とうふ口論 〜イチバンなもの〜
この度、わたしは超高機能性ロボットPMSM(プムスム)の開発に成功した。
“開発”なんてたいそうなもんでもなかった。 ピーマス博士からもらった“ロボットの素”を直射日光の当たらない明るくて水平な場所に置いていただけで、ロボットが生まれてきてくれたのである。 ピーマス博士というのは、日々ロボットの研究にあけくれている陽気で気前のよいおばさんだ。 年齢は今が盛りの四十五歳。幼い頃に両親を亡くしてしまったわたしの面倒をずっとみてきてくれている。だから、わたしにとってのお母さんでもある人だ。研究一筋、未婚の博士は、わたしの家の斜向かい住んでいる。 三年ほど前だったか、鍋の空焚きが原因でボヤを起こしてしまった時なんかは一番に駆けつけてくれた。 そして、大炎上もしていないのに、自分で作った消火ロボットに慌てて大量放水させたため、台所じゅうが水浸しになったこともあった。 助けてくれるのは本当に感謝しているが、ありがた迷惑な行動が玉に瑕。それだけわたしのことが心配なのは痛いほどわかる。 しかし、十中八九やることが行き当たりばったりで、むしろわたしを心配させることがしばしばだった。 その行き当たりばったりのおかげで、これからわたしが徒労の日々に追われることになろうとは博士も予知だにしていなかっただろう。 トゥルルルル― 「はーい!行くー!行きまーす!!」 ダダダダダーッ! 握っていた鉛筆を机の上に放り捨てて、わたしはハイパースピードで階段を下りた。 わたしの家には子機がない。いや、厳密に言うと失くしてしまったのだ。家の中をくまなく探しても見つからなかったため、現在は親機だけでやりとりしている。 「もしもし、博士?…やーっとつながった」 電話音が切れる前に受話器を取ったわたしはフゥと一息ついた。 それもそのはず。昨日、一昨日から博士の携帯電話にかけても、“電波の届かないところに”ばかりで全然つながらなかったからだ。 博士はインドア派じゃないので、自宅に電話するよりも携帯のほうが連絡をとりやすかった。 「ごめん、ごめん。ここ二、三日すごく忙しくて。トンゴリアルラは電波が届きにくかったかもしれないわねぇ」 博士の声は元々低くて太かったが、電話越しだと更に一トーン下がって聞き取りにくかった。 わたしは聞き漏らすまいと受話器にぴったり耳をくっつけたが、さすがに初耳の単語にはクエスチョンマークをつけざるを得なかった。 「トンゴリアルラってどこ?」 「え〜っと、トンゴリアルラはねぇ、私が研究するのに最適な場所、かしら」 「あー、そうですかー」 なんとなく予想はついていた。 私が尋ねたところで合点ゆくことはないというある種の諦めが、既成の事実としてちらついていた。 博士の赴くところ全て、私には未知でない試しはなかった。 それにしても、地名も聞いたことない異境の地まで行っているとは思いもよらなかった。 ここまで研究に没頭できる人もいるんやなあと尊敬の眼差しを送りかけてハッと気がついた。 通話料三分十円の時代ではないのだ。閑話休題、本題に入った。 「それより、ロボットは食べ物食うても平気なん?」 「ロボットってアンドロイドでしょ?」 いちいち細かいところまで指摘してくる博士は長電話をしたいらしい。 わたしは、どうせお金は博士が払うんやからこの際とことんしゃべったれ!と変な意気込みを入れて話し出した。 「うん。わかってるけどさあ。アンドロイドってなんかアンコがどろどろになって固まって出来たもんみたいで嫌なんやもん。それにロボットと中身は同じなんやろ?」 「アンコははじめからどろどろしてると思うけどねぇ。同じていってもちょっとは違うのよ。第一、見た目からして違うわよ」 「アンドロのほうが人間もどきなんやろう」 「略しちゃだめでしょう、全く」 博士はくすくすと笑った。 わたしはうーむとうなっていたが、これ以上呼び名についてケチをつけていても質問の答えが返ってこなさそうな気がしたので、そこでお口チャックした。 「で、食べ物は大丈夫かってことよね?」 よかった。博士は忘れていないようだった。 長電話も短電話ですみそうや、と思いながら私は現状を語り始めた。 「そう、二日ぐらい前やったかな。その日は昼に冷奴を食べたんやけど」 わたしの頭の中が回想モードに切り替わった。 驚きものの木山椒の木の場面が、だんだん鮮明によみがえってきた。 