はるいちばん

雲ひとつ無い晴れた空だった。
私は外の空気を体いっぱいに吸い込んだ。
青空に飛行船が一つ…
あれ?近づいてきてる?
ぶつかる!!
私は慌てて両腕を下ろして近くの駐車場に避難した。

ピュー!
ドーン!!
「あいたっ!」
柔らかいボールが私の頭に当たった。
辺り一面砂埃が凄まじかった。私は何事かと思い、手で砂埃を払った。
何やこれ?私は目が点になった。
およそ地球上には存在しえない生き物が地面に頭から突っ込んでいた。足らしき部分だけ地上に出ていて、ぴくぴくと動いていた。
さっきボールだと感じたものはこの生物だったのかもしれない。
私は、それを窒息死させないように、両手を持って「ふんぬっ!」と引っこ抜いた。
スポーン!
勢いよく飛び出た生物は地面に上手く着地した。
「助けてくれてありがとう。ぼくはカッピィ」
空から降ってきたカッピィと名乗る山吹色の物体は潰れた楕円形をしていた。
身長は50センチくらいだろうか。平面図で、上から押しつぶした楕円を描いてそこから手足が伸びているそう複雑でもない作りだった。つぶらな瞳は深い緑色をしていた。
カッピィは目をぱちくりさせて私を見つめていた。
私は、この後どう話しかけるべきか話しかけないべきか迷っていた。しかし、無害そうなので少し会話してみようと思った。

 「空から降ってきたん?」
事実をそのまま述べてしまった。なんとも面白味のない質問だったが、カッピィは気に留めることもなく答えた。
「うん。タワーから飛んできたんだ」
案外しっかりした口調だったので驚いた。カッピィはポンポン跳ねていた。
タワーってとんでもタワーのことか?しかし、とんでもタワーって、ここから2キロくらいあるような。
「何をしてたん?」
「チイっていう団体知らない?」
「チイ?」
カッピィは跳ねるのをやめて私に聞き返した。私は首を横に振ると彼は真剣な目つきになった。
「チイは悪のマルチ組織なんだ」
「マルチって…怪しい健康食品でも売ってるん?」
「そう、チイはサプリをぼったくり価格で売り飛ばしてるんだ。だから、製品あるだけ吸い込んだら、組織の人たちがかんかんに怒って追って来て、命からがら逃げてきたんだ」
「は?…吸い込む??」
私は理解できなかった。
目の前にいる桜色の物体がそんな破壊因子だったとは思いも寄らなかったからである。
ただ、真偽も疑った。第一、製品を吸い込むなんて相当の吸引力がないと無理だし、吸い込んだ後の製品は一体どうなったのか、ツッコミどころ満載である。
私は出来る限り冷静に対処しようと考えた。
「へえ、でも、吸い込むなんてどうやって…」
「ああ、こういうふうに…」
とカッピィは言い終わる前に、口をがばあと開けた。
あごが外れてるんじゃないかと思ったくらいに。
そして、辺りに散らばっていた瓦礫目掛けて、シュコーッっと吸い込み始めた。
瓦礫が見る見るうちにカッピィに吸い込まれ、彼は頬張るとゴクンと飲み込んだ。
「あっ」
膨れた身体は一瞬で元通りになった。
「飲み込んだん?」
「うん。飲み込んだものは全部オクラ星に転送されるんだ」
「オクラ星?」
「ぼくのふるさとだよ。みんな平和に暮らしてる」
カッピィはルンルン気分なのか、小躍りを始めた。私は依然、頭痛がひかないままだった。
「ってことは、その商品もオクラ星に転送されたってこと?」
「そういうこと!」カッピィは張り切って答えた。
純真無垢という言葉の裏に残酷さを感じ取った。
オクラ星って、こいつは宇宙人なんかい!それは置いといて、商品飲み込んだってのが本当ならヤバイやろ。追っ手がそこまで来てるかもしれへんし。
私は、根拠もない不安に襲われた。
こんな奇怪な出来事あるわけない!と思い込もうとしても、カッピィという謎の宇宙人が空から降ってきて、強力な吸引力を見せ付けられたという事実がある限り、存在に関しては真でしかなかった。

「そろそろ行かなきゃ」
カッピィが突然踊りをやめた。
「行くってどこに?」
「逃げないと。チイの人たちに捕まらないように」
「え、商品はどうするん?星に置いてけぼり?」
「そこまで考えてなかったや。とりあえず、悪いやつをやっつけないとってだけで」
「逃げたらやっつけられへんやん」
「あ、そうか。でも、人は吸い込めないし」
「別に吸い込まんでも…ぼったくりっていう証拠を警察かどこかに持ってけばいいんちゃうん?」
「けいさつ?そこに行けばどうにかしてくれるの?よくなるの?」
カッピィは瞳をキラキラと輝かせた。
「あ、いや、どうにかしてくれるかもしれへんし、してくれやんかもしれやんし」
返答に戸惑っていると、カッピィは困惑していた。
世間の噂やネットの情報を見ている限り、悪徳マルチ商法とか詐欺ぽい事件は多発しすぎていて、迅速な対応なんて無理だろう。何も知らないカッピィに、現実を語るのが恐ろしくなった。
彼は納得できない表情で見つめていた。
「転送したものってこっちに戻せへんの?」
「できるよ」
カッピィは弾み口調だった。
「んじゃあ、とりあえずそれを返しに行こう」
「えっ!?」
カッピィは仰天して飛び上がった。
「そこの商品が悪いものでも、無断で吸い込むってことは盗むことと同じやから」
吸い込みに許可なんて下りるわけないのだが、ことを穏便に運ぶためには最適な手段だと思った。
「わかったよ。じゃあ、一緒についてきてくれる?」
カッピィはしょぼんとしていたが、まん丸な瞳で訴えた。
「うん、いいよ」
私は快く答えた。

とんでもタワーまでは徒歩で向かった。カッピィは浮遊だが。
頬というか体全部を膨らませて、短い両手をぱたぱたと小刻みに動かしぷかぷかと飛んでいた。それはまるで意思を持った風船のようだった。
三十分ほどするととんでもタワーが見えてきた。
とんでもタワーはキュウトのシンボルでもある建物で、一階から三階までは店舗が入っていて、四階以上は展望台になっている。展望台は有料なので私は一度も上ったことがない。
それに、一階に入るとやたら店員が近寄ってきてうっとうしいので、さっさとと二階の本屋に行くのがいつものことだった。
大通りに出ると人が溢れ返っていた。平日なのに人が多い。観光地だからか。
と、そこで私はあることに気づいた。
カッピィはこのまま浮遊したままでよいのかということに。鳥にしては太りすぎだし、風船にしてはリアルすぎたので誤魔化しがきつい。しかし、変な物体が飛んでいたら、傍にいるチイ組織に見つかってしまう虞がある。
ここに入れるか…私は肩にかけていたカバンから、黄緑色のエコバックを取り出した。
「ええと、人が多いし、しばらくこの中に入っといたほうがいいんちゃう?」
私がバックを開けるとカッピィは
「そうだねえ。んじゃあ」
と言って、浮遊したままバックの中へ入った。
スポッ。ジャストフィットだった。
カッピィは思ったよりも軽かった。体内の構造は気になったが、宇宙人のことは理解できないと悟ったので深く考えなかった。とんでもタワーの入り口に着くと一旦止まった。
「ここ!一番奥のスゴクイーヨー会社ってところ」
カッピィがカバンの中からこそっと顔を出した。
「んじゃあ入るよ」
私は、ガラス戸を押して店内に入った。
入り口付近はお土産屋さんが並んでいた。例のごとく、店員のおばちゃんたちがにやにやしてこちらを伺っていた。今はそれは気にせずに、商品丸呑みしたという会社を探した。

中央エスカレーターまで来ると、向かいに、高級品っぽいものを売っていそうな店が見えた。
あれか…私は場所を確かめるとゆっくりお店に向かった。私が想像していたような惨事にはなっていなかった。
商品の棚は残っていた。いや、正確に述べると棚だけが残っていた。棚に乗っていたものはサンプルと書かれた化粧品がいくつかだけだった。
う〜む、これはアカンやろ…直感的に思ったが、過ぎてしまったことはしょうがない。
さて、これからどうやって元に直すのか。
幸い、店員は表には見当たらなかった。んまあ、商品がないから出ずっぱりも変だが。
私は店の前から離れてカバンの中のカッピィに話しかけた。
「棚のものを吸い込んだん?」
「うん。今から戻すから」
「って、そのまま戻したらバレるやろ?」
「大丈夫。時空のねじれでコンパクトになってるから」
「は?」
「こっちで吸い込んだものを向こうから戻すときは、大きなものでも手乗りサイズになって来るんだ。時間が経つにつれてもとの大きさに戻る仕組みになってる」
「へえ、まあ、進んだ文明やなあ」
私は感嘆の息をついた。カッピィはもぞもぞとカバンの中で動いていた。
「だから、今のうちのこっそり置いてこよう」
「そやな」
作戦が決まると私達は早速行動開始した。まず、カッピィをカバンの中から出して人目のつかぬところへやった。
「じゃあ、戻すよ」
「おっけい」
戻すというと嘔吐を想像して嫌だったが、この際、消化器官のことは無視した。
カッピィはあんぐりと口を開けた。真っ暗な口の中と思ったら、カッピィがブルブルと震えだした。
「んがががががが…」
機械のスイッチが入ったような声を出したカッピィは、両手を握り締め「ふん!」といきんだ。
すると、ポコッ!と丸状のものが出てきた。
床に落ちたのは、透明なカプセルだった。べとべとにもなっておらず綺麗だった。
中には、サプリらしき白いボトルがいくつか入っていた。
ちっちゃ〜…って、何分の一かのサイズやったんやっけ。
「このまま置いておけば、中身が大きくなってカプセルが割れて気づくよね」
任務を終えたカッピィは、また小躍りをしていた。
「割れる前に気づくような…」
そうなったら、ミニチュアサイズに店員は驚くんじゃないかと思ったが、時間が経てばわかるだろう。とにかく、さっさと片付けるために、私はまたカッピィをカバンの中へ入れカプセル片手に店へ行った。

そのまま店内に入ろうとして足を止めた。
誰かいる…
こっそり中をのぞいてみると、受付の女の人と若い男の人がしゃべっていた。男の人は黒いスーツを着ていた。
はよどっか行ってくれやんかなあ。私は彼らの目に付かぬように店の前をうろうろしていた。すると
「あのすみません」といきなり声をかけられた。
「は、はい?」
振り返ると、店内にいたあの男の人だった。わりと整った顔立ちをしていた。
「お尋ねしたいんですが、このあたりでこういう物体見かけませんでしたか?」
男の人は手にしていた紙切れを私に見せた。
あ、カッピィ。
それはカッピィの似顔絵ならぬ似体絵だった。
私は瞬時に、彼はチイ組織だと認識し、
「いえ、知りませんが。それは大切なものなんですか?」と問い返した。
「そうでしたか。この物体に大切な物を盗まれてしまって探しているんです」
男の人は申し訳なさそうな顔をしていた。
私はカッピィを持つ左手に汗をかいていた。
「すみません、ありがとうございました」
男の人は急いで外に出て行った。
ふう…ああ、焦った。自分のしたことじゃないのに、ハラハラドキドキするなんて一体何年ぶりやろう。とにかく、カッピィがばれずに済んで良かった。
再び店内を見ると、今度は誰もいなかった。私はささっと店に入り、棚のある壁際にカプセルを置いて出てきた。
そして、何事も無かったかのようにお土産やさんを一周すると、外に出た。
「これでよかったんやんな」
「うん、ありがとう」
カッピィはカバンの中で飛び跳ねた。
「跳ねたらアカンよ。見つかるよ」
小声で言うとカッピィはぴたっと止まった。
「これからどうするん?」
「星には、悪を突き止めない限り帰れないし…野宿して暮らそうかなあ」
「野宿は野犬に食べられ…はせんけど危ないやん。よかったら家においなよ」
「いいの?」
「うん、一人でほっとけやんし」
一人にしておくのは危険だと思った。カッピィはカバンの中からうるうるした瞳を覗かせた。
「ありがとう!」
「いえいえ」
いいことしたのかしてないのか、はたまたよくないことをしているのかわからなかったが、出会ったのも何かの縁だと思い帰路を急いだ。

「ただいまあ」
マンションの三階に着いた私は部屋の扉を開けた。
「お帰り」
出迎えてくれたのは恋人の真久呂(まぐろ)ユッケだった。家は家でも、自分家ではなく彼氏の住まいなのである。
実は、先々月地元での仕事を辞めた私は、キュウトで就職をしようと思い立ち、彼氏の家に寝泊りさせてもらっているのだ。
ユッケは机に向かって勉強していた。彼は大学院生で私よりも一つ年上。見た目は笑顔がステキな爽やかな青年だが中身はド変態である。
私が靴を脱いで上がるなり、後ろから抱き着いてきた。
「ちょっと〜やめてよ」
「そっか、嫌いなんやな…」
「そういう意味じゃなくて!」
こんなやり取りは日常茶飯事である。私は、カッピィを紹介するためにカバンの中から彼を出した。
「何それ?」
「カッピィ。前の駐車場で会ったん。オクラ星ってとこから来たんやって」
「へえ、変わった生き物やなあ」
ユッケはカッピィをまじまじと見つめた。カッピィもユッケをうるんだ瞳で見つめていた。
「な、なに見つめあってんの?」
私は二人の様子を見て気持ち悪くなった。
「いや、見たこと無いからついつい」
ユッケは頭をぽりぽりとかいた。
「しばらく置いてもいいやろ?帰れやんみたいやし」
「勉強の邪魔せんならいいけど」
「ぼく、大人しくしてる」
カッピィはさささっと隅に寄った。その仕草はまるで小動物のようだった。
「あ、いやそこまでせんでもええで」
「そうそう。畏まる必要は全然ないし」
「ごめんなさい…お世話になります」
カッピィはぺこりとお辞儀をした。私達もつられて頭を下げた。
「あ、そういや、今日面白い話聞いてきたで」
「面白い話?」
頭を上げるとユッケが机の上にあった紙を私に見せた。
「花粉症に即効!春のお悩みも解決!スゴクイーヨー会社…えっ?何これ?」
私は思わず声をあげた。たった今、潜入してきたところではないか。
ユッケはにこっと笑った。
「先週大学の友達からメール来て、「体調不順で悩みない?」って聞かれてさ…ほら、俺、花粉症ひどいやん?それを話したら、「よく効くサプリがあるから会おうや」って言われて、ちょうど時間空いてたし友達とあったんよ。そしたら、このサプリ勧められてさ。なんか胡散臭かったけど、もし効き目あったら、それを他人に紹介してその人が買ったらいくらか収入が得られるって話やったから、試してみようかなあって」
ユッケは小袋に入ったサプリのサンプルを見せてくれた。
「ユッケ、それってマルチ商法やんなあ?」
「うん。そうなんよ。俺も行ったら、見知らぬ男の人がいて、その人から殆ど説明受けてたし、怪しいなあって感じたさ。儲けられる人なんてほんの一握りやろうしな。それはないにしても、花粉症がこれで治ったらなあって、そんでよかったら誰かに勧めてみよかなってくらい。やから、無理やり買わせる!なんてことはせんし安心してや」
「はあ」
私は世間は狭いなあと思った。
まさか、こんな身近にチイと関わっている人がいたとは。でも、パンフレットやサンプルをゲットしていてくれたのは、カッピィの「ぼったくり価格」を検証できそうなのでよかったのかもしれない。

私がサンプルやパンフレットをじっと眺めていると、ユッケが
「幸多(さいた)もどうや?化粧品とかもよさそうやで。肌、乾燥するって言うてたやん?」
と勧めてきた。
「でも、1本5500円は高いなあ。いつも1000円くらいのやから」
「そこがなあ。市販と違って人件費や宣伝費抑えてる分、原価にかけてるから高品質になって値段も高くなる!って説明されたけど。ほんまかどうかはわからんな。勧めたんは冗談やし」
ユッケはぽんぽんと私の頭を叩いた。
さすが私の彼氏、甘い宣伝文句には乗らない強固な魂…でもないのか。
私は早速カッピィに物を確かめてもらおうと振り返った。が、彼はすやすや寝ていた。
「早っ!」
私は思わず突っ込んでしまった。
「疲れたんかな」
ユッケはクスリと笑った。
「あ〜、そのサプリのことなんやけど」
「ん?どした?」
「カッピィはそのサプリがぼったくり価格で売られてる!ってことを突き止めて、とんでもタワーの店の商品吸い込んで故郷の星に転送して逃げようとしてたとこなん」
「え?」
ユッケは目を丸くした。
「商品どうなったんや?」
「星から戻してお店にこっそり返してきたけど、会社のチイって組織に指名手配されてるみたい」
「へえ、はあ、ふむ…」
一通り話すとゆっけはその場でくるくる回り始めた。
理系の彼には、吸い込むとか故郷の星に転送とか非論理的で戸惑ったのだろう。
気持ちよさそうに眠っているカッピィを一瞥するとゆっけはため息をついた。
「つまり、カッピィはアンチマルチの一人ってことか」
「本人はあんまり深く考えてないみたいやけど」
「でも、匿うってことになると、安易に外出できんやろ?」
「服着せるとか?あとはメガネかけさせる…無理か。んまあ、誰かに拾われたなんて向こうも思ってな…って何よ?」
顔を上げるとユッケが真面目な眼差しを送っていた。
「幸多はカッピィ見てはじめどう思った?」
「えと、可愛いなあって。可愛いやろ?」
「俺には可愛いって概念はわからん。普通の女の子とか小さい子なら、カッピィ見て幸多のように思うやろ?」
「ふん。それが?」
「やから、放っておかんってことさ」
「ああ。んで、一人フラフラしてるよりも、どこかに住み着いてる可能性が高くて、向こうもそこを狙ってるってわけやな」
「そゆこと」ユッケ腕を組んだ。
「それで、あの体型やから変装は難しいやろし、たいていはカバンの中入れるとかするやろ。それでもぞもぞ動いてたら…」
「怪しいなあ」私は言葉を続けた。
「じゃあ、細心の注意ってのを払わなあかんやん。」
「まあ、そうなるやろな。ただ、カッピィが今後どうするかにもよるけど」
「チイと対決するかってこと?」
「チイ?」
「カッピィによると、会社の一組織みたい」
ユッケは「ああ」と何か思い出したかのようだった。
「ビジネスしてる人らの一グループのことやろな。俺も少しだけ聞いたわ。正直、物的証拠がないと難しいと思うけどな。なかったら、ただの窃盗になってまうし」
「一回なりかけたなあ。う〜ん、起きたら本人にパンフとか見せて確認させてみよ。そのほうが早いかもしれやん」
「そやな。ただ、この丸っこい生物がそんなに強そうには見えんけどな」
ユッケは寝息をたてているカッピィに視線をやった。
現場を見た私はすぐに否定することが出来た。
「いや、そんなことないよ。あの吸引力は凄まじすぎたわ…」
「…そうなんか」
私のナマの感想を聞いたユッケはぎょっとしていた。しばらく二人でカッピィを見つめていた。

