苦の中の信念
たまに偶像崇拝したい感覚に襲われるときがある

なんかもう
どうしようもなくてつらいとき
周りに助けを求めたいと思う

その前に自分自身で励ましてみる
「甘えるな!つらいのは自分だけじゃない!」
とにかく立ち直れるような言葉を思いつく限り叫ぶ
・・・心の中で

「世界には自分よりもつらい目にあっとる人はようけおるんや!」
思考範囲が世界規模化
結果
抽象すぎて逆に力がわいてこなくなる

自分がよくなったって
その人たちが幸福になるわけでもない
その人たちに希望を与えるわけでもない

返事も返ってこないような相手に呼びかけて何の得がある?
ますます自分を憂鬱にさせているだけではないのか?

そもそも
自分の苦しみにかわって他人の苦しみを引き受けることはできない
彼らのが大きな苦しみだと確信していてもそれは想像に過ぎない
そんな頭ん中の苦しみなんてわかりっこない

それゆえ
身近な人の温かい言葉を霧消に求める
その言葉は妙に信憑性をもたらす

真偽不明でもかまわない
その言葉を信じるほかないから
その人を信じるしかないから

他に頼みがないといったら嘘っぱち
でも
そのときそのときにおいて
自分の信じたいものは変わるもの

ホントは
信じられる心で自分は奮い立てるのかもしれない
脱善悪
「人は善か悪か」
どっちでもない
どっちかであるはずがない

それぞれが善悪をもち
もっているからこそ
他のものにも善悪をつけられる
つけたがる

善あっての悪
悪あっての善

偏ることはあっても
欠けることは決してない
だから
「人は善か悪か」と問う時点で
既に両方がやどっているのだ
作品へ戻る TOPへ戻る