お昼に食べる冷奴はぽかぽか温かい体をひんやりとさせる。 その日も朝から豆腐を食べていた。 なんといっても、わたしは他に類を見ない豆腐のファンなのである。 “安くてヘルシー”の座に君臨する彼。 ある時は他を際立たせるために脇役としてひっそりと存在し、またある時は自己主張しすぎず上品で堂々とした主役を演じることができる。 更に、あのえもいわれぬ感触。力を入れすぎてしまうとすぐに崩れてしまう脆い存在。傷ついた雀をそっと包み込むような繊細な扱いが不可欠。そして何ものにも染まることない純白さ。 わたしにとって豆腐の全てが理想の性質だった。 こういうわけで、わたしは毎日豆腐を食べている。もはや主食が豆腐といっても過言ではない。豆腐はわたしの活力の源だった。 けれども、この豆腐が原因でアンドロイド達が対立するハメになったのだ。 アンドロイド達は「ロボットの素」が人型になって出てきたものだ。 この「素」というのは、鶏卵一個分の大きさの楕円形をした白いカプセルで、これから身長140センチメートルほどの人(アンドロイド)が出てきたらしいのだ。 「らしい」というのは、わたしは生まれてくる現場を目撃していなかったためである。回覧板を前の家に回して戻ってくる間に生まれたようで、瞬間が見られなかったのは非常に惜しかった。 初めて彼らを目にした時はぶったまげた。事前に博士から「服を着た子供が出てくるよ」という簡単な説明を受けていたとはいえ、実物をこの目で捉えた瞬間は歓喜に満ち溢れたものだった。 「達」というからには二人以上いるわけで、彼らは豆腐のこととなると周りの目も気にせずに喧々囂々と言い争う。 先週だったか、わたしが冷奴を食べてゴージャス気分を味わっていると、アンドロイド達がやって揃ってやって来た。 「それ、おいしそう」 ねだる眼差しで訴えてきた彼らに根負けしたわたしは、彼らがロボットであることを気にもとめずに一口食べさせてみた。 すると、同時に「おおっ!」と声を上げた。 二人とも瞳をキラキラと輝かせて食卓の小鉢を眺めていた。 豆腐が気に入った彼らはそれ以来というもの、毎日豆腐を食べるようになった。 はじめは食べ物を入れてよいものか不安に思った。仮にそのことが原因で故障したとしても、博士に修理してもらえばすむことだろうから豆腐を食べさせたことに問題はなかった。 しかし、今思えばわたしはここでミスを犯したのだ。 不運なことにも、この日に限ってもめんと絹ごしを半分ずつ使って食べていた。無意識のうちにわたしは、彼らにはそれぞれ違う種類をあげてしまったのだ。 消化器官までついているとはハイテクだと感心したのもつかの間、二人が口ゲンカし出した時には博士の腕を疑ってしまった。 「このツルツル感、やっぱり絹ごしがイチバンだねえ」 絹ごし第三食目でも、にこにこしながらちょびちょびと食べ進めているのは哀葉(あいは)だ。 哀葉は真面目で律儀だが、少しお人好しな少年。 そして、哀葉の言葉に反応してか、もめん第三食目をわき目も振らずにバクバク食べ進めている嬉依(きい)が言った。 「このフワフワ感、やっぱりもめんがイチバンやよなあ」 嬉依は無愛想だが、クールで初志貫徹する少女。 この二人、仕事率はわたしより何百倍もよいはずなのに、豆腐がからむと小学生以下レベルのケンカをするため収拾がつかない。 でも、話をふられて何も答えないわけにもいかなかったので、わたしは 「どっちもおいしいよな」 と中立の立場で意見を述べておいた。 どちらかのカタを持ってわたしまで反撃をうけるのはほとほと困る。 わたしの答えに、絹ごし派の哀葉ともめん派の嬉依は面白くなさそうな表情をしていた。そこで黙っておけば平穏無事に済んだことを、嬉依は哀葉を挑発した。 「すぐにつぶれる絹ごしのどこがいいんか」 もめんを食べ終わった嬉依がポソっとつぶやいた。 「キミの箸の使い方がヘタなだけじゃん」 ちょびっと顔をひきつらせながらも哀葉は微笑を絶やさなかった。 これはひと嵐来そう、とわたしは嫌な予感がした。 「アンタ、箸使てないやろ」 嬉依はフンと鼻をならし、哀葉をキッと睨みつけ、彼が左手に持っているスプーンに視線をやった。 そうなのだ。哀葉は絹ごしをスプーンですくって食べるのだ。 「味わって食べてるんだよ」 やっと食べ終えた哀葉は、スプーンをゆっくりとテーブルの上に置き、常備しているハンカチで口を拭いた。 