翌朝、私は目を覚ますとユッケは既に机に向かっていた。目覚まし時計は7時半を指していた。カッピィはというと、まだぐっすり眠っていた。12時間以上の睡眠をしている生き物を見たのは久しぶりだった。
布団のずれる音に気づいたのかして、ユッケは私の方に顔を向けた。視線が合うと
「襲っていい?」
と真剣な顔をした。
「あかん!」
私は断固拒否した。
「ちゃんと勉強せなあかんやろ」
「ふ〜んだ」
彼は拗ねると椅子をクルリと元の位置に戻した。私は起き上がるとぐーっと伸びをした。
失業してからというものの、なかなか早起きができない。もともと必要に迫られないと早起きなんてしなかった。今日はハローワークへ求人探しに行く予定だった。
その前に、カッピィのことを片付けなければならないのだが、あんなに気持ちよさそうに寝ている彼を目の当たりにすると起こす勇気がでなかった。
「飯炊けるし、一緒に食べるか?」
ユッケは机に向かいながら私に尋ねた。
「うん。カッピィも起こしたほうがいいかな?」
「このままやと昼まで、つうか一日起きん気がする」
「んじゃあ、そっと起こすわ」
ユッケの許可も得て、私はカッピィの傍まで行った。
「カッピィ、朝やよ」
私はカッピィの体をポンポンと軽くたたいた。弾力がある皮膚は触れるたびに弾かれた。
「…ん」
まぶたを開けたカッピィは眠たそうに左目をこすった。そして
「おはよう」
と口を開いた。
「おはよ。よく寝たなあ」
「ふるさとではみんな12時間くらいは寝るよ。それが普通なんだ」
「へえ〜まったりした星やなあ」
「ここへ来て、人間はせかせかしてるからびっくりした」
「んまあ、そやろなあ。うちも都会来て人の多さと機敏さに驚いたけど」
「それは幸多がどんくさいだけやろ」
横からユッケが口を挟んだ。
「む、何よう。ユッケはそんなとこに惚れたんやろ?」
私は意地悪な質問をしてやった。彼は椅子から立ち上がった。
「ほら、さっさと飯食うぞ」
「はいはい」
つれないユッケにつれない返事をしておいた。
「カッピィはごはん食べる?」
「うん。なんでも食べるよ」
ニコリと笑顔になった瞬間悪寒がした。ユッケとパチリと目が合った。
なんでも…って、食べ物のなんでもやんな…私とユッケはテレパシーで確認しあうと食事の準備を進めた。

カッピィの箸遣いは器用な物だった。
というのもカッピィには指がない。人でいうなら手のひらに箸をくっつけて巧みに動かして口に運んでいる感じだった。私がそれに見とれていると隣から「こら」とユッケに小突かれた。
「そういや、ユッケの友達とチイの人ってどういう関係なん?」
「ああ、友達の高校時代の先輩で、名前は比芽舞斗(ひめまいと)さんていうん。一流企業で営業やってるんやって。去年まではプログラマーやったらしい」
「同業者やん。って、うちは辞めたけど」
私は箸を持つ手を止めた。納豆の糸がぴろっとひいていた。
「んで、その人も友達に紹介されてサプリのみ始めたんやけど、効果絶大で周囲の人にすすめなあかん!て思ったらしい。平日は本業で忙しいから無理やけど、休日は普及活動に専念してるみたいやで」
「え〜!?休日も仕事やん」
「今やっといたら将来ラクできるって考えたら、苦痛じゃないんやってさ。マルチは怪しいけど、社会人としての話なら聞いてもためになるんちゃうかなあ。特に、同じ業界やったらアドバイスとかしてくれそうな感じやし。あ、でも幸多はもう プログラマーは嫌なんやっけ?」
「職場にもよるけど、精神的に病むとこがどこにでもありそうやからなあ。先輩がそうやったし。事務とかのがいいんかもなあ」
「んまあ、それは幸多の決めることやからなんとも言えんけど、生きてく上で人間関係が肝心やからなあ」
ユッケは味噌汁をすすった。

3日前に乾燥ワカメがきれて以来、具なし味噌汁だった。私はカッピィを見やった。
彼は茶碗のご飯をかきこんでいた。口の周りにご飯粒がたくさんついていた。そんな微笑ましい光景を前にしていると、こういうひと時が人に欠けているんじゃないかと思った。
カッピィは私と視線が合うと、首をかしげた。その仕草がたまらなく愛らしかった。
「吸い込む」という破壊的要素を除けば、地球でも人気生物になるんではないかと思ったが、リスクの高い生物をわざわざ飼う人もいないだろうと現実に戻った。
「あ、こないだ舞斗さんに本借りたんやん。返しに行くから、ついてくか?」
「へ?そんな約束してたん?」
「ビジネス関連の本あるけど読む?って聞かれてさ。今日返すことになってたん。んで、幸多がヒマなら一緒にどうかなって。メールで連絡しとくけど」
「ヒマじゃないよ。でも行こかなあ。気になるし」
「んじゃあメールしとくで」
ユッケは腕を伸ばし、布団の隅に放ってあった携帯を取った。
「カッピィはどうするん?」
「連れてくしかないやろ。置いてくのは恐いし」
心配より恐怖のが口をついてでた理由は私も納得できた。
「カバンに入れてくかあ。でも、チイの人らにバレやんかなあ」
「それがな…」
私達は考え込んだ。
「じっとしてたらわからんし、チイっていうても舞斗さんは関係ないかもしれやんから。あるいは関係性が薄いって言ったほうが正確かな」
「そうしよか。あ、サプリをカッピィにみせたってよ、パンフレットも」
「おっけ。あ、返信来た。「大歓迎!!」やってさ」
「え?もう?早いなあ〜」
ユッケは茶碗を置くと立ち上がり、机の上に置いてあったパンフレットとサプリを持ってきた。
「これで間違いない?」
味噌汁を飲み終えた彼はカッピィの隣に座り、サプリを差し出した。
カッピィは片手で受け取ると、じっと袋を見つめた。
「何て書いてあるの?」
私とユッケはずっこけそうになった。文字が読めないのに、よくとんでもタワーに侵入できたものだ。私は横から袋の表面に書いてある文字を読み上げた。
「スグヨクナール121」
「あ、それかも。カッピィはポンと手を叩いた。
「販売価格は、約1ヶ月分31錠で1万3000円って書いてあるよ。高いなあ」
「一般人にとってはな」
ユッケがぼそっと呟いた。
「ああ、販売活動してる人らには安いと感じるんやろな。んで、カッピィはこのサプリの何が怪しくてぼったくり価格で売ってるって言うたんや?」
「サプリの中に、ネバギブアップっていうのが入ってない?」
「ちょっと待ってな。ユッケ、パンフレット見せて」
私はユッケからパンフレットをもらい、スグヨクナール121の頁を開いて成分を確認した。
「ネバギブアップ…と、あった!」
「じゃあそれで間違いないよ」
カッピィはすくっと立ち上がった。視線が同じくらいになった。
「その成分に何か問題が?」
ユッケが怪訝な顔つきで聞いた。カッピィは頷いた。
「うん。ネバギブアップはオクラ星の産物なんだ」
「えっ?え、じゃあ、このサプリは地球上以外の物が入ってるってわけ?」
「どっから調達して来たんや…」
驚愕する私と途方に暮れているユッケにカッピィはきょとんとしていた。
「ネバギブアップはオクラ星では、毎朝の食卓に欠かせない植物なんだ。家庭でも簡単に栽培できて美味しくて、本当に貴重なもの。それがこの頃あちこちで減少してて、誰かが地球に持ち運んでいるっていうウワサを耳にしたんだ」
「それで地球に?」
「うん。匂いをたどってタワーまで飛んできたんだ」
「その話が本当なら、チイの中にオクラ星人がいるっていうことになるぞ」
「でも、何のためにさ?」
「それは本人に聞かんとわからんやろ」
「はあ、まあ。にしても、カッピィは危険なこと承知でなんで地球まで来たん?」
「ネバギブアップがなくなってしまったら、星のみんなは生きる気力をなくしてしまう。どうしようもできないかもしれないけど、黙って過ごすなんてそんなのはダメだ。勝手にとってくなんて悪いことじゃないの?」
カッピィは目を潤ませて訴えた。
「悪いことやけど、一人の力でできることなんて限られてるで。その会社も同じやろ。販売員増やして利益上げてるんやし」
ユッケの発言は実にシビアだった。私も同感だった。
しかし、意を決してここまでやってきたカッピィにこのまま引き下がれというのは気が進まなかった。ユッケも多分そう思っていると考えた。
「いや、一人じゃないやん」
「それはもしかして、協力しろってことか?」ユッケは眉間に皺を寄せていた。
「無理にとは言わんけど…なんだかんだ言って、うちら全員チイとかその会社と何かしら関わりもってしもたんやから、真実を知るのはおかしくないことじゃない?今日も話聞きに行くんやし。まず、何がどうなってるんかわからんことにはカッピィにもアドバイスできやんやろし」
「まあ、深入りせんだらええけども。そろそろ出かける準備せな間に合わんわ」
「あ、うちも化粧するわ」
「俺、今日11時からバイトやから話長引きそうやったら途中で帰るからな」
「わかった〜」
3人で協力するという形におさまり、私達は準備にとりかかった。
カッピィは「ありがとう」と二度お辞儀をした。

洗面所で顔を洗い、コンタクトを入れ、化粧をしたあと、髪の毛をセットするためにクシをとりに行った。
ユッケが壁掛けの鏡の前で髪をいじっていた。傍らには手の平サイズの固形ワックスが置いてあった。それには、「男前になるワックス」とでかでかと書かれていた。
「もっと立てたらかっこいいのに」
「ぺちょってなる髪質やから効かん。一番強いヤツやのに」
「ん〜、立ててなくてもユッケはかっこいいよ」
私は矛盾する台詞を言ってのけた。
鏡に彼の不満そうな顔が映っているのが見えると思わず笑ってしまった。
「もういいや、これで」投げやりになったユッケはワックスを食卓テーブルの上に置いた。
布団の上にいたカッピィがそれを物珍しげに眺めていた。
「んじゃあ、髪直してくるわ」
私は再び洗面所を占領すると3分くらいで終わって出てきた。
ふう、と一息つき部屋の中に目を向けた。
え…
「ユッケ!その人誰!?」私は叫んだ。
「ん?どしたんや?…おまえ誰や!?」
クルリと布団の方に向いたユッケもまた驚いていた。
そこには見知らぬ20歳前後の青年が座っていた。全裸で。彼はおどおどしていたが静かにこう呟いた。
「ぼくは…カッピィです」
一体何がなんだかわからなかった。

カッピィと名乗るその青年は山吹色でも風船体型でもなかった。私達と同じ人の形をしていた。
私とユッケは顔を見合わせた。
多分、お互いに、嘘や…でも、誰か侵入してきたら気づくし…という意見で一致していたに違いない。
「あ、あの」
カッピィが立とうとしたとき、
「待って!」
と私は制した。今はちょうど布団で下半身が隠れているが、立ち上がったら丸見えではないか。
「ユッケ、パンツ!パンツ!パンツ!!」
私はカッピィを指差して「パンツ」を連呼した。
ユッケは文句言わずに、引き出しから自分のパンツを取り出した。カッピィに履かせるのをためらっていたが、「洗ったらええやろ!」と強い口調で促すと、彼は渋々カッピィにパンツを渡した。
「あ、ありがとう」
私はしばらく後ろに振り返っていた。
「履いたぞ」
ユッケの声で正面に振り向くと、カッピィが布団の上に正座していた。
「んで、何があったんや?」
ユッケが頭を抱えながら椅子に座った。
「何もしてないよ…これをちょっと触っただけで」
とカッピィが指差したのは、ユッケが使っていたワックスだった。
「塗ったん?」
「頭にちょこっとだけ。そしたら、急にふらっとして…気づいたらこうなってた」
「男前になるワックスでカッピィが男前な人間になってしもたな、はは」
「笑いことじゃないやろ」
ユッケは少しむっとしていた。
まあ、恋人同士の空間に別の男が、しかもなかなかのイケメンだったら嫉妬心が沸いても不思議ではないが、今はカッピィの仮の姿であるので、嫉妬の方向が間違っているような気もした。
「でも、人間になったほうが過ごしやすいかもな」
「どういうこと?」
「ん、カッピィ指名手配中なんやろ?やったら、人間の姿でいたほうが知られてないから安心やってことさ」
「なるほど!ユッケ頭ええなあ」
私が褒めるとユッケは照れたのか、
「そんなん誰でもわかるって」
と視線を逸らした。
「ところで、そろそろ出かけなあかんのやけど」
「あ…」
私はちょこんと座ったままのカッピィを見やった。
「一緒に連れてけばいいんじゃね?製品のことも詳しく聞けるかもしれんし」
「ユッケ、そこんとこ適当にフォローしてよ」
「“適当”にするわ」ユッケは冗談めいた発言をしたが、多分なんとかなるだろうと思った。
少なくとも、カッピィが人間に変身してくれたおかげで、不安要素は一つ減ったのだから。
「んじゃあ、服貸したりなよ」
「いいけど、サイズ合うかなあ?」
「う〜ん、細めのヤツやったら合うんちゃう?」
「それは、俺は太ってるってことか?」
「違うやん。逞しいから、カッピィにはぶかぶかなんちゃうかなあって。ていうか、こないだ、小さくて着てないわっていうTシャツとかあったやん?」
「む、じゃあそれにする」
「よろぴく」
私の指示に従い、ユッケは押入れの衣装ケースから、若草色のTシャツとジーンズを取り出してカッピィに手渡した。受け取ったカッピィは衣類を広げると物珍しそうに眺めていた。
「着替えたらすぐ出るぞ」ユッケの声を聞いたカッピィは慌てて立ち上がり着替え始めた。
これが、あのカッピィか…と私はぽかんとしていた。
もし、人間になったとしても、小学生くらいのイメージだった。それが年頃のおめめパッチリの可愛いらしい青年だったら、ギャップに戸惑うもんじゃないか。
カッピィはジーンズをはくのにあたふたしていた。片方中途半端に入れたまま、もう片方入れようとしていたので、おっとっと状態を繰り返していた。その光景が微笑ましく思えた。


歩くこと約20分。
キュウトの市街地には高いビルが隙間なく並んでいた。そのうちの一つを私達三人は見上げていた。入り口ドアの上には「オチャムビル」と金色に縁取られていた。
「それにしても、でっかいビルやなあ」
「舞斗さんとそのグループの人たちが建てたらしい」
「でもなんでオチャムなんやろ?」
「舞斗をローマ字にして反対から読んでみ」
「うんと、OTIAM…オチャム!なるほど!って、逆さまにせんでもそのままでええのになあ」
「そこはちょっと控えめに出たんやろ」
ユッケの推測は正しいかは分からなかったが、私は聳え立つビルをまじまじと眺めていた。
「カッピィはこのビル知らんだん?」
「知らないなあ。でも、怪しいニオイがぷんぷんする」
「そやな。入りづらい雰囲気醸し出してるな」
前面ガラス張りの中は、そこそこ人がいた。
ビルといっても1階の右半分は喫茶店になっていた。、白いテーブルとイスが整然と並べられていてどこでも見かけるカフェの光景だった。ただ、左半面には、会社の製品らしきものが飾ってあり、鏡台と一人がけのソファがいくつかあって、仕切りで区切られていた。
「あ、来たぞ」
ユッケの声で私とカッピィは慌てて正面に向き直った。ユッケが会釈したので、私達もつられて頭を下げた。
「遅れてごめんね〜その子が彼女?」
「はい…」
とユッケは左肘で私を突いた。
「あ、芋瀬幸多(いもせさいた)です」
私は名乗った。
舞斗さんはにこりと笑顔を見せた。なんか女の子みたいやというのが第一印象だった。このビルを建てたっていうくらいだから、もっといかつい兄ちゃんを想像していたが、全く違った。見た目は、人懐っこそうなイマドキの細身なお兄さんだった。
「で、そっちのコは?」
「あ、ええと俺の学校の友達です。名前はカッ…じゃなくて」
「カブキくんです。香部木比依(かぶきひい)くん」
咄嗟の思いつきで私はカッピィの仮の姿の名を決めた。
「そうそう!たまたま出会って話したら聞いてみたい!ってことで連れてきたんですが…」
「全然いいよ!大歓迎やで」
飛び込みもウエルカムということで舞斗さんはすごく嬉しそうだった。
「じゃあ、中入ろうか」私達は舞斗さんの案内でビルの中へ入っていった。
カッピィのお腹がぐうと鳴った。

店に入った瞬間、異質感を覚えた。カフェと販売店が隣接しているという時点で企業的戦略だったのだが、どのテーブルを見ても3人以上は必ずいたのである。しかも、男の人は八割がスーツを着ていた。
入り口に一番近いテーブルには、化粧品かなんかのボトルがテーブルにでん!と置かれていて、紺色のスーツを着た男性の隣に若い男の子、彼の前に彼女らしき女の子が座っていた。男の子と男性はニコニコしていた。男性カバンの中から水色の封筒を取り出し、中から薄黄色の紙を出して彼女の前に置いていた。
契約に持ちかけているところなのだろう。
13あるテーブル席のうち、八つはそんな感じで、あとは身内の人が携帯をいじったり、談話しているようだった。
私もあんなふうに勧誘されるんじゃないかとドキドキしていた。
あ、でも、向こうはそのつもりなんやろうなあ…
全く無知であれば、うまい話に乗ったかもしれないが、ユッケの事前説明とカッピィの存在が、「胡散臭い販売事業」を証明していた。

