。
結婚は恋愛の延長線上という考えもあるが、結婚して同居して年を経ていくうちに、恋人同士の時は知りえなかった、お互いの本質が次第に見えてくることだろうこれまで書いてきた話はいずれもその欠片にすぎない。
しかし、自分の中で斬新、目新しさを覚え、時には強烈な印象に残ることもある。それも、5年、10年経つうちに、だんだんネタも少なくなってくるかもしれない。
けれども究極のところ、「大好き」(でなくてもよいが)の一文字くらいで全ての思い、考えが伝われば夫婦レベルも最大に到達し、今よりも更に充実した生活を過ごせているかもしれない。
あと、このように記録しているのは「自分の生きてきた証=足跡」を遺したかったがゆえである。たまに、にんに「突然うちがポックリ逝ったらどうするん!?」と脅かす時がある。
明日の身の安全の保障など誰にも確約できない。かといって、健全な若者が翌日突然死する確率も極めて低いが、ないとも言い切れない。こんな不運のせいで亡くなった時、残された者はどう思うだろうか。
きっと「なんで先に死ぬのよ〜!バカ〜ん!」と嘆き、暗い毎日を送るに決まっている。
たとえ遺書があったとしても、相手への一方的なメッセージと捉えられてしまえば、本当に伝えたいことが伝わらないまま、相手は余生を過ごすことになってしまう。
それはちと勿体ない。
ならば、自分の思いを日頃から「カタチ」にして残しておけばよいではないか!と思い立ち、誰でもかつ比較的簡単に行える「書く」という手段によって、私の十数年の稚拙作品達も出来上がったというわけである。
更にまた、この先、もしも、万が一、夫婦関係が冷え切りつつある深刻な状況でも、新婚当初の微笑ましいエピソードを読み返すことで「ああ、こんなオバカやってた時もあったな〜若かったな〜クスリ」と初心に帰り、当時の熱い思いと優しさを取り戻す効果も期待している所存である。
にんにとっては、日常のごく普通の言動なのに、私には奇怪に捉えられ単なる面白いネタにされていると少々不愉快な思いをしているかもしれない。いや、でも、真面目に日々を綴っているばかりではつまらないだろう、人生。
それに、記憶力抜群のにんならすぐに思い出せるだろうが、昨日の晩御飯の献立も忘れるくらいにすぐにポーンと抜けていってしまう私の脳みそさんは、記憶に残しながら合わせて記録しておかないと忘れるのだ。
これからも、まだまだにんの新しい一面を発見できると思うとワクワクしてきた。
にんの知らない所で小噺にできそうなネタを書きつけておくことにしよう。

あ、またおっさんがキレの悪い「カーペっ」してるわ。
かしましい住まいやけど、長閑な新居に移るまでしばらくは一緒に笑いながら聞けるといいね、カーペ。