まさに冷戦状態。いつ熱戦になってもおかしくなかった。 二人の気まずい雰囲気を観察していたわたしは、次の一言で火がつく前に穏便な処理を実行した。 「はい、食べ終わったことやし片付けるよ」 わたしが皿を持って立ち上がると、二人はしばらく火花を散らしあっていたが、渋々イスから立ち上がった。 そうして一緒に隣の居間へ行くと、何事もなかったかのように平然と豆腐以外の話を楽しくしはじめた。 こんなにも豆腐が影響している生物がいるんやろか…とわたしは何だかあきれて力が抜けた。いつでも和気藹々としていてくれれば、こっちもハラハラしなくてすむものだというのに。 「こんなわけで、どうすりゃいいと思う?」 一部始終を話したわたしは、回想モードが終了すると博士に相談した。 「うーん。食べても壊れはしないと思うけど心配ねぇ」 生みの親の博士も考え込んでいた。 電話の向こうからは、ガガガガやらウィーンという機械音がすさまじかった。 しばらく沈黙が流れた後、ピピピピピという電子音が鳴り出した。 (何やろ?) 「ごめーん!!これからチリシアルファの講演会だったわ!また電話して!」 助言さえ与えられることなく、一方的にプツッと電話を切られてしまった。 わたしは何が何だかさっぱり分からず、プーップーッといっている受話器を持ったままだった。 「チリシアルファって誰?」 ますますロボットにかける情熱が燃え上がる博士に対して、わたしはますます燃え下がっていった。 (とにかく何とかせえへんと…) ガチャンと受話器を置いたわたしはなんとなく物悲しい気分だったが、腹が減っては軍はできないので昼ごはんの用意にとりかかった。 今日のメニューにももちろん、豆腐があった。 冷蔵庫の中は豆腐をはじめ納豆、煮豆、ゆであずき…など豆類で詰まっていた。 中段に保存しておいた豆腐パックをニ丁取り出し賞味期限を確認すると、どちらも昨日で切れていたので今日のメニューは必然的に湯豆腐に決まった。 もめんと絹ごし。 わたしは二人が現れるまでは、適当にどちらかを選んで食べていた。ところが、二人が現れ豆腐の存在を知られてしまった後は、多少面倒臭くとも半分ずつ使うことにしていた。ここでもめんか絹ごしの片方で料理すれば、豆腐愛好ロボットの間でもめごとが頻発して仲裁役にまわらなければならないからである。 それにしても、主のわたしを軽く越えているほど豆腐好きな彼らは、博士の研究への執念と同じくらい豆腐への執念が深いのかもしれなかった。 昼食が出来上がる頃になると、いつものように哀葉と嬉依は食堂にやって来た。 「お、今日は湯豆腐か」 「もめんなんか入れなくてもよかったのに」 「“なんか”とは何さ」 再び始まってしまった。 論争の火種は常に豆腐にありき。 二人とも悪いわけでもないが、豆腐を見ただけで自然といがみ合ってしまうのはもはや習慣なのか。 わたしがトホホな気分でいるのにもかかわらず、二人は懲りずに言い争っていた。 「だいたい、もめんのどこがいいの?」 「言ったで、フワフワしたとこって」 「それだけ?」 「アンタもツルツル感て言ってたやろ」 「そうだけど、もめんって表面ボコボコして不恰好だよ」 「何やと!もういっぺん言ってみ!!」 「やめ〜っ!!」 見るに見かねたわたしはとうとう怒号を飛ばした。声は家中に響きわたり二人の口げんかを中断させた。 生まれて初めて腹の底から声を上げたわたしはふん〜と鼻息を洩らした。 二人は共に目をまるくしたまま止まっていた。 今まで大目に見てきたがもはや限界。雨降っても地固まらない二人には試練が必要とみた。このケンカは死に至るほど致命的ではないが、そのかわりに神経をすり減らせるのだ。 わたしはイスに座ったまま哀葉と嬉依に静かに告げた。 「早くケリつけなよ。近所でアンケートしてさ。もめんか絹ごしか。で、多かったほうが勝ち。どう?」 「そうだねえ、ここはキチンと決めたいなあ」 哀葉が余裕の笑みで言うと嬉依は、 「ええよ。売られたケンカは買ったる」 と得意顔になって言ってのけた。 わたしはすくっと立ち上がった。 「じゃあ、制限時間は今から二十分。こじつけはあかんでな」 これで争いも終わるという安堵感にわたしは期待を膨らませた。 二人が同時にうなずくのを確認すると 「よーい、スタート!」 パン!と手をたたいて送り出してやった。 