私達は、入り口から一番遠い席に案内された。
成り行きで、奥側に私、その隣にカッピィ、私の前に舞斗さん、カッピィの前にユッケが座る形となった。
「飲み物何にする?」
舞斗さんにメニューを渡されると、私は一番安いアールグレイにした。安いといっても480円もした。何このぼったくり価格。
ユッケはコーヒー、カッピィは文字が読めなかったので、彼のイメージに合うオレンジジュースに決めてあげた。
注文をとってもらい、店員さんが去ると早速会話が始まった。
「改めまして、比芽舞斗です〜よろしく」
舞斗さんは私に名刺を差し出した。
「ありがとうございます」
私は両手で受け取った。
彼の名刺には左上に組織名であるチイ、中央に舞斗さんの名前、左下にスゴクイーヨー会社の連絡先が載っていた。
「ふふふ…真久呂くんに彼女いるとは思わんだわ〜きっかけは?」
いきなり恋バナかよ!と突っ込みたくなったが、これはきっと本題に入る前の世間話なのだろう。
しかし、ユッケに彼女おるように見えやんだって、ユッケがそんなにガリ勉に見えたんか。
カッピィ除く3人は微妙な笑顔だった。
「バイト先で知り合って」
ユッケは恥ずかしそうに答えていた。
「そうなんや〜付き合ってどれくらいなん?」
「1年くらいですかねえ」
「長いなあ〜オレは今月末で5ヶ月。来週末久々のデートなんやあ」
「へ〜」
私もユッケも笑みは絶やしていなかったが、返答に困っていた。
「ああ、のろけてごめんね」
舞斗さんは我に返ったかのように謝った。
「いえいえいえ」
男の人は自分の恋話って好きそうな感じじゃないから、自発的に話題に挙げる舞斗さんはやっぱり女の子みたいな性質を持っていた。私の偏見かもしれないが。
「で、幸多ちゃんはお仕事何してるん?」
「今はしてないです。先月までナゴムで働いてたんですけど、辞めてキュウトで求職中なんです」
「へえ!前は何してたん?」
「システム開発系の仕事を。簡単なプログラミングとか…」
「お、同業者やん!オレも去年までプログラマーしてたんさ。今年からは営業に変わってん。いろんな人から刺激受けたいと思って」
「すごいですねえ」
私は感心した。こんな高い志もった若者なんて今時滅多にいないだろう。いや、就業者を入れないのなら、うちの恋人も入るではないか。
「世界一周したいっていう目標があるんや。決めたことは必ず実現するっていつも考えてるから」
舞斗さんの瞳はキラキラ輝いていた。何かを訴えるかのように。私は斜め前のユッケを見た。神妙な顔をしていた。
「幸多ちゃんは夢ってある?」
「夢ですか?」いきなり大きな質問をされてびっくりした。しばらく考えてからこう答えた。
「ええと、本出版したいかなあ。趣味で小説とか書いてるんですけど、仕事してるとなかなか時間とれやんで完成せんこともあったりするから」
「小説書くん!?すごいやん!」
舞斗さんは素っ頓狂な声をあげた。そんなに珍妙な趣味なのだろうか。
「そうかなあ」
私が返答に困っていると舞斗さんは身を乗り出して喋っていた。
「うん!夢があってきちんとそれに向かって行動してるってすごいことやんか。オレの周りにはそんな子らばっかやわ」
「いやいや。最近全然できてませんよ。やっぱ、就職先はよ見つけて収入得やんと好きなこともできやんし」
私が遠慮気味に答えたにも関わらず、舞斗さんはますます目をキラキラさせていた。
「そうなんか。次はやりたい仕事とか決まってるん?」
「いや、まだ、求人探ししてるとこです」
「そうやんねえ。不景気やし」
舞斗さんはウンウンと頷いた。
「香部木くんは?毎日勉強?」
急に話しかけられたカッピィは、パッと顔を上げた。
「あ、はい…」
「人生の悩みとかないん?」
「人生…?」
舞斗さんの尋問に、カッピィは至極マイペースだった。カッピィは首をゆっくり回した。
「どうやって故郷に帰ろうかなあ、かな」
「故郷って?」
「オク…」
「あ、オオイトです!」
カッピィが故郷の星を言う前に、ユッケが慌てて叫んだ。
「すみません。こいつ昨日徹夜してよく眠れなかったみたいなんです。ついてきたのもその場のノリみたいな感じで…申し訳ないです」
「ああ、いいよいいよ、気にしなくて」
舞斗さんは笑顔で対応した。
もう、心臓どきどきもんや〜私もユッケも、勧誘どうのよりもカッピィの正体がバレないかに心配だった。

「でも、二人とも何かを求めて今日ここに来たんやんな?」
舞斗さんの瞳の奥にギラギラしたものを垣間見た。
「真久呂くんも言うてたけど、勉強や仕事に追われて自由な時間がない、時間を作れる方法があったら試してみたいと思わん?」
ようやく本題に入ったのか場の雰囲気が引き締まった。
「舞斗さんはどうやって時間作ってるんですか?」
私の問いに彼は待ってましたといわんばかりに、カバンからさっと白色のボトルと何かの資料を取り出した。
あ!!カッピィがそれを凝視した。
ラベルには、「スグヨクナール121」としっかり書かれていた。が、舞斗さんは取り出したものにはふれなかった。
「優先順位を考えて計画立ててるかなあ。オレの場合、平日は仕事で、休日はこうやって話したりしてるから自由な時間って、本当に限られてくるんやけど、時間って作ればいくらでもあるもんなん。」
「でも、どうしてもうまくいかないときもありますよね?」
問いかけたのはユッケだった。
「うん、そう。オレも初めはそやった。やけど…」
舞斗さんは表情を変えなかった。そして、ボトルに手をかけると
「これのおかげで人生観変わってん」
とボトルに注目させた。
「それは何ですか?」
「これはオレの救世主かな?小さい頃から花粉症がひどくて、大人になってもこの時期は鼻水でまくるし、目かゆいし、のど痛いし…で困ってたん。そんなとき、友達にこれ勧められてん。半信半疑で飲んでみたら、一週間くらいしたら症状が軽くなって、一ヶ月したら、すっかりよくなって。え?なんでこんなものが普通に売ってないの?って聞いたら、お店で売ると人件費や宣伝費にかかるから、そういうのをカットしてる分、質のいいものが作れるんって。やから、口コミでしか伝えられへんのよ、って教えてもろてん。
そこで、体感出てこんな良いものやし、困ってる人にも伝えていきたいなあって思って口コミ活動し始めたら、いろんな価値観の人と出会えて、自分にできることが少しでもあるならしたい!って思えるようになってん。それ以来お供としていつも持ってるわ」

舞斗さんは百戦錬磨のような流暢な口調で話し終えると更にニコニコしていた。
斜め隣にいたユッケは愛想笑いをしていた。おそらく同じような説明を受けたのだろう。
カッピィは話の内容が理解できたのか否か不明だったが、やはり食い入るようにボトルを見つめていた。
「花粉症に効くんですか?」
私は、カッピィが怪しいと言うサプリについて質問した。
「うん。今ニポンも花粉症の人多いからね。あと、ここにも注目してほしいんやけど、体の調子を整えるビタミンやミネラルが121種類も入ってるん」
舞斗さんは販売者専用らしき冊子を広げるといくつかページをめくった。そこには綺麗にまとめられたサプリの成分表が載っていた。
「へえ〜すごそうな感じですね」
確かに、資料にはビフィズス菌から焼き海苔酵素までいろいろな栄養素が入っていることが書かれていた。
「ホンマに皆体感出てるから!」
舞斗さんは張り切っていた。
彼だけテンションが上がっていた。絵文字表現するならば、右斜めカーブ上向き矢印だった。
それに引き換え、私は戸惑いの念から逃れられなかった。ユッケは「うさんくせえ」と言いたげな目つきだった。

カッピィといえば、むうと首をひねっていたかと思うと、
「この、ネバギブアップはどこで採れるんですか?」
とコアに迫った質問を投げかけた。
またもや、ドキリとした。しかし、舞斗さんはとりわけ不審がることも無く穏やかに答えた。
「ああ、国内の…えーっとどこやったけなあ。確か、オオスかなあ」
「オク…」
「オオイトじゃないんですか?」
カッピィの言葉を制してユッケが素早く尋ねた。
「オオイトは違うと思うなあ。原産地が気になるの?」
「あ、いや、まあ、やっぱり国産のが安心じゃないですか」
「そうやねえ。安心して。うちのサプリは全部安全なものだけやから」
今回もユッケのナイスフォローで危機を免れた。カッピィは、周囲の目など気にしていなかった。こんな状況で自分オーラを保てている彼はある意味スターだったのかもしれない。
「あの、そろそろバイトあるんで帰ります」
ユッケが遠慮気味に席を立った。
「そうやったんや!ごめんね。間に合う?」
「はい、飲み物代置いときますんで」
「いいよ、いいよ」
舞斗さんは両手を振ったが、
「いえ…それじゃあ、どうもありがとうございました」とユッケは500円玉をテーブルに置くとそそくさとその場を去った。
ポツンと取り残された私は言いようもない不安に襲われた。
「どう?興味持ってくれた?」
舞斗さんは完全スマイルで私に聞いた。
「はい、ちょっとだけ」
「幸多ちゃんは花粉症とか健康で困ってることある?」
「花粉症というか鼻炎持ちなので年中鼻の調子はよくないですね」
「香部木くんは?」
「元気です」
カッピィはものすごく真面目なツラだった。それを聞いた舞斗さんはたじろいだが、すぐに体制を立て直した。
「まあ、今は良くても将来どう影響及ぶかわからないからね。ここ見てほしいんやけど…」
舞斗さんは手元の資料を更に二、三ページめくった。
「普段何気なく使ってる市販のシャンプーやリンスとかって経皮毒になる物質が含まれてるん。病気になってからじゃお金もかかるし、何より自分自身が苦しくなるから、予防医学って大事やと思うん。女の子やったら、自分の習慣のせいで子供に悪影響及ぼしたら一生責任感じるわ、っていう子もいるし、そんな子らは身体に良いものを使いたいって言ってくれてる」
資料には、恐ろしい経皮毒!と題されて、奇形児の写真やネズミにシャンプー塗ったら死亡する動物実験の写真がたくさん載っていた。

「そうなんですか」
私は舞斗さんの言うことは最もだと思う所もあったが、どこか納得行かないところもあった。
自分の身体は思っている以上に不健康ってことがあったとしても、それを会員になって改善する利点が見出しにくかった。
「でも、高いですよね」
私が一番気に留めていた部分をズバリ尋ねた。ラベルの裏には、定価13000円と書かれていた。
「これが高いのにはわけがあるからなんや。市販の物は人件費広告費とかにかかって、原価がほんのわずかしかかけられやんから、粗悪品しか作れやん。それに対して、ここのものは広告費はないし人件費もそんなにかかってないから、原価に高くかけられる。やから値段高くても高品質ってことなん。それに、これだけの成分集めるだけでも、10万くらいはするから、それを考えたら安いってオレは思ったよ」
ほっへえ〜…10万のものを1万円で売ったら会社として大丈夫なんかいな。それに、広告出してないとこだってあるのになあ。
もっともらしい説明を聞いて、疑問符が次々に沸き起こってきたが、目の前の自信に満ちた舞斗さんを見ると、そんな疑問投げかけられなかった。というか、聞いてもなんか上手く丸め込まれるだけだと悟った。
「すごいものなんですね」
とりあえず、それしかコメントできなかった。
「ちょっと考えてみます」
即断は良くないと思い、やんわりと保留にしておいた。
舞斗さんは嫌な顔一つせず、
「そっか。あ、そういえば、先日出戻り窃盗があったんだけど…」
と、再びゴソゴソとカバンの中を探りだした。また何かサプリが登場するのかと思っていたら、彼が取り出したのは一枚の紙切れだった。
それを広げると、私とカッピィは思わず「あ」小さく声に出してしまった。
「この生物がとんでもタワーの販売店に来て、製品を丸呑みしてしもてん。信じられへんかもしれんけど」
「いや、信じます」
「あ、そうなん?」
舞斗さんは驚いていた。
確かに、カッピィを知らない人たちは、宇宙人が吸い込みに来たなんて信じるわけないだろう。それだけに、私の返答に意表を突かれたのだろう。
「あ、えと、その絵からして呑みこみそうやなって思って」私は冷や汗をかいていた。
「今、追ってるとこなん。製品は返って来たからよかったんやけど。もしかしたら、製品使いたくて盗んだんかもね」
「あはは」私はうっかりカラ笑いしてしまった。
なんておめでたいんや。いや、カッピィにはありえるかもしれない。
「そろそろ、次の約束あるから行かなあかんわ。ごめんね」
「いえいえ」
「あ、明後7時からセミナーあるんよ。よかったらどう?」
「へ?」
「ここの3階でやるん。グループの子らも来るし。是非来てや」
「はあ」
私はどうしようか迷った。カッピィを横目で見ると、なんら表情に変わりなかった。
それどころか、
「行きます」とキッパリ宣言していた。
「よかったあ。じゃあ、明後日の夜6時50分にここに来てな」
「はい…わかりました」
私はその場の雰囲気にのまれて首を縦に振ってしまっていた。


帰宅後、トイレから出てくるとカッピィはもとの姿に戻っていた。
ユッケも机に向かっていたので、戻る瞬間は目撃していなかった。
2人して「わっ」と小さく叫んだ。
私は明後日のセミナーのことをユッケに話した。
「う〜ん、俺はあんまり行ってほしくないなあ」
彼は眉をしかめていた。
「なんで?カッピィも一緒やし」
「それも危ないさ。前向きってのは結構なことやけど、何か異質感っていうか俺にはついてけんみたいな感じするわ。」
「うんまあ。今までへこたれる男子なんか!って思ってたけど、現実はそういう人のが人間臭くていいんかもな」
「そうか…俺ヘタレなんか」
「やから、ユッケのこと違うっつーに!」
彼のこの天邪鬼な性格は付き合い当初よりはだいぶましになったものの、本質というのは変わらぬようで、ときどきこうしてしょげることがあった。
「んでも、行くならカッピィは今の姿のままがいいかもよ」
「うん?」
「危険が迫ったら吸い込めるやろ」
「そやけど、吸い込まんでええもんまで吸い込むよ?そういや、人間の時って吸い込めやんの?」
私はベットでごろんと横になっているカッピィに顔を向けた。カッピィはむくっと起き上がった。
「こっそり試してみたけど無理だったよ。お腹が膨らまない」
カッピィは不満そうなツラをしていた。
私はなぜか安心した。あの男前な顔から顎が外れるくらい大きな口を開けて物を吸い込む姿は見たくなかったからである。普段は美醜を問わない性分だが、人種が違ったらまた見方も変わってくるものである。
「じゃあ、またカッピィはカバンの中に隠れやなな」
「おっけい」
カッピィは快く承諾してくれた。
「気をつけろよ」
「ユッケも行けばいいのに」
「明後日は帰ってくるん9時半頃になるもん。興味はあるけど。どんなんやったかまた聞かせてや」
ユッケはニイイと笑った。白い歯が綺麗だった。
「ありがと。楽しみにしといて」
私はすっかりスパイ気分だった。


翌々日私とカッピィは再びオチャムビルまでやってきた。
セミナーはここの3階会議室で行われるそうなのだが、階段なるものは外からは見当たらなかった。おそらく、ビル内にあるのだろう。私は、深呼吸してから入り口の前にたった。
自動ドアが開くと、入り口付近の人が注目した。
エアコンの温度が高くて暑いというのではなく、人の何かしらの熱気の暑さだった。
私はいそいそと上へ上がる階段を探した。奥の方にエレベーターの案内板が出ていた。私は早歩きで奥まで行き、エレベーターのボタンを押した。何気なく壁のガラスを見ていたときぎょっとした。
そこには、一面カッピィの顔でいっぱいだったからである。
指名手配中?
チラシには、カッピィの姿と特徴が書いてあった。
「これは人間ではありません。異星人です。目撃したら下記まで御連絡下さい。情報をお寄せいただいたかたには謝礼を差し上げます」
ほっへ〜、うち、目撃っていうか捕獲したから謝礼もらえるんかなあ…じゃなくて、カッピィばれやんようにせな!
私は一層気が引き締まった。
3階につくと会議室は目の前だった。扉は開いていて、正面には「チイ恒例セミナー」と印刷された紙が貼ってあった。
私は恐る恐る足を踏み入れると、見覚えのある横顔を発見した。舞斗さんだった。
舞斗さんは私に気づくとパアッちと笑顔になり、小走りで来てくれた。
「わあ、来てくれたんや!ここがセミナールーム。カンザイ地方にいる子たちはここに集まるねん。あれ、香部木っちは?」
「あ、それが、体調不良で…」
私はもう冷や汗をかいていた。
「そうなんか〜残念やなあ。彼氏さんは?」
「今日は授業です。行きたいって言うてたんですけど」
私はちょっと事実を歪曲してしまった。
「そっか。でも、来週もあるから来てみて!って伝えといてね」
「は、はい」
「そうそう。今日は紹介したい子がいるねん。プリプリ〜!」
と、舞斗さんはいままで喋っていたと思われる女の子に声をかけた。
すると、女の子がこっちへやってきた。
「この子はプリプリ。歳は幸多ちゃんより一つ上かな。服屋さんで働いてて、チイの活動も頑張ってる」
「はじめまして!子下(こげ)プリプリです!」
プリプリさんは、白いニットにベージュのミニスカ、ダークブラウンのロングブーツを履いていた。キャピキャピ感に溢れた明るい人だった。
「芋瀬幸多です」
私は圧倒されて控えめになってしまった。
「幸多ちゃんサプリの詳しい話聞きたいんやって。女の子どうしのが聞きやすいやろし」
「うん!わかった」と舞斗さんはプリプリさんに任せてどこかへ行ってしまった。
「んじゃあ、座ろうか」
プリプリさんに案内されて、後列の端の席に腰掛けた。
「あたしは、スゴクイーヨーの前に他のとこの化粧品使ってたのね。でも、肌に全然あわなくて。そんなときに友達に、ここの会社勧められて使ってみたら超良くて!!今日もファンデーションつけてないんよ」
「ほええ」
私は腑抜けた声しか出なかった。
確かに、プリプリさんのお肌は白くて綺麗ですべすべしていそうだった。
「あと、便秘気味で何日も出やんだのが、スグヨクナール飲んだ翌日、どっさり出てもう感動した!みたいな?これこそ本物や!って思ったわ」
「そんなに効果があるんですね」
「うん!周りの友達にも勧めたんやけど便秘治ったって子も多いし、悩んでる子にどんどん伝えていきたいなって思ってる」
あれ?これ前にもどこかで聞いたような。それに、このキラキラした表情も。
私は、プリプリさんが話している間、ちらちらと胸元に視線をやっていた。ぴったりフィットしたV字型ニットからは谷間が見えていた。気になる。気になりすぎて困る。これは誘惑しているのか?と思うくらいに。それとも、さりげなく巨乳をアピールしているのか?私にはどっちでもよかった。
なんてずれたことを考えているとはプリプリさんはつゆ知らず、ニコニコしていた。
「幸多ちゃんは家この近くなん?」
「ええと、彼氏がキュウトなので今はそこに住まわせてもらってます」
「へえ!いいやん!あたしはここからちょっと遠いの。仕事のあとセミナーに来てるけど、いっつもギリギリ」
「セミナーってどういうことをしてるんですか?」
「う〜んと、タイトルっていって活動頑張ってる人がもらえるんやけど、それ持ってる人たちからの話が聞けるかな。製品について勉強したり、皆ここ来たら熱心やで。自分の目標を設定してそれを書くの。いついつまでにこれをする!って書くことで実行しやすくなるし、皆で確かめあうこともできるん。仲間もいっぱいできるよ」
「へええ〜」私は感心の声しか上がらなかった。
まるで、ここは塾とか学校のようだった。
「幸多ちゃんも時間あったら参加してみてね。あ、そろそろセミナー始まるわ。一番前行き。舞斗くんの隣」
「ええ、あ、はい」
私は言われるままに席を移動した。

いつの間にか人がたくさん群れていた。
私が舞斗さんの傍まで来ると、
「あ、ここに座り」
と端から2番目の席を案内された。ちらりと後ろを見渡すと、初参加っぽい人は見当たらず、何人かでわいわいしている人ばかりだった。
私はできるだけ目立たないことにしようとしていたが、一人でいる時点で初心者と見て取れただろう。
カッピィの入ったカバンをそっと置くと、イスに座った。
それにしても、狭い会議室だった。いや、会議室自体は広いのだが、前半分しか使っていない上にイスが間隔なく左右ぎっちり並べられているので、密着状態だった。
マイクを使えば、遠くても聞こえるやろうに…この効率の悪さは何なんやろう?と疑問を抱いた。
私がペンとミニノートを取り出すと左隣から
「今から3人前出て話してくれるわ。ビジネス中心の話になってわからんかもしれやんけど、いいなって思ったとこはメモっといてな」
と舞斗さんに指示された。彼もノートとペンを出していた。
ノートとペンはビジネスマンに必須!と前の会社で言われたのを思い出したが、それとはまた異なる意味の必須性だと思った。
壇上に男の人が立った。
「それでは今からセミナーを始めます」
いよいよセミナーが始まった。

1人目の名前は、萌田もえさん。私より2つ3つ上くらいの女の人だった。
長い髪をポニーテールにし、黒いスーツをぴしっと着こなしていて、いかにもキャリアウーマン!という感じだった。
「自立っていうのはお金の自己管理、つまりどう使うかが大切になってきます。その使い方も、人や会社のためのお金の使い方をすべきです。このビジネスで自己実現したいっていうなら、仕事とビジネスのかける割合を考えることも必要です。
仕事してるからビジネスおろそかになってしまうなんてもってのほか!自分がこうしたい!って思ってることは、取り組み方や気持ちの問題だから。自分の心と向き合って、1日1日を大事にしていきましょう。そこで、考えるきっかけを2つ紹介します。まずは会社選びのポイントを。
まず概念。会社がどんなコンセプトで経営しているのかということ。2つめにプラン。会社がどのように事業展開しているかということ。3つ目に商材。きちんと差別化されているかということ。4つ目に市場性。3つ目に挙げた商材を広める市場が整備されているかということ。五つ目にタイミング。今、なぜビジネスをする時期なのかということ。
全てに根拠が示せるように考えてみてください。
もう一つは、人生を豊かにする5エレメントというのがあります。
時間、お金、健康、仲間、教養の5つです。教養というのは知的財産のことです。これらがなぜ大切なのか?もしもなかったらどうなるのかを考えてみてください。
最後に、大事なのはなぜビジネスをしているのか?ということです。ここでビジネスをする上での目的や目標があるかどうかを確かめてください」

パチパチパチ!!拍手喝采。

2人目の名前は重井古見(おもいこみ)さん。20代半ばの男の人だった。スーツだったが、ネクタイは締めておらず、襟を立てていてリッチな感じがした。
「皆さんは何かしらのきっかけでビジネスに参加されたと思います。きっかけで気づきを与える、それが僕達の役目です。「思い」っていう言葉ありますよね?もう一つ「想い」っていう字もありますね。この違いは、「思い」は自分がおもってることに対して「想い」は相手をおもうことです。だから、思いやりっていうのも本当は想いやりっていうほうが正しいんです。
このように、想いやりを持って伝えることが大切です。そうして会員にきっかけを与える。そこでセミナーやアテンドで上の人に気づきを与えてもらう。そこで本人がやる気になりますが、そこではまだビジネスは始まりません。やる気が深まって本気になって初めてビジネスになるんです。そうして継続させてゆく…こういう簡単な流れです」

パチパチパチ!!拍手喝采。

最後の人の名前は峰羅瑠(みねらる)ヒジキさん。長身で2人目と同じような服装をしていた。ただ、もう少し年齢が上のようだった。
「豊かな人生を送るには決断が必要です。辛いこともプロセスになります。結果は点数として表れます。プロセスは結果にプラスしたもの。でも、そう難しく考える必要はありません。スグヨクナールを二人に紹介するだけで半額で買えるんです!なんでこんな簡単なことが皆さんできないんでしょうか?何も難しくはないんです。気楽に行きましょう!」

ワー!パチパチパチ!!拍手喝采。前の二人よりも大きかった。
セミナーが終わった後、こっそりユッケにメールした。
「チイの人アツすぎる…」

セミナーの余韻はすぐには冷めなかった。
まだ、グループかなんかでかたまって喋っている。時計は11時5分前を指していた。情報共有もいいけど、さっさと帰って明日に備えればいいのに。いつのまにか邪念が沸いて来た。
私は、帰ろうと席を立ち上がろうとすると、カバンがもぞもぞした。慌ててカバンを膝に抱えた。
「カッピィ、疲れてない?」
「大丈夫。何か暑くない?」
カッピィも異常を感じているようだった。
「部屋も人もアツすぎるわ」
私は苦笑した。
「最後の人、オクラ星の人だったね」
「ふうん。えっ!?」
私は急いで口に手をあてた。幸いにも、私に気を止めている人は誰もいなかった。
「最後って、ヒジキさん?」
「うん。間違いなく。ニオイがそうだった」
「ニオイでわかるんかい…」
私はズッコケそうになったが、ここでは大袈裟なアクションをとれなかった。
「ここはいったん引き下がったほうがよさそやな」
「そうだね」
カッピィが再びカバンの中に入ると、後ろから肩を叩かれた。
「!?」
「あ、ごめん」
私の驚いた顔に舞斗さんは笑顔で接してくれていた。
「もう帰る?」
「はい、遅い時間なので」
「オレもこれから出かけるから下まで一緒に行こうか」
「あ、はい」
「出かける」のか、「帰る」んじゃなくて。一体、この人の睡眠時間は何時間なんやろう。その刹那悪寒がした。
荷物を持って席を立つと、会議室から出た。

扉にもカッピィ貼紙がしてあった。
「これ、いたるとこに貼ってありますよね?」
先を行く舞斗さんに尋ねた。
「うん。真剣に探してるからねえ」
「でも、いつまでもこだわってるなんて変ですよね…」
「え?」
舞斗さんははたと足を止めた。
「だって、製品はもとに戻ってきたんやし、本人も深く反省してると思います」
「うん、まあ…そうかもしれないね」
「周りが自分と違うものばっかやったら、誰だって戸惑うし。吸い込むなんて普通の人の頭じゃ…」
私は「あ」と思った。
舞斗さんは意味深にじっと私を見つめていた。
「あ、あの、何か?」
「いや、なんでもないよ」
私の不安とは裏腹に、舞斗さんは笑顔を絶やすことなく先を歩いた。
エレベーターの前で止まると、舞斗さんは下がるボタンを押さずに後ろに振り返った。
「ごめん。ちょっとここで待っててくれる?」
「あ…はい」
何かを思いついたように、舞斗さんは走って会議室へ戻っていった。

2分くらいしてから戻ってきた舞斗さんの隣には背の高い男の人が一緒だった。
ヒジキさん!!
間違いなく、さっきセミナーのトリをつとめたヒジキさんだった。彼は、不思議そうな表情で舞斗さんに連れられてきたが、私を見て穏やかな表情に変わった。
「こちらは、さっき最後に話をしてくれたヒジキさん。」
「どうも」
「あ、どうも。芋瀬です」
私達は軽くお辞儀しあった。
舞斗さんは一体なぜヒジキさんを連れてきたんやろう?私が疑問に思っていると、舞斗さんはヒジキさんに向かってこう言った。
「ヒジキさん、あれ持ってます?」
「あれ?ああ…」
ヒジキさんは内ポケットを探り出した。
そして小さなビニール袋を取り出した。
「それは?」
「スグヨクナールに入ってるものだよ」
その台詞に反応したのか、カバンがもぞっと動いた。
舞斗さんがあとを続ける。
「主要成分の薬草、本物やで」
「えっ!」
声を上げたのはカッピィだった。ついでにカバンから飛び出ていた。
「あ…っ!」
やばい!私はカッピィを見やってから舞斗さんらのほうに視線をやった。
なんとか誤魔化さんと!私は、カバンの中に紙切れが入っていたのを見てピーンときた。
「何これ!?」
私は声を震わせた。
「カバンに資料が入ってたのにいつのまにかなくなってる!変な生き物がっ!」
そう、カッピィ赤の他人作戦である。それを疑わぬヒジキさんは
「それ、指名手配中の生き物だよ!捕まえて!」
とカッピィ捕獲を命じられた。
ここですんなりことをすすめてはいかんと思い、危険生物に触るように恐る恐る手を伸ばした。
カッピィ、逃げてくれ!!心の中で念じつつ目力を送りながらカッピィに訴えた。
それが通じたのが、カッピィはささっと階段のあるほうへと飛んで行った。
私はそのままついていったら怪しまれると思い、躊躇しているフリをしていた。私の演技にヒジキさんはうまくひっかかってくれたようで、カッピィの後を追った。が、舞斗さんはその場から離れなかった。
「今まで気づかんだん?」
「あ、はい。なんかもぞもぞすると思ったんですが、気にしてなくて…」
私は懸命に今見たかのように振舞った。
「そうか…びっくりしたよね」
舞斗さんの言葉にはあまり感情がこもっていなかった。
生き生きとした瞳に黒い光がよぎった。
私はカッピィのことも気になったし、これ以上長居は無用と思い、
「では、失礼します」
といってそそくさとその場を去ってきた。


カッピィは無事にユッケの部屋に帰っていたようだった。布団でころんと寝転がっていた。
「なんかヤバいことでもあったか?」
クルリとイスごと振り返ったユッケは心配そうに尋ねた。
「すごい人がカッピィの星の人やった」
「すごい人?」
「舞斗さんの上の人?っていうんかなあ…スーツ着て大人な感じやった」
「チイって皆スーツちゃうん?」
「9割くらいはな。ユッケ、誰も来てない?」
「ん?どゆこと?」
「実は、カッピィがカバン中から飛び出してバレたんさ。うちは咄嗟に偶然入ってたフリして、ヒジキさんはそのまま追ってたけど、舞斗さんには嘘やとバレてるかも…」
「んまあ、これから会うってわけでもないし、そんなに影響はないやろ」
ユッケは他人事のように言って立ち上がるとカーテンを閉めに窓際まで行った。彼がカーテンを引こうとしたとき、何か発見したようだった。
「下、何かいるぞ」
「え?」
私はユッケの傍まで近寄って窓の下を見下ろした。道路を挟んだ向かい側にある自動販売機付近にスーツを来た4人の男が立っていた。
「追っ手?」
「やろな」
「でも、なんでここってわかったん?ユッケ、住所教えてないやろ?」
ユッケは思案顔になった。
「こないだ舞斗さんに聞かれて、コンビニが一階にあるってことは言ってもたわ。それだけじゃわからんやろけど、カッピィの後追ってきたからだいたい検討つけてるんちゃう?」
「これじゃあ、外出れへんよお」
私は泣きそうな声を上げた。
「ごめんなさい」
「カッピィ?」
急にカッピィが謝りだした。カッピィは布団の上に人間でいうところの正しい座り方をして真剣な眼差しを向けていた。
「ぼくのせいで、二人に迷惑をかけてしまってごめん…」
「いやいや、カッピィのせいじゃないって」
「うん、俺はおもしろ…じゃなくて、カッピィは正しいことをしてると思ってる」
ユッケの言い方が悪かった。カッピィはパアッと明るくなり
「え?本当?」
とユッケに言い寄った。
ユッケはその気迫に押されて
「あ、うん」
と答えてしまった。
カッピィは両手に力を入れてフンと鼻をならした。
「ありがとう!じゃあ、ぼく行ってくるよ!」
「え、ちょい待って!どこへ?下には追っ手がおるんやに?」私は準備万端のカッピィを止めた。
「そや、変装でもしてかん限りバレ…あ、これ!」
ユッケは机におきっぱなしにしてあったワックスをカッピィに投げた。
「人間の姿やったら、追っ手もわからんやろ」
カッピィはワックスのふたを開けて頭にワックスをつけた。すると、眩い光が当たり一面を覆った。私はゆっくり瞼を開くと、目の前には仮の姿のカッピィがいた。
「ほれ!服!」
ユッケは手際よく服を投げると、カッピィは両手でキャッチして素早く着替えた。
「え?スーツ?」
カッピィは以前のTシャツとジーンズではなく、紺色のスーツに水色のネクタイをしていた。
「なんでスーツなん?」
「ふふふ…チイに紛れるためにはスーツ!なんかそうっぽくない?」
「…まあ、言われてみれば。でも、普通のサラリーマンと変わらんような気も」
「中身は洗脳されてないからそうさ。とにかく、その姿で下行って、カッピィはあっち行った!って正反対の方向に誘導すればオーケー!」
いつになくユッケが楽しそうにみえた。
勉強ばかりで刺激が少ない日常だからだろうか。しかし、カッピィは疑うこともなくユッケの言うことに希望を見出しているようだった。やる気がすごく伝わってきたので。
「んで、上手くいったら戻ってきーや」
「わかった!じゃあ行ってきます!」
「気をつけて…」
私は不安を抱きつつも、なんとかなるだろうとお気楽に考えて見送った。

そのときだった。突然着メロが鳴った。私はカバンの中に閉まっていたケイタイを取り出した。
送信者は舞斗さんだった。
「誰?」
ユッケは首を傾げた。
「舞斗さん」
「何やって?」
「ええと、「今日のセミナーどうやったかな?ヒジキさん…帰りに会った人に話し聞いてもらいたかったんやけど、取り込んでしまってごめんね。明日時間あれば、是非会って話聞いてほしいな♪きっとためになると思うよ♪よかったら16時にビルの1階で♪」やってさ」
私はメールをそのまま読み上げた。文末にやたら音符マークが多かった。
ユッケは内容を聞くと、う〜んと腕を組んで考え込んだ。
「んで、行くん?」
「どうしようなあ…何がどうなってるんか確かめたいけど」
「俺は行ってほしくない」
ユッケはいつになくマジな瞳だった。
「む、そう言いながら、好奇心丸出しでカッピィ送り出してたやん」
私は彼の意図することがわからなかった。
「それは、カッピィやからやんか。幸多を危険な目にあわせたくないもん」
ユッケはカッピィを過大評価しているようだった。いや、カッピィならなにかしでかしてくれそうな気はする。それが良いか悪いかは別として。
「でも、カッピィを放っておけやんよ。あんなに可愛いのに!」
「可愛かったらほっておかんのかい…」
「強力パワーもあるから魅力的なん」
強力パワーというのはもちろん吸引力のことである。
「でも、探るような行為してもたら、チイと友好的に関われんくなるで?」
「そうなってもいいよ。人脈広いのはいいことやけど、そのせいで友達と気まずい関係になりたくない。サプリで改善された情報を伝えるのはいいことかもしれやん。でも、それを作ってるとこに問題があったら、そこを直さないつかは表に出てしまう。うち以外にもアンチの人ってようけおると思う。ただ、マルチがどうのこうのは知識が足りへんし、素人が口挟めへんよ。
うちは、それよりもカッピィの勇気に協力したいんや。それに、夢実現にはお金かかるけど、それやからこそ夢を追えるんやと思うん。人が真価を発揮するんて差し迫ったときとかじゃないんかなって。そうやって知恵を出して成長していくんやって」
一通り話し終えると、ユッケはポカンとしていた。そして、私の頭をなでなでした。
「わかったわ。カッピィが帰ってきたら話し合おう」
「ありがとう!」
私は頬をユッケの頬にくっつけてすりすりした。

バン!
ラブラブモードに介入してきたのはカッピィだった。
「早かったなあ…」
ユッケも私もカッピィが汗をかいているのがわかった。カッピィはドアをそっと閉めた。
「ただいま」
「黒集団は帰った?」
涼しい顔をしているカッピィに尋ねた。
「ユッケさんの作戦うまくいったよ」
「さすが俺!」
ユッケは褒められて自画自賛した。私は呆れた視線を送っていたが、彼のおかげで危機を回避できたので感謝せざるを得なかった。
「カッピィ、さっき舞斗さんから「ヒジキさんに会ってほしい」ていうメール来たん。今日あんなことになってしもて詳しい話聞けやんだから、行こうと思ってるんやけど…」
「もちろん、行くよ!」
カッピィは元気よく飛び跳ねた。聞かなくてもカッピィはイエスと返事するとうすうす感じていた。彼の辞書に「撤退」という言葉は存在しないのだろう。
「何かあったらまたメールか電話してきてや」
「すぐに駆けつけてくれるんやな?」
「そこまでは…」
「なんや…」
私は気分が少し下がってしまったが、現実を考えるとユッケの返答は正当だった。