二人は湯豆腐には一口も手をつけずに、テーブル上のメモ用紙一枚をつかみ取ると凄まじい勢いで家を飛び出していった。 ちょうどぴったり二十分後、二人は息をきらして帰ってきた。 よっぽど走り回ったのだろう。瞳もグルグル回っていた。 「では、今から数えまーす!」 メモ用紙を二人から受け取ったわたしはかなり浮かれていた。 悩みの種が今日で解決できると思うとハイテンションになれずにはいられなかった。 もめん派と絹ごし派の数を数えていてわたしは思わずにやけてしまった。 二人は不可思議な表情でお互い顔を見合わせた。 わたしはもったいぶらずにさっさと発表することにした。 「結果発表〜!!じゃじゃじゃーん!」 丁寧に効果音をつけてみた。 二人はじっと耳を澄ませていた。 「もめん派十六人、絹ごし派十六人で引き分けー!」 「えーっ!!」 二人は機体もひっくり返りそうなほどの素っ頓狂な声をあげた。 数えていたわたしも驚いた。二人もまさか引き分けになるとは思ってもみなかっただろう。 うまくおさまったーと安息感に包まれようとしたとき、抗議の声が耳に入ってきた。 「仕組んだんじゃないの?」 「もう一回数え直してみてよ」 身も蓋もない台詞についにわたしはキレた。不服な面をしている二人を見据えてやった。 「もう!信用してくれたっていいやろ!そもそもどっちがイチバンってのはないやろう!もめんと絹ごし二つがあるからこそ豆腐の世界が広がるんちゃうの?無理に違うほうを好きになれとは言えへんけどさ、もめんが好きな人もいれば、絹ごしが好きな人もいる。両方好きな人だっているんやで。 イチバン!って思うものは人それぞれが当たり前なん!それやから豆腐ももめんと絹ごしがあるんやろ!!」 「……」 二人はポカンと口を開けていた。開き具合が両方同じでマヌケだった。 わたしはいっぺんにしゃべりすぎて前半部分はほとんど覚えていなかった。 でも、豆腐でここまで熱演できるわたしも相当な“豆腐バカ”というのはゆるぎない事実だった。 「そっか…そうだねえ。たとえ勝ったとしても、もう片方好きになれるわけじゃないしなあ」 わたしの熱演ぶりに心を打たれたらしい。哀葉は深く頷いた。嬉依も 「なんか悪いことしたみたいやわ。疑ってゴメン」 と珍しく素直に謝ってくれた。 たかが豆腐されど豆腐。 わたしはとても嬉しい気持ちになった。そして今度こそ一件落着と確信し、二人にお祝いをあげることにした。 「ま、えーよ。これ食べてくれたら」 「?」 わたしは二人がアンケートを取りに行っている間に作っておいたあるものを二人の前に差し出した。 味噌汁椀を受け取った二人は中身を見た途端青ざめた。 「げっ!!」 「わっ!!」 彼らが目にしたのは小豆色のごく普通のぜんざい。多数の豆料理を試食させてみたところ、「ぜんざい」だけは二人ともいただけないようだった。 硬直している二人に、わたしはまた意気揚々として言った。 「引き分けやったお二人には特製激甘豆腐ぜんざいをプレゼント!!ぜーんぶ食べてや!!」 わたしの怖い笑顔を感じ取った二人は、文句一つ言わずに豆腐のとろけたぜんざいをすすった。椀を持つ手がかすかに震えていた。 「あ、甘い」 「きもちわるー」 返事は呻き声と化した。 「働いた後のおやつは美味しいやろ?まだまだようけあるからどんどんおかわりしてよ!」 「いらないよ…」 「ムリやって…」 二人は泣きそうになりながらも食べ続けていた。 豆腐の種類を気にせずに。 実は哀葉の椀にはもめんを、嬉依の椀には絹ごしをこっそり入れたのだ。小豆に埋まって見た目では全然わからないけれども。 わたしは二人が食べている間ずっと傍らで見守っていた。 目の前には、昨日までは考えられないアンドロイド達の奇妙な姿があった。 五分ほどしてなんとかお椀一杯を食べきった後の二人の口からは意外な言葉が出た。 「もめんっておいしいな、結構」 「絹ごしもうまいな、結構」 お互い照れ笑いしていた。彼らにも心の平安がようやく訪れたのだろう。 仲直りの瞬間はもめんと絹ごしが認められた瞬間でもあった。 わたしは心の中に何か温かいものが広がっていくのを感じながら二人を微笑ましく思った。 ふとテーブルの上に視線を変えた。 小鉢に入った湯豆腐はすでに冷め切っているみたいだった。 と、そこに窓からそよ風が入ってきた。風は私達の頬を優しくなでた。 豆腐たちも一緒に仲良く揺れていた。 -終- |