超すごい人に会う当日になってカッピィはお腹を壊した。朝からトイレに篭っては出て、篭っては出ての繰り返しだった。
「落ち着いたら行くよ…」
青ざめたカッピィはトイレの中からそう呻いた。
「大丈夫?無理せんでええからな」
「うん、ごめん」
私はドアの向こうにいるカッピィを心配していた。
それに引き換えユッケは相変わらずもくもくと勉強していた。
集中力があるんはええけど…私は彼の横顔をじっと見つめた。すると、その視線に気づいたのかユッケは手を止めた。
「何や?」
「何にも。カッピィあんな調子やし、一人で行ってくるわ」
「行くんか?」
ユッケは嫌そうな顔をした。
「着いてく?」
「いや…明日テストやし。できんことはきちんと断るんやぞ」
「わかってるよ」
「心配やなあ」
「そんなに言うなら着いてけばいいのに」
私はぷっと笑った。心配しすぎて勉強が手につかないくらいなら、一緒に行ったほうが気が楽になるのではないかと思った。即答しない様子から、彼は葛藤しているようだった。
「じゃあ」
「ああ、気をつけて」
私は身支度を済ませて扉を開けた。

3度目ともなるとビルに入るのも慣れてきた。あくまでも「入る」ことだけで、そこにいる人たちにはやっぱり異質感を抱いてしまうのだった。
16時にビルの一階で!という抽象的なメールの通りに、空いている席に座って待っていた。
こう周りを見渡してみると、一人で座ってる人なんて誰もいない。3、4人の固まりが一番多く、3人のテーブルにはスグヨクナールが置いてある率も高かった。
外にいるときは、こんなサプリなんて!と強気なのだが、建物の中に入って集団に交じっていると、そんなにいいものなんかな…と意思が揺らいでしまいそうになった。
私はなるべく視界に人を入れないようにした。
5分くらいすると、小走りする足音が聞こえてきた。
「お待たせ!」
見上げると、舞斗さんとヒジキさんが佇んでいた。
「こんにちは」
私は2人に挨拶をした。
「こないだはゴメンね。あ、席移動しなくていいよ」
と、4人がけの席の奥に座っていた私が立ち上がるのを舞斗さんは止めた。
そして、私の前にヒジキさん、隣に舞斗さんが座った。
あ、マズったなあ…これじゃ逃げられやんぞ、と勧誘座席を思い浮かべた。今の私はまさしく壁際に追いやられるカモだったからである。
「改めまして、峰羅瑠ヒジキです」
ヒジキさんは名刺をさっと取り出した。
私は「頂戴します」といって受け取った。
先日舞斗さんからもらったのと同じデザインだった。ただ、連絡先に携帯電話の番号が2つあったのだけが異なっていた。
「タバコ吸ってもいいかな?」
「あ、はい…」
私は反射的に返事をした。と同時に「タバコぉ?」と口にしそうになった。
ヒジキさんは慣れた手つきで内ポケットから白色のタバコを取り出した。そして、ライターの火をつけた。
ぷかぷかと煙が出た。さすがに煙は顔を背けてはいてくれていたが、小さな謙虚心も密閉空間ではそれは無意味に近かった。
舞斗さんには、少々煙たかろうがあまり関係なかったらしい。今まで何十回、何百回と話し合いの場に居合わせた経験がある彼にとって、タバコの煙なぞ何の嫌悪感も抱かせることはなくなってしまったのだろうか。
「幸多ちゃんは製品にすごく興味があるみたいで、それで、ヒジキさんの話も聞きたいって」
舞斗さんはいつもどおりにこやかだった。
「へえ〜、どれに興味あるの?」
ヒジキさんも舞斗さんと同じような笑みを浮かべていた。私は早くも二人に圧迫されていたが、平静を保って
「ええと…スグヨクナール、かなあ」
と無理に口角を上げた。
「あれはいいよね。僕も毎食飲んでるよ」
ヒジキさんはタバコをぷかぷかさせながら答えた。
健康食品を取り扱っているのに、タバコ…しかも飲食店でタバコってマナー違反やろ、というツッコミはさておき、健康に悪そうなことをしている行動を取る人がサプリを進めているなんて信憑性がますますなくなっていた。
「どこに住んでるの?」
「キュウトに引っ越してくるつもりです。ヒジキさんは?」
「自然に囲まれたところだね」
ヒジキさんはタバコの火を灰皿でぐりぐりした。私は、世間話してても埒があかんなと思い、不自然でない質問をした。
「そこはネバギブアップが採れたりするんですか?」
「それにこだわるねえ」
すかさず発言したのは舞斗さんだった。
確かに、前回もスグヨクナールのその面に関して話していた気がする。それにこの雰囲気、普通の勧誘とは何か違っていた。ヒジキさんの態度がチイにしてはあまりにも鈍すぎる。しかし、あまり顔には出していなかったので、感情までは読み取れなかった。

「他に質問ない?」
舞斗さんは話題を変えようとしていた。しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。
私は、考えるフリをしてヒジキさんの言動に注目していた。すると
「舞斗、もういい」
と冷たい口調になった。そして、私を見た。
「君の察しの通り、俺はオクラ星人だ」
「え…!?」
こんな展開は予想していなかった。
しかも、「察しの通り」って初めからバレてたんか…私は動揺していないよう振舞った。
「カッピィを知っているな?」
む…、あの咄嗟の芝居もこの人には見透かされていたらしい。
「知ってますけど…あなたはなんで地球に?」
「真面目に働くのがアホらしくなったからだ。で、カッピィはどこなんだ?」
ヒジキさんの口調も表情もだんだん厳しくなっていた。
セミナーのときの笑顔からは考えられない変貌振りだった。
今、ここでカッピイの居場所を言うことはできなかった。私が黙り濃こくっていると舞斗さんが隣から
「本当のこと言っていいんやで」
とこそっと耳打ちした。
それは、本当のこと言え!の比喩だとわかった。
「カッピィのしたことは悪いことですけど、星の人たちの生活に関わっていることじゃないんですか?草がなければ食べる動物もいなくなる…」
「それは地球人の見方でしかない。日常を怠惰に過ごしている連中に価値は無い」
「!!」
私は殴ってやろうかと思った。
皆が幸せになれるシステムと謳っているのにも関わらず、故郷の被害は無視かよ。私はフツフツと怒りがわいてきた。
その時、がしっと舞斗さんに右腕を掴まれた。
「ヒジキさんをあんまり怒らせないで…」
その顔は笑っていたが、手には力がこもっていた。私が躊躇していると彼はぎゅっと更に強くにぎった。
これじゃあ、助けも呼べへん…ていうか、ここほぼ全員チイやん。うちって飛んで火にいる夏の虫…
絶体絶命のときだった。
ヒューン!
「カッピィアタッ〜ク!」
聞き覚えのある声がした。
ボコッ!
「ぎゃっ!」
山吹色のボールが舞斗さんの顔面を直撃した。その反動で私の腕を掴んでいた手が離れた。
振り返ると、ユッケが鬼の形相で立っていた。
「俺の女に触んじゃねえ!!」
かっこええ〜!!と惚れ直している場合ではなかった。
もしかしたら、さっきのボールはカッピィか!
私ははっとしキョロキョロしてカッピィを探した。カッピィは隣のテーブル席の机に見事に着地していた。
「お〜い!」と短い手を振っていた。
「カッピィ!戻ってきな!」
「はあ〜い!」
ユッケの命令にカッピィは素直に従って、飛んで戻ってきた。彼の足元にやってきたカッピィはぴょんとユッケの肩に乗った。すっかりいいコンビになっていた。
「幸多!帰るぞ!」
「あ、はい!」
ぽかんと見とれていた私は、さっと席を立ち上がった。
「それじゃあ、失礼します!」
ペコリと頭を下げると、猛ダッシュでユッケの所まで行った。
ビルを出た後も、しばらく走っていた。


なんとか難を逃れた私達は、ユッケの部屋で3人輪になって座っていた。
カッピィはいつになくしょぼんとしていた。
「ごめん、あんなことになって」
「いやいやいや!うちが直接的に聞いてしもたんもあかんだし」
「でも、やっぱりぼくがここに来たから…」
「あ、カッピィ!?」
バタン!
カッピィが部屋を飛び出してしまった。
私が連れ戻そうと立ち上がると、ユッケが腕をがしっとつかんで引き寄せた。
「俺も行く」
行くな!と引き止めると思ったので予想外だった。私もユッケも今はカッピィの無事を願う思いに変わりなかったらしい。
ユッケはゆっくり立ち上がるとおもむろに窓に向かい、そっと下を見つめた。
「来てみ」
彼の手招きで私も傍に行くと、道路の脇に黒スーツの男が5、6人集まっていた。
「あれ、チイじゃないん?しかも数増えてるし」
「これじゃあカッピィを探しに行けんな…てか、カッピィは捕まってないんか?」
「う〜ん…どうなんやろ」
私の不確かな返事にユッケはふうとため息をついた。
「俺がおとりになるから、その間幸多はビルへ行ってカッピィ探してきて。適当なところまで追い払ったら俺も行くわ」
「うん、わかった!」
「本当に大丈夫か?」
私は拍子抜けした。
自分から作戦を立てておいて、何を弱気になっているのだろうか。私はユッケをぎゅっと抱きしめて
「大丈夫!信じて!」
と笑った。
「…よし、じゃあ行こか」
ユッケと私は部屋を出て、階段で玄関まで下りていった。
自動ドアの向こうに黒服団の男達が見えた。私は壁に隠れて、ユッケが出て行くのを眺めていた。
ユッケはドアが開いた途端にダッシュした。不審に思った黒服団はユッケの後を追っかけ始めた。
一人も漏れず着いていったことを確かめると、私はささっと外に出てビルへ向かった。
本当なら今頃、部屋で夕飯を作って楽しく食べているのに…くそう、チイめ。私は舌打ちしながら走っていた。傍から見たら、かなり陰険な表情になっていたかもしれない。

ビルの前に着くと、一旦立ち止まった。呼吸を整えてから改めてビルを見上げた。
きらびやかなイルミネーションが胡散臭かった。
私はカッピィの居場所を知っていそうな人がロビーにいないか探していた。
すると、後ろからポンと肩を叩かれた。はっと振り返ると、そこにはプリプリさんがいた。
「どうしたの?」
「あ、ええと…」
私は彼女に尋ねるか尋ねまいか迷った。そして、何気なく傍のガラスを見るとおかしなことに気づいた。あれだけあったカッピィ指名手配チラシがきれいさっぱりなくなっていたのだった。
「あれ?このへんこないだまで貼紙でいっぱいでしたよね?」
「ああ、そうなのよ!今日ようやく捕まったって聞いたよ」
「え?」
「何でも自分からここへやってきたみたい。あ〜あ、あたしが見つけたら謝礼もらえたのになあ…なんちゃって」
プリプリさんは、てへっと舌を出して笑った。
やっぱり金なんかよ…と冗談でもチイが言うとどうしても冗談に聞こえなかった。
「捕まったのは今はどこに?」
「さあ?保健所に引き取られるとか」
「保健所?えっと、ヒジキさんはここにいますか?」
「うん。3階の会議室にいるよ」
「ありがとうございます」
私はその場を後にした。
動物じゃあるまいし、保健所はおかしくないか?
ああ、チイにとってカッピィは、組織や製品を破壊しようとした悪にしか映ってないから人間扱いじゃないのか。納得したのに妙に悲しかった。
それにしても、カッピィはこのビル内にいるのだろうか…それが疑問だった。
エレベーターで3階に上がるとあたりを見回した。
ドンドンドン!
む?どこからか硬いものを叩く音が聞こえてきた。
ドンドンドン!
「誰かここから出して!」
「カッピィ?」
私はあたりを見回した。確かにカッピィの声だった。しかし、発信地がわからなかった。
あたふたしていると、前方からコツコツと足音が聞こえてきた。
まずい!
私はどこかに隠れなければと思い、まん前にあった小部屋の扉を開いた。そして壁にぴったりはりついて人が通り過ぎるのを待った。
けれども、足音はちょうど私のいる部屋あたりで止まった。私は身の危険を感じ、さっと窓側まで移動しカーテンに隠れた。案の定、扉が開いた。私はカーテンからそっと顔を出した。
その人物は舞斗さんだった。彼は廊下側に並んでいるロッカーの真ん中にやってくるとぴたりと足を止めた。
「ごめんね。もうしばらくここでじっとしててね」
ロッカーに向かって話しかけていた。物悲しそうな口調だった。
舞斗さんはすぐに部屋から出て行った。私はそれを確認するとカーテンから出て、ロッカーまで走りよった。
「カッピィ?」
「幸多さん?」
カッピィは驚きの声を上げた。
「部屋を出たら外で待ち伏せてたチイに捕まってしまってここに閉じ込められたんだ」
私はロッカーの引き手をガタガタした。カギは舞斗さんが持っているので開くはずが無かった。
「どうしよう…」
私は焦った。カッピィを引き取りに来るまでそう時間は長くなかった。
こんなときにユッケがいれば、扉をぶち開けてくれるのに…だんだん一人が心細くなってきた。
カッピィもいくら超強力吸引ができるといっても…うん?吸引?そや!
私はあることを思いついた。
「カッピィ、取っ手のとこだけ吸い込めやん?」
「やってみるけど、まるごと取っちゃうの?」
「うん!」
カッピィは吸い込み始めた。
ガタガタ…とロッカーが震えだした。
ブコォーッ!ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…!!
ロッカーだけ大地震に見舞われているようだった。私は二、三歩下がって成り行きを見つめていた。
ヒューン!ポコッ!!
あっというまに取っ手部分がとれた。
すると、扉が開いてカッピィが出てきた。ペッと取っ手部分を吐き出した。今回は破損なし全くの無傷だった。
「やったぁっ!」
私はカッピィとハグして喜びを分かち合った。
それもつかの間、近寄る足音が聞こえてきた。
「カッピィ、危なかったら吸い込んで!」
咄嗟に口をついて出たことをカッピィは頷いた。

ガチャ…
中に入ってきたのは、見知らぬ顔の男の子だった。歳は20前後か。いかにも新調したてのスーツを着ていた。彼は、私とカッピィを見るなり
「あれ?あなたたちは?…あ、それ!」
とカッピィを指差して震えた。
カッピィは男の子に近寄ると無言で口を開けた。
シュコーォッ!!パク。
「えっ…?」
私は絶句した。
カッピィは男の子を吸い込んでしまった。が、まだ頬張ったままだった。彼は私に振り返った。
「飲みこんだらあかんよ!」
すると、ペッと吐き出した。
男の子は失神していた。
カッピィの大胆な行動によって、危機を逃れたものの、恐怖感は拭いきれなかった。
そんな私の気も知らず、カッピィは小躍りしていた。
「ヒジキのとこに行こう!」
「あ、待って!そのままやと脱走したんがばれる。人間になったほうが…」
「持ってるよ」
カッピィは男前ワックスを手にしていた。
「なんて用意のいい…こういうこと予想してたん?」
「ううん。これ塗り心地かいいから」
「あ、そう…」
私はカッピィの秘めた潜在能力を発見したかと感じたが、どうやらそれは違ったらしい。
でも、人間になってもここじゃ服がないなあ…と私が考えている最中に、ピカーッ!と光った。カッピィはもう人型になっていた。2度目ともなると全裸でも発狂しなかった。私はふと倒れている男の子をみやった。
服…
私の視界の斜め後ろではカッピィが小躍りしていた。これが小学生低学年くらいならかわいいなあ〜で済まされるが、大人になって下半身のブツを揺らしていたら犯罪ものである。
私は意を決して、窓のカーテンを取り外しに行った。
「こういうのはしたくないけど…その人の服貸してもらお!」
「この変な服着るの?」
「ああ、うん。それはこの国とかではビジネスの正装みたいなもんなん」
「へえ〜」
カッピィにしてみれば、カッコイイスーツでも変な服にしか見えやんのやな。
カッピィが服を着ている間、私はカーテンで男の子の身体を視界から遮っていた。
「着れたよ」
スーツはぴったりだった。スーツ姿のカッピィは凛々しく、ファッション雑誌のモデルにもなれそうだった。
私は布団をかぶせるようにカーテンを男の子の上にかけた。そして、メモとペンを探した。
セミナーや講演を行う部屋なのだから、必ずどこかにペンとメモくらいはあるはず!と設備は読めていたからである。
壇上の机の中にあったので、「緊急事態により服を拝借させてもらいました。必ず返します。ご迷惑おかけしますがよろしくお願いします」とつづった。
どこの変態やねん!と男の子は目が覚めたらまた失神してしまうかもしれない。それまでになんとか方をつけやんと…
私は男の子の頭元にメモを置いた。
「さ、行こう!」
私達は足早に部屋を出た。

3階で賑わっている部屋はあと一つしかなかった。
こないだセミナーが行われた会議室だった。その時はドアは閉められていたが、今日は誰か来るのがわかっているかのように開けられていた。
私はゴクリと唾を飲み込んだ。隣にいたカッピィはというと涼しい顔をしていた。
「入ろう」
カッピィは積極的だった。というか、カバンから飛び出した事件をとっても、多分場の雰囲気とか読めない本質なのだろう。空気読めずに場を乱すヤツは困り者だが、カッピィのは他の一つの方法としてあるいは決断を躊躇わないで済む力があった。
カッピィに続いて部屋に入った私は、部屋の中を見渡した。誰もいなかった。
「誰もおらん…」
とカッピィに言いかけたとき、
「やっぱり来たか」
と後ろから声がかかった。
私とカッピィは同時に後ろに振り返った。
そこにはヒジキさんとその後ろには舞斗さんが控えていた。ヒジキさんは笑みをたたえていたがとても冷ややかだった。舞斗さんは何か戸惑っているような表情にもとれた。
「俺にはよくわからないのだが。皆喜んでいるのに、どうして他の星のことまで気にする?」
「誰かが喜べば悲しむ人もいるのが現実。そうやって世の中って成り立ってると思います。皆が楽しい嬉しいハッピー!なんて神様じゃない限り、いや神様でもそんなことできやん。私は、カッピィが真剣になってぶつかってたから助けたいと思った。それで、真実はどうなのかってことを確かめたかっただけです」
私はカッピィを見やった。
「ふ〜ん。で、カッピィはどうしたんだ?」
どうやらヒジキさんは私の隣にいる人がカッピィと気づいていなかったようだった。
「ぼくです」
カッピィは自ら正体を明かした。すると、ヒジキさんはふっと笑った。舞斗さんは驚いていた。
「香部木くん、カッピィやったん!?人に変身出来たんや…」
「あることがきっかけで人の姿になれたんだ。ヒジキはなぜ?あなたからは確かにオクラ星人のにおいがする。それなのに、なぜ人の形をしているの?」
「人間とオクラ星人の間に生まれたからだ」
「!!」
ヒジキさんを除く3人とも驚愕していた。
「君は真実を知りたいと言ったな。真実には見えるものと見えないもの…見えないものには見なくてよい部分もある」
パチンと指を鳴らした。
部屋に隠れていた黒服団が姿を現した。彼らはゆっくり私とカッピィに近づいてきた。
すっかり囲まれるとヒジキさんは口を開いた。
「今すぐに引き下がるというなら無傷で返そう。拒むのなら…」
じりじりと黒服団が近寄ってきた。
私とカッピィは身を寄せ合った。
「もういいじゃないですか!故郷に返してあげてください!」
そう叫んだのは舞斗さんだった。
その台詞にヒジキさんは血相を変えた。
「そんなことできるか!こいつは必ず復讐する!」
「そんなのしてどうなるの?誰かを憎んでも喜びは生まれないよ。ぼくはただ、ネバギブアップを勝手に持ち出したのが許せなかっただけ。それを製品に使って、産地を偽ってまでなんて…」
カッピィは心のうちを開けた。
「チイの人が知ったらおかしく思うはず。喜びを分かち合うはずがそれじゃあ素直に喜べないよ」
「分かち合う?」
ヒジキさんは突然、声を殺して笑い出した。
「俺は、一緒に成功しようという謳い文句で金を稼ぎたかっただけだ。愚かな人間たちに夢を見させて突き落としてやりたかっただけなんだよ」
「そんな…!!どうして!?」
舞斗さんはヒジキさんを食い入るように見つめていた。
「俺の生まれた星は貧しくて自給自足の毎日だった。そんな中ある日突然人間がやってきた。お前も覚えているだろう?」
「うん…」
「何があったん?」
私はカッピィに尋ねた。

「6年くらい前に、一度人がオクラ星に探索に来たんだ。そこで人は星に生えている植物を持ち帰った。その後、ネバギブアップが大量に地球へ持ち込まれることになった」
「なんで?どうやって?」
今度はヒジキさんが答えてくれた。
「草の成分に目を付けたのさ。ネバギブアップには人間に必要なビタミン、ミネラルが適度なバランスで含まれていたからだ。それを使って、健康食品を作ろうとした会社が多かったんだろう。しかし、地球外の物質の安全性を確かめる手段がなかったため製品取り入れには踏み切れなかった。
そこで、俺のオヤジはネバギブアップを育て、人間達に提供し始めた。安全性と有用性が証明されればネバギブアップの需要が高まり、この星の生活も豊かになる…と。オヤジのその口コミで瞬く間にネバギブアップを育てる家が増えた。地球へは転送装置を使って送り、その報酬を得ていた。ところが日々人間からの注文はエスカレートしていった。
もっと即効性のある成分にできないのか?もっと安くできないのか?挙句の果てには、そこらに生えているのと同じだから金銭的価値は不要…と言われ、報酬もなくなってしまった。その後は、周囲から軽蔑の目で見られた。あんなに仲がよかった隣の夫婦でさえ、オヤジや俺たち家族を避けるようになった。親父は部屋にこもったまま出てこなかった。一週間後、そのまま死んでいた。母もその後を追うように逝ってしまった。
死に際に「人間を恨まないで」と遺してな」
そこまで話し終えてヒジキさんは遠くをみやった。
「そこで俺は悟った。金は人を変えてしまうのだと。親父は星の人も人間も双方が幸せになることを願っていた。でも、人間の勝手な要求で全てが崩れた。人間はもともとネバギブアップをどれだけ安く入手できるかしか考えていなかったとわかったとき虚しさを感じた。
俺は転送装置だけを持ち地球に移住した。街を歩いていたときたまたまマルチの勧誘をされた。セミナーに行ってみると、若者が夢を熱く語って「価値ある情報」をどう伝えるか必死だった。それを見て、ネバギブアップは使えると思った。そこで開発者のごく少数に生産地を話し開発を進めさせた」
「それでできたのがスグヨクナール121…」
舞斗さんは呟いた。
「そうだ。その効果は絶大だった。人間に必要な栄養素が入っていることから、販売員も勧めやすくなった。健康の不安を煽られて、そこに良いものがあると手が伸びてしまうのが人間のようだからな。まあ、そうでもしないと売れないわけだが」
「なんてことを…」
私は言葉を失った。これは因果というしかない。
「でも、それはグループや周囲の人のことを思っての行動ですよね?人間を恨んではいないんですよね?」
舞斗さんがすがるように尋ねた。
「恨んではいないな」
その返答に舞斗さんはほっとしたようだった。ヒジキさんはにいいと笑った。
「ただ、人間なんてどうも思っていない。グループとか仲間とか。金で繋がった仲間なんて脆すぎる。それでも夢を追いたいがために会員になるヤツは喜んで迎え入れるさ。一生懸命働いてくれた分はきちんと吸い上げてやるんだから」
「そんな…ずっと信じてたのに…尊敬してたのに…」
舞斗さんは呆然としていた。あの生き生きしていた瞳はどこに行ったのか、今はまるで何かに取りつかれたかのように気力を失っていた。
かく言う私も、真実を知りしばらくどう対応すればよいのかわからなかった。
ヒジキさんの考えは一部では合っていたのだったが、人間への不信感や軽蔑感が根底にあった。
私はヒジキさんの身上よりも舞斗さんのことが気にかかった。彼にとったら、騙されていたともいえるべきヒジキさんの思惑や行動…この後彼はどうするのだろうか。
「何かの間違いや」
舞斗さんはどうしても納得できなかったようだった。私には、美化された目標を壊されたくなくて無理やり正当化しようとしているふうに見えた。
「舞斗さんの夢ってチイの中でしか実現できないことなんですか?」
「オレを必要としている人たちがいるんや。グループの子達も…信頼されてるから」
私はぞぞぞっとした。抜け出せない状態まで陥る。人間関係とともに恐ろしいマルチの落とし穴だった。赤の他人に近い私が何を言っても受け入れられないと悟った。

「さて、お喋りはこのへんで終わりだ」
ヒジキは再び険しい顔つきになった。
「事実を知ってもらったからにはタダで返すわけにはいかない。カッピィが会員になるなら話は別だが」
「それはあなたの片棒をつげってこと?」
「言い方によれば…持ち出した理由もわかっただろう?お前にとってもメリットばかりじゃないか?」
「ぼくはそんなことに魅力を感じません!それに、あなたはチイの人を騙している!」
カッピィは仲間入りを断固拒否した。
私も同感だった。言葉巧みに騙されるのも悪いけれど、嘘をついていることは明らかに不道徳行為である。
ヒジキさんは返答の予想がついていたのか、とりわけ驚くことはなかった。
「そうか、じゃあ、消すしかないな」
「消す!?」
「安心しろ。記憶だけ消す特殊な霧だ。今日のことはきれいさっぱり忘れているから」
黒服団が手にしていたのは、殺虫剤のようなスプレー缶だった。
そんな!せっかく得た情報が!!
「カッピィ!元に戻れやんの!?」
私はカッピィに助けを求めた。
「無理…ごめん」
「む〜う!」
私は今になって追い詰められる家庭内害虫の気持ちがわかった。男達が噴射しようとしたその時、
「待てっ!!」
と部屋の入り口から声がした。
全員が声のほうに振り返った。そこにはユッケが目を血走らせて立っていた。
彼はその場にあったイスを持ち上げるとひゅっと黒服団めがけて投げつけた。
ドコン!
男の一人は身をかわしたが、円が乱れて隙間ができた。私はカッピィの手をとってそこからユッケの元へと走った。
「全く、俺はお助けマンじゃねえんやぞ」
「ごめん…ありがとう!」
ほっとしたのもつかの間、刺すような視線に私はすぐに部屋内を見た。
「事実を知ったところで君達には何もできない。今日のところは見逃すが、今度妨害行為をしたら命はないぞ」
ヒジキさんの瞳にはもう見せかけの笑顔さえ残っていなかった。
私達3人は部屋を飛び出して階段へ向かった。下りている途中に
「待って!」と舞斗さんの呼び止める声がした。
私はぴたりと足を止めた。
「来週の土曜日講演会があるんや。3人とも是非来て欲しい」
いつものように希望に満ち溢れた口調ではなく、私達に何か訴えるような眼差しだった。
「考えておきます」
ユッケはそう言い放つと私の手をとって先を急いだ。


無事に帰宅できたものの、やるせない感が残っていた。
「講演会行くのか?」
ユッケが静かに尋ねた。
「ううん…どんなんか興味あるけど、ちょっと恐いし」
私はユッケがそれに同意してくれるものだと思いこんでいた。
「そうなんさ、俺も。でも、セミナーの「うおぉぉっ!」っていう雰囲気はめっちゃ見てみたい。そういうバカ騒ぎ見るん好きやから。こっそり入れやんかなあ…」
「ユッケ、楽しんでない?」
「ままままさか…!!」
ユッケはどもった。好奇心旺盛なのは私にもよくわかった。ヒジキさんの口から真実を聞かされた後なら尚更だ。
「舞斗さんに詳しい時間と場所聞いてみる?」
「せやな。お願い」
ユッケの承諾も得て、私は早速舞斗さんにメールをした。
返事は5分もしないうちにやってきた。
「15時開場、15時半開演やで。場所は地下鉄ホンジョウ駅からすぐのニポンキュウトっていうところ。開場着いたら待ってて…てさ」
「勝手に見つけて勝手に入るのにな」
「指定席あるんちゃう?」
「僕はこのままで行くの?」
カッピィが人型のままで尋ねた。
「うん、そのほうが…て、あ、服返してないな」
「返してない?」
「カッピィが向こうで変わったから服着てなくて、たまたまそこに来た男の子の服を借りたん。用事が済んだら返すってメモ置いてきたけど」
「じゃあ、そいつは今全裸なんか?」
「それに近いなあ。カーテン被せてきたよ」
「なんつーひどいことを」
「だって!カッピィを裸で歩かせるわけには行かんやんか」
私はむっとなった。
「ああ、じゃあ今すぐ返してくるよ」
カッピィは急かされるようにスーツを脱いでTシャツとジーンズに着替えると、風のように部屋から飛び出した。
「…あんなに慌てやんでもええのにな」
ユッケの言葉に私は無言で頷いた。


土曜日。講演会当日。
会場に着くと入り口付近には、黒スーツの男の人たちと大人っぽい女の人たちが群がっていた。見るからに異質オーラを放っていたので、すぐにチイと断定できた。
カッピィは辺りをキョロキョロと見回していた。すっかり着なれた服も黒服団と変わらぬように見えたが、表情がごく一般的だった。
「もう3時過ぎたよな」
ユッケは腕時計を見やった。
開演が3時半だというのに、外でこんなに群がっているのは何か意味があるのだろうか。
私達は、三人だけはみ出ている気分だった。電話しようとケイタイを取り出したとき、「お待たせ!」と駆け寄ってくる足音を聞いた。
一斉に振り返ると、笑顔の舞斗さんが手を振ってやって来た。
「ごめんね、遅れて」
「いえいえいえ」
私とユッケは同時に首を横に振った。
「いっぱいいますね」
「そう!始まったらもっと驚くよ!」
舞斗さんのハイテンションぶりに私達はついていけなかった。適当にニコニコしていた。
「中入ろうか」
彼は私達をホール内に誘導してくれた。
どうやらホールは地下にあるようだった。階段はエントランスを出たとこにあり、そこにも黒割合の高い若い男女が歓談していた。
分厚い扉を開けるとそこはごく普通のホールと思いきや、舞台上のセットは尋常ではなかった。
演劇にでも使われそうな柱が四本各隅に立てられていて、カーテンのような飾りがヒラヒラとゆれ青白い光が照らされていた。場内にはクラッシックがゆったり流れていた。
「ここがグループの席やから」
舞斗さんに案内された席は中央よりやや後ろだった。隣には、2つ上くらいの女の子がいた。
「俺の友達の紹介で来たコなん。幸多ちゃんと、真久呂くんと、香部木くん。仲良くしてあげて」
「上村慶子と言います」
彼女も名刺を渡してくれた。
「ありがとうございます…私は芋瀬幸多です」
ユッケとカッピィは会釈した。
ユッケを真ん中に座ると、慶子さんが話しかけてくれた。
「おいくつなんですか?」
「22です」
「じゃあ私より2つ年下なんですね。誰に紹介してもらったんですか?」
「説明を聞いたのは舞斗さんからです」
「そうなんだ。私は峰羅瑠さんから。いつ登録したんですか?」
「いや、まだ登録はしてないんです。もう長いんですか?」
「今月で半年になるかなあ。まだまだだけどね。もっと頑張らないと!」
彼女の目は輝いていた。
セミナー講師や舞斗さん達に比べると異常性は低かったが、いずれ「ああ、違う」と即断できるようになってしまうのだなあと思うと恐ろしかった。
続々と会員と紹介された人が入場してきていた。

場内はグループ単位で席が定まっているらしい。会話をしているのもその中が多かった。あるところは、40代くらいの人も何人かいたり、またあるところには金髪マツゲバシバシのお姉さんの集団がいたり、グループによって、カラーが結構違うことも見て取れた。
開演のブザーが鳴った。しかし、まだバタバタと駆け込んでくる人が多かった。チイの人たちは時間にルーズなのかもしれない。
場内の照明が消えるといきなり、ドーン!というでっかい音が響き渡った。
うわ、うるさっ!としょっぱなから嫌悪感を抱いた私だった。
「2009年年第二回チイ講演会へようこそ!!」
派手な音楽とともに司会席がライトアップされた。その瞬間盛大な拍手が沸き起こった。
黒スーツを着こなした男性とピンクのドレスを纏った女性がライトアップされた。
私達もつられてパチパチ手を叩いた。あまり鳴っていなかったけれども。
「皆さんこんにちは!今年2回目の講演会はまず初めにタイトル昇進の方々のご紹介を致します。初めての方もいらっしゃいますので、わかりやすく説明していきます、本日はどうぞよろしくお願い致します!」
ワーワー!と、もうクライマックスか!と突っ込みたくなるくらいの盛り上がりようだった。
「では昨年11月から4月の間にタイトル昇進された方々の表彰です。はじめに、クリスタルを獲得された方々のご紹介です。クリスタルを獲得された方はその場に御起立願います!」
ドドン!と効果音が鳴ると、色とりどりの照明が観客席に当てられた。
クリスタルを獲得された人が立ち始めた。
「それでは、何人かにお話を伺いたいと思います」
女の司会者の人が元気よく言うと、観客席にスタンバイしていたスタッフがマイクを持って、中央の席へ走った。
「どうも、私は萌田ゴールドのフロントでオオサクで主に活動しています、壱岐いき代と申します。チイとして活動し始めたのは半年前で、ここまでこれたのはグループの皆さんやスゴクイーヨーという会社のおかげだと思っています。これからも夢に向かって仲間と一緒に頑張って行きます!ありがとうございました!」
起立している人で視界を遮られて、どんな人は見えなかったが、声からすると30代くらいの女性だった。
スタッフは一段下りると、観客から見て左側の列の左端へ走った。マイクを差し出されたのは、私と同い年くらいの男の子だった
「僕は火根(かね)ゴールドのフロントで活動している必酢到達(ひっすとうたつ)と言います。僕もまだまだビジネス活動始めたばかりなんですが、本当に周りの方たちは良い人ばかりでそんな環境で今後も成長していきたいと思ってます!どうもありがとうございます!」
彼は最後に三度ぺこぺことお辞儀をしていた。

クリスタル表彰はこれで終わり、次はダイヤモンド、パール、シルバー…と同じことがあと3回続いた。それが終了すると、今度はゴールド表彰に移った。最高のタイトルを持つ「すごい人」のためか、ステージ上でスピーチをしてもらえるようだった。
司会者の男の人は、この位置からでもわかるくらい意気込んでいた。
「では、はじめに如月ももこさんの登場です。如月さんは大学中退後さまざまな職業を経験する中で、このビジネスと出会いました。今では大きな組織を築き上げています。それでは如月ももこゴールド、ステージへどうぞ!!」
ドドドーン!音楽と照明が変わった。
壇上から白いドレスに身を包んだ女性が下りて来ると拍手が沸き起こった。
そして前列にいた数人が、彼女の名前入りの赤い旗と花束を渡していた。おそらく、グループの一員だろう。
「ももこファンの皆さんありがとうございます」
すると笑いが起きた。如月さんは貢物を抱えると丁寧に舞台の上に置いた。
そしてマイクの向きを調節すると話し始めた。
「普通の企業では雇用される側ですが、このビジネスは自分で組織が作れる仕事なんです。健康を追究する真面目な姿勢、広告費や人件費をかけていないとか製品も良い物ですが、会社自体が良いから私は大好きなんです。皆さんは「やりたいこと」ありますよね?そういう、ふと「〜したい」と思ったことを実現できる仕事です。本当にやりたいことができるのは人生中でほんのわずかです。でも、お金と時間を理由に「仕方なく」諦めていることが多いですよね。私もそうでした。やっぱり余裕がないとやりたいことはできません。
そのためには何か行動を起こさないといけないんです。毎日なんとなく過ごしているのは勿体ない!人間は、これが欲しい!人脈広げたい!人見知りな自分を直したい!とかなんでもよいから夢を持っていないと死人と同じなんです。躊躇せずに積極的に試してみましょう!
やらないで将来後悔するよりも、やって後悔したほうがいいじゃないですか」
視線を観客席に移すと皆ウンウンと頷いていた。まるでロボットのように。
私はだんだん眠たくなってきていた。「すごい人」の話し方とか雰囲気とか全部似たり寄ったりに見えたからだ。それは、このビジネスが上の人のをコピー、その人がその上の人のをコピー…と個性的なようでマニュアル化されて真似しているにすぎないからだろう。

如月さんの話が終わると、パチパチパチ!と盛大な拍手が送られた。
「如月ももこさんありがとうございました!続いては、火根(かね)カセグさんの登場です。火根さんはスゴクイーヨー会社設立当初から活躍され、今ではどのグループでも憧れとなっている方です。それでは火根カセグさん、ステージへどうぞ!」
ドドドーン!また、音楽と照明が変わった。今度はノリノリの音楽だった。
火根さんがステージに降り立つと、
「火根さぁぁぁぁ〜ん!」
「うおぉぉぉぉ〜っ!!」
と観客席から奇声が上がった。
ライブ会場かよ…確か、こういうのをユッケは見たかったんやっけ。
私はチラリと右隣を見ると、案の定ユッケは満足そうに顔を綻ばせていた。
拍手が鳴り止むと、火根さんは笑顔で語り始めた。
「司会の人も言ってましたが、僕はこの会社の中では古株でして、始めた頃はケイタイメモリに5件しか入ってませんでした。それでも、今では多くの仲間ができたので、誰にでも始めやすいビジネスだと思います。ビジネスっていうと、営業っぽいことせなあかんから無理やわ!って思う方もいらっしゃるでしょうが、売り込みが目的じゃあないんですね。良い製品をより多くの人に使ってもらおうっていうのが僕らの役目なんです。
で、その肝心の製品なんですが、昨年5月に発売されたばかりの「スグヨクナール121」というのがあるんです。お帰り際にでも試飲していただければと思うんですが…その製品に入ってるネバギブアップっていう薬草がとても優れた働きをしてくれるんです。他にも人間に不足しがちな栄養素がたくさん詰まってます。健康食品ってちょっと…と敬遠しなくてよいんです。人の一番の願いはいつまでも健康で過ごせることですよね?不景気で先の見えない時代だからこそ、将来を見据えた選択が必要になってくると思うんです。
今の貯蓄が将来に繋がるのは皆さんご存知だとお察ししますが、そこで権利収入で安定をはかるという方法は賢い選択の一つなんじゃないでしょうか?そうすることで人生に余裕も出てきます」
火根さんの話も信者達は熱心に耳を傾けていた。
「あとこれは余談なんですが、今まで乗っていたベンツが壊れてしまって、今度2台目を買いました。これで25回変えてますね」
「おーっ!!」と「あはは!!」という歓声と笑い声が上がった。
そんなにすごいことなのか?私にはただの自慢にしか聞こえなかった。
「これからは予防医学の時代。人生について立ち止まって考えるときです。自分の夢リストに、したいことを遠慮することなく書き出してみてください。そしてそれを実現できる努力をしているのか?できていない場合、どうすれば実現できるのか?ということを考えてみてください。自分には無理だと思うんじゃなくて、成功者を自分の延長線上に見るようにすれば必ず実現できます。では、この二時間があなたにとって有意義であることを願って終わりにしたいと思います。ご清聴どうもありがとうございました」
ワー!パチパチパチ!!
バイト語がどうのこうの大人は言うけれど、マルチの大袈裟な拍手や盛り上げも不自然なものである。

講演会が終了したあとも会員達の熱は冷めていなかった。
私達三人はぽかんとしていた。
確かに、自分でも成功できそうな感じになる雰囲気だった。けれどもどこか胡散臭いのは否めなかった。
「ヒジキの言うように、人ってバカな生き物なのかもなあ。なんでも正当化できるなんてすごいや」
カッピィは皮肉った。
この2時間を要約すると、自分には夢があるが、金と時間の制約で実現しそうにない。そこでこのビジネスは最適だ。会社も製品も良いものだから自分の体感をもとに周りの人に口コミすれば紹介料が入り年金的な収入を得られる。そうすれば、夢も叶えられる。とりあえず挑戦してみること、それでダメでも諦めてはいけない、諦めたら夢を実現できなくなる。あなたの周りには信頼できる多くの仲間がいる。彼らと一緒に夢実現に向かって走ろう!
最もな意見かもしれない。だが、まず体感が出なければこれはビジネス以前の問題である。疑問や不安だらけのものを他人に売りつけるわけにはいかない。
更に、勧めて買ってもらったとしても、その人がまた誰かに紹介して製品を買ってもらえなければ継続的な収入は得られない。そのためにセミナーや勧誘をアップの人にしてもらうのだろうが。
前向き過ぎ感がある。前向きすぎて気持ち悪い。たまには後ろ向きになっても立ち止まってもいいと思う。
自分のしていることが周りに迷惑じゃないか、自分の本望なのか、よくよく考えて行動をとってみるのが普通だと思う。それを一概に、サプリを2人に紹介したらあとは何もしなくてよい!という誇大表現をし、ダウンには人狩りをさせ、アップが洗脳する…こんなのは知恵不足というか、人間としてもったいない。もっと頭使えよ!
私はなんだかイライラしてきた。
しかし、何百人といる会員に対し3人では太刀打ちできなかった。
相手は戦う意思はない。それは本人達が正しいと思い込んでいるから。彼らはこちらが喚いているのを鼻で笑い、勝ち誇ったように活動を続けるだけである。それがあたかも自らの意思だと信じ、成功を信じ…
私はユッケの手をぎゅっと握った。
「どうやった?」
舞斗さんが笑顔で私達に尋ねた。
「すごかったとしか言いようがないです…」
ユッケもそれに頷いた。
ただカッピィだけが眉をしかめていた。そしてポツリと呟いた。
「夢ってお金で買うものなの?」
一瞬沈黙が漂ったが、舞斗さんが消し去った。
「それは違うよ!実現のためには費用がかかるということ。それに、お金目的じゃない人たちもたくさんいるよ」
「舞斗さんはそう言うけど、舞台の人たちの話はそうは思えなかったよ。みんな同じようなカオで気持ち悪かったよ」
カッピィのホンネは私にも理解できた。私も思い切って疑問点を挙げた。
「健康を売っている会社なのに、タバコぷかぷかしたりしてますよね。上の人たちはセミナーやアポに追われて休む暇がないように見えるし。なんか、いろんなとこで矛盾してる気がします」
舞斗さんは動じるどころか、一層熱が入ったような顔つきになった。
「それは自分の夢と仲間のためやから。困ってる人見ると力になれへんかなって思うん。平日仕事で遅くなっても、グループの子から連絡あったら対応してあげたいし、動員も含めて全部使命やと思ってる」
「いくら夢があってお金があっても人は死んだらそれまでなんですよ。あなたについていきます、って身代わりになってくれる人がいるんですか?明日死んでもいい人生を送ってはないけど、大切な人を守りたいからくだらんことで失いたくない。うちは周りからすごいって思われやんでもいい。誰かの心に「いてくれてよかったなあ」て思われるだけで十分なんです」
私は舞斗さんくらい前向きで仕事に真剣に取り組める人なら、マルチでなくても大企業で活躍できるんじゃないかと思った。
舞斗さんは揺らいでいたのか、何か別のことを考えていたのか区別のつきにくい瞳だった。
「本人が幸せならそれでいいんじゃね?」
ユッケがボソッと言った。
「それより、ネバギブアップはどうするん?」
「あ、そうだった。でも、素手で立ち向かったら何されるかわからないし」
「てゆーか、そういうアップを放っておいていいんですか?」
私は真面目に舞斗さんに尋ねた。
「オレもそれはよくないと思ってるけど、成功してるしお世話になった人や。何かしらの考えがあると思う」
「考えって、こないだのが全部やろに」
ユッケは呆れていた。
好意というのは悪意よりもやっかいなものかもしれなかった。好意を示されれば、自分もその好意に応えねば!と思うのが人間の性質だからである。
この会社の場合、そこまでの過程はすっ飛ばしている感がありすぎて無責任だが。

「決めた!ぼく、この命に代えてもネバギブアップを取り返すよ!」
カッピィはすくっと立ち上がった。
「ええっ!?」
私とユッケはぶったまげた。
カッピィはぎゅっと右手を握り締めた。
「だって、元はと言えばぼく達の星の諍いが原因だった。」
「でも、地球の人も悪いんやで?星の人を上手く利用しとるだけやったんやから」
「それはもう目をつぶるよ。ヒジキがあのままだとこれから勧誘される人たちにとっても不幸せなことになる」
「不幸せ?」
舞斗さんが口を挟んだ。
「活動を続けてる人の中でそんなこと思ってる人はいいへんよ。ネバギブアップがなくなったらサプリが作れなくなってしまう。そうなれば、必要不可欠な人たちにとったら大問題や。場合によっては人殺しになってしまいかねへん。オクラ星の人たちに賃金は払ってるってヒジキさん言うてたで。それでも、取り返したいん?」
効力への過信がサプリを神薬のように仕立て上げていた。
「今疑問に思ったけど、普通ならそんなに効能ある草なら地球で栽培するはず。やのに、今でも取りにいってるってことは、ネバギブアップは地球では育てられんのじゃないか?」ユッケの後に私が続けた。
「星のことを一切話さずそんなので安全っていえるんですか?隠さんってことは信用を得る一番大切なことじゃないんですか?」
「それは…」
舞斗さんは躊躇していた。
「隠そうなんて…思ってなかった」
細い声だった。彼は俯いてしまった。
「ヒジキを止めるの手伝ってください」
カッピィはすっと舞斗さんに手を差し出した。
「え?」
「あなたも心のどこかでヒジキに疑問を抱いたはず。それじゃあ仲間の皆も心配するよ。それを解消しに行こう」
カッピィは優しい眼差しを舞斗さんに向けていた。
「…」
「思いついたらパッと試してみたほうがいい。やらずに後悔するより、やって後悔したほうがいい…さっきの人も言うてましたよね?」
私は「すごい人」の台詞を借りた。チイ的には間違った思考ではないだろう。
それがトドメとなったかは不明だが、舞斗さんは
「案内するよ」
とかすかな笑みを浮かべた。


ヒジキさんは案外近くにいた。
部屋を出て案内されたのが1階だったからである。
無論、ヒジキさん以外にもいつものように会員達がたむろしていた。
彼の前には貧弱そうな男子、その隣には目をキラキラさせた会員と思われる男子…新たな勧誘をしているようだった。営業スマイルで淡々と語っている様子が見て取れた。
私達4人はこっそりそれを眺めていた。すっと舞斗さんが階段を下りてヒジキさんの元へ赴いた。
ヒジキさんは舞斗さんの話に耳を傾けると、チラリと階段を見上げた。
ふっと笑ったかのように見えた。そうして舞斗さんが去ると、イスから立ち上がった。
会員の男子も立ち上がると、カモもつられて立ち上がった。
「ありがとうございました!」ここまでよく響く声で挨拶した信者の男の子につられてカモの男の子も頭を下げた。
ヒジキさんは席を離れると階段下までやってきた。そして指でくいくいとこっちに来い合図を出した。私達は互いに顔を見合わせてから、階段を下りていった。
先を行くヒジキさんはエレベーターに乗った。間に合わなかったので、私達はエレベーターの上がるボタンを押して待っていた。
扉が開くと私達3人の次に舞斗さんが乗った。そして彼は10のボタンを軽く押した。
このビルの最上階だった。私達は無言のまま10階に上がった。

10階には部屋は一つしかなかった。
舞斗さんがノックをしてドアを開けた。私達を先に通してくれた。私は固唾を呑んだ。
部屋が緑色の草で埋め尽くされていたからである。
「これはネバギブアップか?」
ユッケはしゃがんでその形を確認した。
「うん、そうだよ」
カッピィが頷いた。
ネバギブアップは風もないのにユラユラと左右に揺れていた。
「よし、これをまるごと吸い込もう!」
カッピィは一歩下がって口を開けようとした。
「カッピィ、それじゃ吸い込めやんのじゃない?」
私に指摘されたカッピィははっとした。
人間姿のカッピィには吸引力は備わっていなかったからである。
「むう…じゃあ引っこ抜こうか。3人とも手伝って!」
とカッピィが私達に振り返ると固まった。
「どしたん?」
「後ろ…」
カッピィはわなわなと入ってきた扉の方を指差した。
私はクルリと方向転換すると、壁にはズラリと黒服団が並んでいた。
彼らは一歩二歩前に進み出ると半円になるように私達を囲んだ。
「どうしよう…」
私は隣にいたユッケに問いかけた。
「前からそっと出るしかないぞ」
彼の言うとおりにパッと前に振り向き、急いで出ようとしたら、ヒジキが入ってきた。
「言ったよな?今度妨害したら命はないぞ、と」
彼は前からじりじりと近づいてきた。私達は後ずさりしたが後ろからは黒服団が迫ってきていた。
半円にヒジキが入ったところで、彼はピタリと足を止めた。
ユッケが私の前に出た。
「お前は俺が守ってやる」
「ユッケ…」
私はじーんとした。ユッケの背中をひしっと掴んだ。すると、カッピィがユッケの前に出て両手を広げた。
「この人たちは何も悪くない。だから、帰してあげて欲しい」
「何を馬鹿なことを。」
「あなたは悪い人じゃないよ!寂しさや怒りを増幅させちゃダメだ!」
カッピィは懸命に訴えていた。私はユッケの後ろから顔を出していた。
そのとき、ヒジキの頭上に何か見えた。
あれは?
霧のようなモクモクとした黒い煙が彼を取り巻いていた。私はユッケの服をひっぱった。
「どした?」
「ヒジキさんの頭らへん、黒い煙が立ってない?」
「いや…何も見えんぞ?」
「えっ?あんなにくっきり見えるのに」
「そうなんか…俺には全くわからんわ」
ユッケは不思議そうに首をかしげた。
煙をよーく見てみると、人のような形をしていた。
まさか、何かにとり憑かれてるとか!?自分でも非科学的だとおもったが、カッピィやオクラ星人が存在する限り、ある可能性は高いと感じた。
カッピィも黒い影には気づいていないようだった。
私は、もしそれがとり憑いている類だったら、取り除けばヒジキさんは正常に戻るかもしれない、という解決策を講じてみたが、霊媒師でもあるまいし具体的な作戦が思い浮かばなかった。
「その煙、取ったら戻るかもな」
ユッケは私の心中を読んだのかつぶやいた。
「どうすればいいと思う?」
「本人に自覚症状があるかどうかを確かめてからやな」
「自覚症状?」
「憑かれてるんかとり憑かせてるんか、ってことさ」
任せとけ!というふうにユッケは笑むと前を向いた。
「ヒジキさん、頭上に黒っぽいものが見えるんですが…」
その刹那、ヒジキさんは眉をしかめた。
私は後ろから身を乗り出した。
「人の形をしてます。ヒジキさんは知ってるんですか?」
彼と目が合った。凍て付くような眼差しだった。
私はユッケの背中をぎゅっと握り締めた。
「ふふふふ…ははははははははは!!」
急にヒジキさんは笑い出した。
「まさか、気づかれるとはな。」
黒い煙が更に広がりだした。それにふれた黒服団の何人かが倒れた。
「何をしたの?」
カッピィは声を上げた。
「眠ってもらっただけだ。少量だけならすぐに目を覚ます」ヒジキさんは鋭い目つきになっていた。
「これ以上踏み込もうというのなら永遠の眠りにつくことになるぞ」
憎しみのこもった声は彼のものとは到底思えなかった。
「もうこんなことは辞めてよ!同じオクラ星の仲間じゃないか!人間は悪いことをした。自分の利益しか考えていない愚かな生物…そう思うのはわかる。だけど、そう仕向けているのはヒジキなんだよ!憎しみを憎しみで返しても何も変わらないよ。そんなことしても、見せ掛けの仲間しか作れない、本当に悲しいことじゃないか…地球のことは人間に任せるべきなんだ。
ぼくと一緒に星に帰ろう」
カッピィは涙ぐんだ声で叫んでいた。
「仲間…?」
ヒジキは一瞬正気に戻ったかのように見えたが、すぐに黒い煙が阻止した。
「そんな同情を誘うような言葉を並べてもムダだ。俺は誓ったんだ、あの人に。人間を許さないと」
「あの人?誰なの?」
「強大な力を持った人、あの方こそ「神」だ」
「神!?どうしてヒジキがそんな人と?」
私はヒジキを包む煙がその「神」だと認識した。神は神でも悪質な神様のようだが。
ヒジキは頭を抱えながら話していた。
「あの方は全宇宙を見守っている。オクラ星で途方に暮れていた頃に会った。おれの潜在能力を見抜いてここまで協力してくれた」
「それでビジネスを始めたのか…」
「そう。大半の人間はウマイ話に乗せられたが、おまえたちのように疑い侵入してくる奴らもいた」
「その人たちは…?」
ヒジキはニヤリと笑った。
「関わる記憶は全てなくしたかあるいは…」
あの世逝きになったってことか。
「さておしゃべりはお終いだ。最期に言い残したことはないか?」
ヒジキは明るい口調に戻った。この後行うことが唯一の快楽であるかのように。
「最期に?…まだ終わりじゃないよ!」
カッピィは力強く拳を握った。
「今更あがいてもムダだ。3人まとめて送ってやる」
ヒジキさんはバッと両手を広げた。
「ユッケ!」
「大丈夫!しっかりつかまってろ!」
私はユッケにひしっと抱きついた。
目をつぶったそのときだった。

「舞斗!?放せっ!!」
恐る恐る目を開けてみると、舞斗さんが後ろからヒジキさんを羽交い絞めにして動きを封じていた。
「やめてください!ヒジキさん!あなたにこんなことしてほしくありません!!」
「うるさい!」
どんっ!と舞斗さんを跳ね飛ばした。舞斗さんはネバギブアップの中へ放り込まれた。
しかし、すぐに起き上がりヒジキさんの左足を掴んだ。
「しつこいヤツだな!お前は俺の目的のための駒に過ぎないんだよ。お前らが夢実現のためにカモを集めてるのと同じでな。わかったら離れろ!」
「それでも構いません!ヒジキさんは悪いやつに操られてるだけです!目を覚ましてください!」
舞斗さんはすがるようにヒジキさんを見つめていたが、ヒジキさんは彼を蹴飛ばした。
「邪魔だ」
そして舞斗さんに手をかざした。
私は無意識にカバンに入っていた手鏡を取り出し、ヒジキさんの手をめがけて投げた。
「!」
カタンと鏡が床に落ちた。
ヒジキさんは私達の方を振り向いた。
彼は手の甲をおさえてこちらを睨んでいたが、はっと何か怯えるような目に変わった。
その視線の先はカッピィだった。
「元に戻ってる!」
「あ、ホント」
他人に言われて気づいたカッピィだったが、いつのまにか元のつぶれた楕円の物体に戻っていた。
「よっしゃ!人以外全部吸い込んじまえ!」
ユッケはカッピィに指示したが
「いや、先にヒジキを吸う」
と真剣に答えた。
その台詞に部屋にいた全員がぞっとしただろう。
ヒジキさんはさっと踵を返すと部屋を飛び出した。
ガクリと頭を垂れている舞斗さんを置いて、私達は急いでその後を追った。

部屋を出ても安心できなかった。
なぜなら猛烈な勢いで黒服団が追いかけてきていたからである。
私達は階段を駆け下りて柱の影に身を潜めた。黒服団はそのまま階段を下りて行った。
「くそっ!黒服団うぜえ!」
ユッケはものすごくいらいらしていた。
「まあまあ」
カッピィは短い手を振ってユッケを宥めた。
「あんな奴ら吸い込めばええのに」
「それはアカンやろ」
投げやりになっているユッケを今度は私が背中をポンポンと叩いた。
「ヒジキさんどこ行ったんやろなあ」
「くんくんくん…こっちだ!」
「ホンマかよ」
カッピィは床のニオイを嗅いでいた。
「んまあ、ついてこさ」
私はゆっくり進むカッピィのあとをついていった。その後ろをユッケが追ってきた。
カッピィは階段を下りていった。
すると、前には黒服団がいた。
「あ、違う」
カッピィの声に黒服団は全員振り返った。
「まずいぞ」
「逃げよか」
私達は猛ダッシュで逃げた。黒服団は列をなして追いかけてきた。
「なんでヒジキさんのニオイがあいつらと一緒なんや!?」
「わかんないよ…似てたんだもん」
「ちゃんと区別しろよ〜」
「ユッケ、カッピィを責めやんの。大人げない」
「俺、子供やもん」ユッケがまた天邪鬼になった。
こんなのほほんな会話をしていたが、状況はかなり危険だった。
「次、左に曲がるぞ!」
「え?」
私は勢いつけすぎて曲がり損ねてしまった。
幸い、黒服団はユッケたちのほうへ流れていった。私はふうとため息をついたのもつかの間、後ろからトントンを肩を叩かれた。
どきっとして振り返ると、黒服団の一人と思しき男が立っていた。
そして、私に迫った。
「おぢょうちゃん…お兄さんとイイことしない〜?」
するとズボンをさっと下ろした。パンツは思い切りテントを張っていた。
「うわあ〜っ!!」
私は勢いで彼の股間を蹴り上げた。
「ぎゃあっ!…ううっ、ひどい!」
「どっちが!!」
私は苦しんでいる男を放っておき、ユッケたちを探しに行こうと階段まで走った。
するともやもやと目の前が黒く染まった。
「何?」
階段からヒジキさんが上がってきた。彼はこちらを向いたが、さっきとはまるで別人のようにやつれていた。
黒いもやもやはヒジキさんの隣に来るとピタリと動きを止めた。
そして人型になったかと思うと、霧が晴れて黒い布をまとった人物が現れた。
「あなたがヒジキさんにとり憑いてたやつ?」
「望みを叶えるためだったが、失敗したな…」
声からして20代半ばから30代前半あたりなのだろうが、目以外が黒布で覆われていたため、男か女かさえ区別がつかなかった。
私は次の言葉が見つからず、そのまま彼と対峙していた。

「幸多!」
「ユッケ!カッピィ!」
前方からユッケとカッピィが走りよってきた。二人は見知らぬ怪しい黒い影に気づくと、ユッケは立ち止まった。
「カッピィアタック!!」
ユッケはカッピィを片手で投げ飛ばした。黒布の人物は地面を滑るようにしてそれをかわした。カッピィは床に叩きつけられた。
「カッピィ!大丈夫!?」
私よりも早くユッケがカッピィの安否を確かめに行った。
「全く、児戯だな…」
黒布の人物はユッケとカッピィに向かって左手をすっと伸ばした。
ピカッ!と光ったかと思うと二人は壁に追いやられ、身体を帯のようなもので縛られていた。それはキラキラと金色の光を放っていた。
「おまえ、一体何物だ?」
ユッケは首をこちらに向けて睨んだ。
「人に憑きその生命力で生きる者。体を貸してくれた者には「全てを実現できる力」を与えている。この男も自らの願いのために私に力を求めた」
「じゃあ、今までも誰かに?」
「人に欲がある限りとり憑く隙はいくらでもある。この男を更生させる気がないなら残りの力を全て頂く」
黒布の人物は後ろを振り返り、壁にもたれかかっているヒジキさんを見やった。
そして、煙のようにひゅっと彼の体内に入り込んだ。
「ぐ…!うわあぁぁっ!!」
ヒジキさんは胸を抱えて苦しみだした。
私は先にユッケたちを助けに行った。帯を解くとユッケは床に上手く着地した。カッピィはポテンと降り立った。
「何かえらいことになっとるよお」
私達はヒジキさんの元まで駆け寄った。彼は壁にもたれて座り込むのかと思ったら、むくっと立ち上がった。
「下がってろ」ユッケは私の前に出た。私は黒布の人物に尋ねた。
「なんで急に現れたん?」
「私は既にこの男の傍にいた。しかし、とり憑かれていることに気づかれるとその威力を失う。すると、説得しようとする者の言葉に敏感になり洗脳状態が解かれる。だが、力への依存期間が長かったために自己を失う危険性が伴う。自らの意思で動いている者なら別だが…」
「ヒジキさんを救うにはどうしたえらええん?」
「この男を必要とするものの呼びかけ。本当に心から思っていれば生き延びられる可能性はある」
必要とする者…カッピィや!
私は傍にいたカッピィに
「ヒジキさんを元に戻せるんはカッピィしかおらん!」
と説得を頼んだ。
カッピィはコクンと頷いてヒジキの傍に行くと肩にぽんと手を置いた。
「星にいた頃を思い出して!貧乏で質素な暮らしだったけど、不幸せじゃなかったよ。信頼しあえる仲間、家族がいた。ヒジキの境遇はひどいものだったかもしれない。
でも、僕は見捨てないよ。だって、形は違っても、ネバギブアップを大切にしようとしてたのは同じだから」
カッピィの言葉にヒジキはゆっくり見上げた。
「もう帰れない…合わせる顔がない…」
すると、黒い霧が更にヒジキさんを包んだ。
このまま指をくわえてみているしかないのか。私はそこであることを思いついた。
「ユッケ!10階からネバギブアップ持ってきて!」
「何のために?」
「いいから!両手に抱えられるだけ持ってきてほしい!」
「わかった!」
ユッケはそれ以上理由を聞かずに行動してくれた。
私はヒジキさんの右手をそっと握った。とても冷たかった。
「なぜここまでする?」
黒布の人物の声がした。
「ヒジキさんのことはよく知らんけど、カッピィにとって大事な人やから。カッピィもヒジキさんもたった一人で地球にやってきたから寂しかったんやろう。怒りをぶつけるところもなくて、そこに、あなたや人間がいたから、そっちに逸れてしもただけ。きっと元に戻ってくれる!」
「もう既に手遅れだ…」
その声が深く響いた。
あかん!こういう人の末路はやっぱり…なんてしたらアカン!誤解されたまま死ぬなんて!
黒布の死神はしぶとかった。
「彼を死なせたりしない!」
どんどん冷えていくヒジキをカッピィは身体全身で温めていた。

「持ってきたぞ!」
ユッケが息をきらして、両手一杯のネバギブアップを持ってきてくれた。
「ヒジキさんにかかるようバーッ!ってばらまいて!」
「うっし!任せとけ!!」
ユッケはヒジキさんの後ろに回り数メートル離れると走り出した。
「うぉらぁっ!!」
ザバン!とネバギブアップがヒジキさんと傍にいた私とカッピィに降り注いだ。
ヒジキさんの膝にネバギブアップがポトリと落ちた。彼はそれを手にした。
「ヒジキさんが育ててきたネバギブアップです。彼らの面倒は誰がみるんですか?」
「ぼくは君を責めたりしないよ。だって、これからヒジキが良い方向へ行くと信じてるから」
私達はヒジキさんと目を合わせた。彼の瞳にはだんだん色が戻ってきていた。
「…カッピィ」
涙を浮かべていた。
「一緒にやり直そう!」
ピカッ!!と眩い光がたちこめた。
黒い霧は一瞬にして掻き消された。辺りには舞散ったネバギブアップだけが残った。
「ヒジキ?」
カッピィは不安そうにヒジキさんの顔をのぞきこんだ。
ヒジキさんはゆっくり顔をあげた。
「長い長い夢を見ていた気がする…」
彼は周囲をぐるりと見渡した。そして手にしていたネバギブアップを自分の目の前に掲げた。
「コントロールしていたはずが、いつのまにかコントロールされていたんだな」
ふっとヒジキさんは首を横に振った。
「君達の声はずっと聞こえていた」
彼は私とカッピィを見やった。穏やかな瞳をしていた。
「人間は愚かな弱い生き物だと思っていたが、自分もまた同じことをしていたよ。本当に弱い…一人じゃ何もできなかった」
「そうなの?」
カッピィは困っていた。
「弱いから、一人じゃ全部できないから仲間っているんじゃないの?ヒジキが作ったのは表面だけのニセ仲間だったかもしれないけど、それができるなら心から信頼し合える間柄を築けるはずだよ」
「そうか…」
ヒジキさんはそっと目を伏せた。そして今度は私を見た。
「君はなぜ?あのまま放っておけば自然消滅したものを…」
「それが嫌やったんです」
「嫌だった?」
ヒジキさんは目を丸くした。
「消えてなくなったら、皆勝手なこと言うでしょう?頂点にたったがゆえの運命…とか、ああいう行いをしたから死んでしもたんや、って。でも、そういうのは間違ってます。ヒジキさんのことグループの人だって知りきれてないんでしょう?それやのに、決め付けるのっておかしいです。…とか難しいことはあんまり思ってなくて、カッピィがあまりにも一生懸命やったから。
カッピィも初めはチイは悪!って破壊衝動が強かったけど、ヒジキさんのこと知って、やり直したいって思うほうが強くなったんちゃうかな」
私はカッピィににこっと笑いかけた。カッピィは少し照れていた。
「んまあそんなところだよ」
「カッピィはお人好しだな」
「みんなに優しいの!」
2人はすっかり打ち解けていた。
「じゃあ、そろそろ星に帰るか」
「えっ!?もう?」カッピィは飛び上がった。
「あとは舞斗がやってくれるさ」
ヒジキさんは立ち上がった。
「その舞斗さんが来てますよ」
離れたとこにいたユッケが階段のほうを指差した。いつから立っていたのか、そこにはじっとこちらを見据えた舞斗さんがいた。
彼はヒジキさんが立ち上がるのと同時に、彼の元へ走った。
「行かれるんですか?オレには…チイにはあなたが必要です!!」
「俺はもうここにはいられない。いるべき場所がある」
ヒジキさんは一呼吸おいた。
「お前が必要と言うものは頼れる人だろう?自分の情報や判断が間違っていないかを確かめ真似るための。組織内ならそれでいい…だが、本当に必要とされるものというのは、オリジナルでないといけないんだ。その人は他の誰にも代われない、そういうものが人と人とを繋げてくれるんだ」
「ヒジキさん…」
舞斗さんは悲しそうな瞳だった。
「そんな顔をするなよ。俺はお前を信頼している。お前ならグループを正しい方向に引っ張っていってくれると信じているぞ」
ヒジキさんは舞斗さんの髪をグシャグシャとしてカッピィに言った。
「カッピィ、俺を吸い込んで先に星に送ってくれ」
「え?いいの?」
「それしか方法がないからな。二度と帰るつもりがなかったから」
「そっか…わかった。前に立って」
カッピィは承諾するとヒジキさんは彼の正面に立った。私はユッケの所まで避難した。
「んじゃあ吸うよ!」
ヒジキさんは一度だけこちらを振り返った。
「またどこかで会える日まで…」
そして、ゆっくりと目を閉じた。
キュイイイイイーン!!ゴオォォーッ!!
パク。ゴックン。
カッピィは目をぱちくりさせていた。
「…ヒジキさん…」
舞斗さんは腕であふれ出る涙を拭っていた。私達は居たたまれない気持ちで彼を見ていた。
「さあ、ぼくも帰らなくちゃ」
「今すぐ?」
「うん。ヒジキが心配だから」
「そやんな…」
私はうつむいた。いざ別れとなるとやはり寂しくなる。
「元気出してよ!来ようと思えばいつでも来れるんだから!」
「また、いつでも来てな…」
私はカッピィの短い手をぎゅっと握った。やわらかくてすべすべしていた。
「じゃあ、下まで送ってくよ」
私達3人は、舞斗さんを置いて階段を下りた。

ビルを出ると外は真っ暗だった。
「でも、ホンマにオクラ星なんかあるんやな」
ユッケはこれまでの度重なる非科学的な現実を体験して、理屈では理解できないものの存在を信じ始めたらしい。
「いつか行ってみたいなあ…オクラ星」
「人間も飛べるといいのにな。そしたら行き来自由なのに」
「それは今の人間には無理な話やな」
ユッケは鼻で笑った。私もへへっと笑った。
「幸多さん、ユッケさん、本当にありがとう」
カッピィは深くお辞儀した。
「いやいや、カッピィの呼びかけでヒジキさん元通りになったんやから」
「いいえ、僕だけだったらチイに捕まって保健所行きになってたから…あなたたちの勇気に感謝します」
「そんな…うちらもカッピィのおかげでこの数日間有意義やったよ、な?ユッケ?」
「おう!潜入とかめっちゃワクワクしたから、また面白そうなんあったらよろしく!」
「それ、何か違う…」
理由はともかくユッケの心の中にも残る思い出となったのでホッとした。
「それじゃあ、2人もお元気で!!」
「うん!カッピィも!ヒジキさんと仲良くな!」
カッピィは頬を膨らませると、月の出ているほうへ飛んでいった。
私達は影が見えなくなるまでずっと見送っていた。
「さ、俺らも帰ろか」
「うん!」
ようやくユッケとまったり過ごせる…とルンルン気分で腕を組んだ。
「ユッケ?」
険しい顔つきのユッケの視線の先には舞斗さんがいた。
彼は入り口に突っ立っていたが、ユッケは話しかけようとせずスルーしようとした。
「待って」
私はその言葉に引かれるように立ち止まった。
舞斗さんは一旦開けた口をまた閉じ、再度開けた。
「オレは、チイは最高の組織だと思ってる。特にグループの子達とは、何でも話せて一生付き合える仲にしたい。サプリはその結びつきを強める過程でもあるんや。これからも身体に本当に良いものを勧めていくつもり。やから、2人も…」
「結構です」
ユッケはぴしゃりと断った。そして
「行くぞ」
と私の腕を日引っ張った。
「ああ、ちょっと待って!」
私は腕を引っ張るユッケを止めた。
「身体に本当に良いものって言うけど、それじゃあ今まで使ってたものはほぼ全て毒ってことになりますよね?で、スゴクイーヨーに代えても、その分の毒が抜けてくわけじゃない。
そもそも経皮毒になる有害物質が騒がれてるなら、このエコなご時勢使用禁止にしているはず。多分、問題なのは量じゃないかと。あとその人の体質。何でも使いすぎたら「毒」になるし。一番手っ取り早いのは、良いものを取り入れることより、どうやって悪いものを取り込まんか、やと思います。攻めより防御。押してあかんだら引いてみな…ってやつ」
ユッケは腕を組んで聞いていたが、舞斗さんは真剣な面持ちだった。
「それはその通りかもしれない。でも、将来になってあのときああしとけばよかった、て思わんためにも「今何をするか」ってすごく大切なこと。自分の子供にも誇れるような親になってたいし」
「確かに。でも、将来なんてどうなるかわかりません。それに人生って上手くいかんことがいっぱいあるから、試行錯誤して成長してゆくもんです。
だいたい、今は今は!って言うけど、今の人は百年も生きてへんのやから、昔がどうなってたか今と比べてどうやったんか、今より悪かったんか?なんてわからん。
宇宙から見たら、人間がやっとるお金儲けなんてたいしたことはない。人間にとっては大事なもんやけど、それで周りを見失ってしまったら終わり。
人は何か口実をつけて正当化してしまうんです。「私にとっては良い情報やから、ちょっと疑われるかもしれやんけど、この人にとっても良い情報やから伝えることは善い行いなんや」っていうふうに。それって、なんて自己中なんやろって。良い悪い判断の基準が自分にあって、他人がそれを受け入れやんと否定する。「情報の共有」っていうのも押し付けに近い気がします。
健康を煽られたら誰でも一番動揺します。でも、人間ってそんなにヤワじゃないですよ。何百年か何千年か後に消えるかもしれへんけど、そんな未来まで責任持てやんし。「今何をするか」はおっしゃるとおり大切です。
でも、やからチイで実現できる!とは思ってないです。見返り求める好意ばっか送ってそれに応えてくれやんだらポイ。そんな空っぽの集団には入りたくないです」
結論が回りくどすぎたが、言いたいことは言い切った。
あとは「アディオス」と去れたらかっこいいものだが、そこまでナルシストじゃなかった。
「ほら、行くぞ」
ユッケに促された私は彼の手をとった。前に進もうとするとユッケはピタリと足をとめて後ろを振り返った。
「つーか、いっぺん死ね、ボケ」
その暴言はどんな長い台詞よりも端的で実感がこもっていた。
舞斗さんは放心状態で突っ立っていた。


カーテンの隙間から差し込む朝日。
久々にゆっくり起きられた。
時計はちょうど八時になったばかりだった。
「遅いぞ」
「んにゃ?」
寝ぼけ眼の私は、ユッケが勉強モードに突入しているのがかすかに見えた。目をこしこしこすってから伸びをした。
「襲っていい?」
「…いいよ」
「えっ!?ホント?」
「ラブラブしたい気分や」
私は起き上がって、ユッケに抱きつこうとした。
ドコォォォーン!!
「何っ!?」
轟音にぶったまげた私達はカーテンを開けて外を見た。
道路の脇からもくもくと煙が昇っていた。
煙が晴れると二本の足が見えた。橙色の丸い足…
ボコッ!
「カッピィ!?」
地面から身体を起こしたのは紛れもなくカッピィだった。
「聞いて聞いて!オクラ星の隣のナットウ星でハリツキ病が広がってるんだ!それを治す薬草が地球に持ち込まれているらしい。犯人探しに協力してくれない?」
私とユッケは顔を見合わせた。
「もちろん!!」
私はカッピィを迎えに玄関先まで下りていった。
こういう日々も悪くないな…

辺りはすっかり春の香りに包まれていた。

-終-

世間には悪いことが蔓延しているのだけれども、
それを全て取り締まるのは現在の日本では難しいみたい。
殺人はあかんけど、嘘はついてもいい…なんて、「悪」の基準もまた人によって違う。
「これは悪いことなんかも」と思い留められるうちはまだいい。
それが、「でも、結果的には良いこと」と思い込むようになってしまったら。。。
誰しも隠していることはあるかもしれない。
でも、本当に大切な人にはいつも誠実でいたい。